浄土宗東京教区豊島組「別時念仏会」

本日午後3時より自坊も属する浄土宗東京教区豊島組教化分団主催の「別時念仏会」が自坊からほど近い善雄寺で開催された。

 

お別時後の講演は私も様々なご縁をいただいている江戸消防記念会第四区総代が江戸町火消のお話をされるとのご案内をいただいていたので出かけた。

 

仕事の都合で遅くなってしまったが午後3時直前に到着、、

 

ご参加皆様とお別時法要

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分団長が御導師

 

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30分ほどのお別時会後のお話は善雄寺のお檀家でもあり私自身もお世話になっている江戸消防記念会第四区高柳総代による「江戸町火消の歴史」について、

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家康公からの江戸城築城、諸国諸大名の上屋敷・中屋敷・下屋敷、旗本等の屋敷の形成、町民の建物、街並み等の変遷、大火等の歴史。

それに伴い八代吉宗将軍の享保年間に町奉行大岡越前守の唱導により発足した俗に云われている町火消いろは48組の制定。

そこには伝通院から増上寺に上がられた祐天上人の影響が強くあったと興味深いお話も、、、

最後は明治維新後の組織の改編、戦後の江戸消防記念会発足までの歴史を学ばせていただきあっという間の一時間半だった。

 

お話後には半纏のご説明

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ご本尊様へ向かい木遣りの奉唱

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ご参加の皆様も初めての御経験で感動されていた。

 

 

 

 


ムクノキ祭

澤蔵司稲荷境内の公道に面する善光寺坂に樹齢400年以上と言われる椋の木(ムクノキ)がある。

 

江戸時代には伝通院寺領、澤蔵司稲荷のご神木としても崇められていた。

 

6年前の平成25年3月に「文京区指定天然記念物 第1号」に指定された。

 

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善光寺坂と呼ばれるようになったのは明治中期以降。

 

江戸名所図会

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石垣に階段の澤蔵司稲荷境内は現在でもその面影を残す。

図絵中央左端には椋の木が描かれ周りにはお茶屋もありお参りの方々の憩いの場のようでムクノキはこの界隈のランドマークのような存在だったと思慮される。

 

地元・表町町会では天然記念物に指定された翌年からムクノキにちなみ6月9日前後の土曜日か日曜日にムクノキ祭りを開催して本年は6回目だった。

 

午前9時頃から町会の方は境内に屋台等の準備が始まり午前10時からご本堂で護摩祈願。


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護摩供で地域の安全、町内関係者の家内安全、交通安全を祈願。

 

角田祭礼部長さんの挨拶

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表町森田町会長さんの挨拶

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私からも、、

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椋の木ににまつわるお話をさせていただき椋の木へ

 

御祈願をしながら御神酒を、

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町会役員の方や町会会員の方も御神酒を振る舞った。

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その後、境内ではポップコーンや綿菓子のプレゼント。

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今年は祭礼部長によるムクノキの紙芝居はあったのか?

本堂の片付けて気が付かなかった、、

 

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町内には新しいマンションも建設され新住民になられた方もこのような活動を通じでこの町が故郷と感じていただける日が来ると確信。

 

昨日は豪雨で梅雨入りも発表されたので心配をしたが奇跡的に雨も降らず例年通りにムクノキ祭が出来た。

役員の皆様もご苦労様でした。

 

 


江戸消防 元六番組・元六睦 月例会

毎月、お伝えしているが南町奉行・大岡越前守が300年ほど前に制定した江戸町火消「六番組」であった「元六番組」「元六睦」の月例会。

六にちなみ毎月六日に澤蔵司稲荷書院で開催されている。

 

所属、元・六番組の頭取中(組頭・副組頭・小頭) が集まる。


江戸時代の町火消しの組織「いろは四十八組、本所深川十六組」は明治時代になり明治5年に「市部消防組」として改編。

その後、近代消防に移行したことに伴い江戸時代の火消しの文化・伝統等を継承する為に江戸消防記念会の前身組織が明治後期に組織された。
現在の「一般社団法人 江戸消防記念会」は 全体で11の区で組織されている。

 

 

小石川の地元は現在、江戸消防記念会第四区で二番組だが江戸時代には六番組「な組」として町火消しを担っていた。
その江戸時代の「六番組」はその組織を継承するために現在でも「元六番組」「元六睦」として現在の江戸消防記念会第四区とは所属がダブる組とダブらない組もあるが受け継がれている。
第四区では「な組」(現・二番組)「む組」(現・七番組)「う組」(現・二番組)が所属。
第三区と第九区の一部が近年復活して組頭・副組頭・小頭等30名ほどの頭取中がお集まりになるので書院も手狭、、、
 

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我々は会議での開式・閉式はお十念だが頭取中は開式・閉式は一本締め。

 

一ヶ月間の報告や御礼、昇進のお祝い等が、、、

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昨年は江戸町火消が制定されて三百年の年に当たり様々な記念式典も開催された。

 

一本締めで閉式後、本日は・三囲神社の木遣塚にご参拝に、、

 

袢纏の腰の部分の白抜きの本数で何区か識別できる。
第四区は四本、第三区は三本、第九区は九本。
奇数の区は直線で偶数の区は曲線で波打っている。
 

役袢纏の白抜き四本は第四区の頭取中

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お見送りしたあとの境内。 すっかり新緑の緑が濃くなった。

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参道手水舎の向かい側の江戸町火消「な組」の木遣塚。

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3年ほど前に境内に建立。

当時は「な組」の真棒のみが中央にあったが一昨年その両脇に観音様とお地蔵様が祀られた。

真棒脇には宗祖法然上人の御名号も。

その為に木遣塚の建立の意味が明確になりお詣り頂く方が増えた。

 

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真珠院 施餓鬼法要説教席と出仕

本日は小石川 傳通院の塔頭寺院でも有り自坊とは法類関係でもある真珠院へ、、

 

説教の茶衣・如法衣と法要出仕の衣・お袈裟を鞄に入れると重いので電気アシストの自転車で出かけた。

快適!!

 

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ご本尊様へご挨拶

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外陣には施餓鬼壇(五如来壇)が、、

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まずは午後1時から法話

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実学生時代から半世紀にわたりお邪魔をしているがお施餓鬼法要前の説教席は初めてだった。

ほとんどがお顔見知りのお檀家様、、

 

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午後2時から詠唱の御奉納が有りその後、お施餓鬼の法要が厳修され私も久しぶりに出仕させて頂いた。

 

曇り空だったがお檀家皆様がお墓参りをされご自宅にお戻りになる頃までは雨の心配も無かったのでは、、、

 

本日もお陰様の一日。

 


令和元年 二回目の月例大護摩厳修

31年間の国民にとって象徴天皇としてお勤めになられた平成明仁天皇が御退位され上皇となられ5月1日「令和」の元号で徳仁殿下が百二十六代天皇に御即位された。

 

毎月一日(ついたち)は午前6時に月例大護摩を厳修。


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お伝えしているように越年、例大祭、初午、節分等の護摩供ではご本堂には御信者様で満堂なので護摩壇の側までお越し頂けないが例月大護摩だけは直接護摩の炎にお近づき頂くことが出来る。

 

御挨拶後の護摩壇。

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新天皇ご夫妻、上皇、上皇后様の玉体安穏 聖化無窮も改めて御祈念申し上げた。

 

現在、浄土宗第七祖「聖冏上人」が本年600回忌を迎えるにあたり金沢文庫で「浄土宗七祖聖冏と関東浄土教」−常福寺の名宝を中心に」の展覧会が開かれている。

 

月例大護摩の御参列の方から本日「金沢文庫」での上記展覧会の80ページにわたる御本を頂戴した。

お聞きすると御信者様は某大学教授でこの御本の中でも聖冏(しょうげい)上人と小石川談所の歴史を著述されている方だった。

全くの驚き、、、

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5月は多忙だったので6月中旬頃に金沢文庫を訪ねる予定だった、、

 

皆様をお送りすると書院玄関前の柘榴は例年通り沢山の花🌸が付いていた。

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やはり多忙すぎて境内の草花をゆっくり鑑賞していなかった、、、


本駒込 天栄寺 施餓鬼法要 説教席

本日は文京区本駒込へ

 

自坊と同じ東京教区豊島組西部 天栄寺様へ(所属の部は異なるが、)


午後1時半からの天栄寺お施餓鬼法要前のお説教の席を頂戴していた。


先日の真夏日に比べると日差しは強かったものの日陰では気持ち良い風も吹いた。

いつもはTAXIなのだがご近所の法類寺院の駐車場に停めさせて頂いた。

天栄寺山門
山門

 


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山門横には文京区史跡文化財「駒込土物店(だな)跡」の石柱も建つ。

 

教育委員会の説明板

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山門を入ると右手に昭和38年11月に先々代住職がこの地にあった「駒込辻のやっちゃば」「駒込の土物店(だな)」の由来(縁起)を刻された石碑を建立。

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銘
この地は江戸の元和年間(約400年前)に江戸の神田・千住の野菜市場(やっちゃば)と共に江戸三大市場として栄えた場所。
元和年間は御府内に多くの浄土宗寺院が創設された頃でもある。

昭和12年に「中央卸売市場法」の改正によりこの地から現在の巣鴨に在る青果市場に移転された。
存じ上げているので毎年興味深く拝見している。
駒込土物店(市場)の由来、経緯等が詳しくこの石碑に刻まれている。

 

市場(やっちゃ場)の起源は天栄寺境内にそびえていた「サイカチ」の大木の下で旧・岩槻街道や中山道から御府内に運び込まれる野菜をお百姓さんや人夫の人々が休憩をする

場所になっていたようだ。

その新鮮な土の付いたままの野菜を求め地元の人々も集まり自然発生的に市場が、、

後に幕府公認の「江戸三大市場」となった。

 

昭和12年3月25日に「中央卸売市場法」が改正され現在の巣鴨中央卸売市場青果市場に移転。

 

天栄寺様では毎年春季彼岸明け頃の3月25日には石碑の前に「土物」野菜をお供えして法要が営まれている。


天栄寺境内とご本堂

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ご本堂の屋根は六枚の蓮の花びらを模したような独特のデザイン。
雨水はどのように排水しているのか??

御本尊様へお説教前の御挨拶。
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脇侍の善導大師様や法然上人のお像も数年前から明るく照明が、、、

午後1時から法要に先立ちお説教席を頂戴しお取次ぎをさせて頂いた。

 

いつものお説教の席では慈眼院先代住職のお袈裟を被着するのだが本日は天栄寺先々代御住職の33回忌の時に頂いた夏衣の「如法衣」(お袈裟)を毎年被着してお説教をさせて頂いている。

私の寺の先代住職(実父)も平成4年、84歳までこの御本堂でお施餓鬼法要前のお説教をさせて頂いていた。
有り難い仏縁を頂いている。

私のお説教の後、午後2時からは部内寺院住職方も随喜されお施餓鬼法要を厳修。
 

表白の奉読

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本日の法要の趣旨を奉読される。

この表白をお聞きしておいとました。

 

実は天栄寺先代ご住職が去る23日に御遷化された。

先日、枕経にお邪魔をしたときは掲げられていなかったが本日到着したら本堂前に高札が、

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先代御住職が遷化された旨をお伝えする文。

 

来月3日に通夜、4日に寺院関係での葬儀が、、

お檀家様には7月5日に表葬儀が厳修されると伝えられていた。 南無阿弥陀佛
 


西巣鴨(庚申塚) 西方寺 施餓鬼法要説教席

本日は正午頃に出発して豊島区西巣鴨(庚申塚)近くの西方寺へ向かった。

 

法要前、午後1時からの御説教の席を頂戴していた。

副住職は三年ほど前から西方寺を会所(会場)にお借りして「法話とお念仏の会」を企画。

もう一人の増上寺布教師会の仲間と毎月30分程のお檀家様にも分かりやすい法話と別時念仏会を御住職の薦めで開催している。

西方寺山門

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既に多くのお檀家様はお昼の「お齊 おとき」(お食事)を済まされご本堂は向拝の回り廊下まであふれていた。

西方寺のお施餓鬼のお説教には慈眼院先代住職も昭和42年から平成2年(82歳)まで23年間お邪魔をしていた。
私も若い頃(昭和40年初頭)、東京教区豊島組の青年会が自主的に発足したその少し前に西方寺先々々代ご住職のお招きで西方寺を会所(会場)に法式(法要の作法)や大学の先生をお呼びしての勉強会等を開いていた。
まさに豊島組青年会の原点のお寺だ。

先々代御住職も豊島組組長や宗議会議員等をお勤めになりご教導頂いた。

ご本堂の反対側には「一誠観音」さま
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下の銘板には、、
銘板
先々代住職が戦時中に学徒出陣で昭和19年に海軍兵生教育部で初級将校、昭和20年6月に海軍少尉。兵学校当時に同期のお仲間と「海軍一誠会」を結成。
同期の戦没者六十有八名の追悼の為に昭和50年に永代供養塔として建立された。

お邪魔をするたびにお参りをさせていただいている。

御本堂では三味線の清興
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玄関、墓所への参道
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いつも植木の手入れも行き届いていて清々しい、、、

お檀家様の前で午後1時から法要前の説教席。

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毎年、本当に大勢のお檀家様がお詣りに来られる。

 

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午後2時からはお施餓鬼の法要開始。
ご住職による「表白」(ひょうびゃく)

本日の法要の趣旨を述べられる。
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ご本堂も広いのだがお檀家様が大勢で向拝の周り廊下にもいらっしゃるので施餓鬼壇(五如来壇)は向拝側に設えることが出来ずに御本尊様の前に、、

お陰様で無事に一時間のお説教席を務めさせて頂き法要開始後においとま、、、

 


PS
三年前はこのオーディオルームが説教前の控えの間だった。
応接間兼オーディオルーム
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昨年スピーカーの間や奥にある縦横の木製の棒は部屋の音響を整えるものだと、、、

 

スピーカーは懐かしいTANNOY!! 昭和20年代後半の箱!

火を入れて下さったが懐かしい真空管の明かりが、、、、

本日は少し早めに到着したのでご住職はクラシックとジャズのさわりを聞かせてくださった。

勿論、法要で多くの方がお隣の部屋にもいらっしゃるので小さな音だったがアンプもさることながらTANNOYのスピーカーからは繊細なピアノの高音のタッチや大胆なベースの音も、、、、

 

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お好きな方はすぐお分かりのフルセット、、


御住職のご了解を頂いているのでアップ、、

 

本日は例年の控えの間

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入室して直ぐに気が付いたのだが床の間の引き戸の色合いに、、

お聞きすると最近京都の「唐紙 からかみ」を扱う業者さんに依頼して表装し直したとお聞きした。

波の模様に濃淡の青(水色)が映えていた。

お若いのに素晴らしいセンス!!
私一人の為の控えの間だったので床の間を背にする上座から下座に座布団を置き換え眺めてしまった。


明日もお説教が続くので澤蔵司稲荷ご本堂のご相談はお休みとなる。ご了承ください。
 


本郷 昌清寺 お施餓鬼会法要 説教席

本年の5月は東京地方は豪雨の日もあれば23日から昨日までは30度℃を超える真夏日が続いていた。

昨日は北海道帯広方面は37度を超える異常なお天気。

 

今朝も都内は早い時間に26度℃を超え真夏日になるとの予報が出ていた。

本日は正午過ぎから文京区本郷に向かった。

毎年、5月27日は本郷壱岐坂の昌清寺様のお施餓鬼法要の説教席を頂戴している。

距離的にはそんなに遠くは無いのだが小石川台を下り後楽園から本郷台に登るので車で、、、


昌清寺様は自坊の先代住職(私にとっては師僧でもあり実父)も昭和31年から37年間、
85歳までお説教席にはお邪魔をさせて頂いていた。
まさに現・御住職や副住職さんを含め親子三代に亘るご縁、、、、

昌清寺は山門を入ると駐車場の脇に松尾芭蕉翁の「花見塚」の句碑が有る。

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この「桜狩り きとくや 日々に五里六里」の句は貞享5年(1688年)に吉野で詠まれた句とされ寛政八年(1796年)に初代の「花見塚」が建立されたと伝わっている。
さすが芭蕉翁は健脚だった、、、

しかし塚は長年の風雪や昭和20年の空襲の被災で壊れてしまっていた。

先代御住職は句碑の記述がある「茗荷図絵」を東京大学の図書館で閲覧して昭和59年に復元、建立された。

その頃に所用でお邪魔をすると用件はすぐに終わったが先代様からよく苦労話を伺った。


先代御住職も苦労された句碑を自慢されていた。 笑顔が忘れられない。

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慈眼院・澤蔵司稲荷の境内にも芭蕉翁の句碑が建立され現存しているのでいつも気になり一枚パチリ、、、

芭蕉翁は伊賀のご出身で昌清寺の近くの壱岐坂に戸田権大夫公のお屋敷が有り同郷という事で良くお出かけになられ自坊の境内の句碑「一時雨 礫や降って 小石川」をお詠みになったとも場所とも伝わっている。

時間があったので墓所もお詣り、、
墓所中央の合祀墓「倶会堂」

右わきには歴代墓も、

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昨年は先代ご住職の23回忌も厳修された。

 

墓所入り口のお地蔵様

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4年前に「昌清寺 開創400年」と浄土宗宗祖法然上人の「800年大遠忌」を記念して建てられた書院新玄関
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お説教は午後1時からだがお檀家様は正午前にはお集まりになり「お齊 おとき おしのぎ」のお食事中なので境内は静か、、

ご本堂で御本尊様に御挨拶
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徳川家康公の念持佛とも伝わる身丈三尺の素敵な阿弥陀様。


外陣飾りの餓鬼壇。「五如来壇」とも呼ばれている。
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「三界萬霊」のお位牌と共に「戦争 戦災 地震」等で亡くなられた諸々霊位のお位牌も、、


一番右側は400年続くお檀家様の「過去帳」

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元和元年の開創以来の過去帳。

副住職にお聞きするとこれは複写(書き写し)した過去帳で現存する本物の過去帳は大切に金庫に保管されているとの事。

昭和20年5月の山手大空襲でもご本尊様と共に墓所中央の合祀墓に先代ご住職が納め被災を免れた。

 

昨年の先代23回忌法要の時に話題になった善導大師さまと法然様の額。

ご本堂内と裏堂との境(長押の上)の出入り口頭上に掲げられている。

 

昭和50年代に先代住職が日本橋高島屋の地下での骨董市に出かけ法然様のお姿が描かれたこの額を見つけられた。

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ご先代様は必ず対でもう一つあるはずだから探してほしいとお願いしたがその時は見つからず。

 

後日、連絡があり高島屋に出かけると善導様のこの額が、、

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高祖善導様と宗祖法然様の二祖様が揃われたとお喜びになられたことは当然。

この二つの額を近づけると「二祖対面」のお姿。

素晴らしい仏縁で昌清寺さまに奉安されることに、、

このお話もお檀家様にご紹介することが出来た。

 

午後1時から法要までの約50分間ほどお説教の席でお話をさせて頂いた。

準備していたお話よりもアドリブが多くなりすぎたか、、、
満堂のお檀家様も熱心にお聞きくださり感激。


昌清寺は武蔵野台地の東端の本郷台、後楽園のドーム球場を挟み西側の自坊の高台は小石川台。
昔は後楽園方面に高い建物も無く自坊境内からは昌清寺様方面はまる見えだった、、
 

お陰様の一日。


本所横川 霊性院 お施餓鬼法要 説教席

本日は正午前に墨田区横川の霊性院に向かった。
御住職は青年会時代からのお付き合い。
副住職同士も同い年で様々な場面でご一緒させて頂いている。

 

霊性院様はお檀家様がお気軽にお参りにお越しくだされるようにとお施餓鬼法要は5月下旬の日曜日に厳修される。

今まで何回もご依頼を頂いたのだが5月下旬は毎年日にちの決まっているお寺と重なってしまい本日が二回目。

お十夜法要は10月中旬頃の日曜日だがこちらは若干日程的に余裕があるので5回ほどお邪魔をしている。

 

だだ本所横川までは春日通りで一直線なのだが湯島天神様では本祭りの真っ最中。

本社神輿の渡御に遭遇すると渋滞するので余裕を持って正午前に車で出発した。

特に本日はアメリカ合衆国トランプ大統領も来日中で午前中は首相と千葉県でゴルフだったようだが夕方から国技館の大相撲をご覧になるとの事で検問のための渋滞も考え早めに出発した。


霊性院正面 右の唐破風のお屋根は地蔵堂

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昨日よりも暑くなり二日続きの真夏日になると朝から報道されていたが車の外気温計は34度Cのままだった。

 

若干の遠回りをしても早めに到着できた。

 

霊性院様の一本東側のブロックの通りからは北にスカイツリーがよく見えるので時間が有ったので撮影に。

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以前、御住職からこの通りは隠れたスポットなので道路を改修すると伺っていた。

 

案の定、邪魔だった電信柱や電線も昨年撤去され歩道も綺麗に、、、

 

歩道脇には「タワービュー通り」の案内板も、

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5年前のお十夜法要でお邪魔をした時の同じ場所からのスカイツリー

電線が本当に邪魔をしていた。
スカイツリー
スカイツリーから南下して交差する春日通り、蔵前通りまで整備されたようだ。
スカイツリーから錦糸町駅へは絶好の抜け道かも知れない。

 

山門を入ると右手に「子育厄除開運地蔵尊」がお出迎え。

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江戸・正徳年間(約300年前)に境内の井戸から出現されたとの縁起も残る。

大正12年の関東大震災前までは14・24日のご縁日には門前に60以上の屋台も出て大変賑やかだったようだ。

その後、石像のお地蔵様は大戦の大空襲でも大きな損傷も無く今に伝わり地域の安全を見守られている。

お邪魔をするたびにお詣りをさせて頂いている。

私は午後1時から約一時間の説教席。

その後、2時から部内・関係ご寺院住職方の随喜でお施餓鬼法要開始。


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霊性院は書院・玄関や庫裏は25年ほど前に鉄筋コンクリート造で完成したがご本堂は以前のままの木造。
広いお玄関のスペースにもお檀家様はお座りになる事が出来る。

出仕寺院御住職方の両脇の間にも大勢のお檀家様がお座りになられている。


逆に私のお説教中には法要にご随喜・出仕のご寺院方の到着も確認出来る。

私のお役目が終わったのでご寺族にご迷惑にならぬよう早めにおいとま。

 

帰路は国技館からかなり離れた春日通りでも検問の準備中で多くの警察車両が停まっていた。

 

湯島天神様のお祭りの神輿渡御も避けたいので帰路も遠回りの言問通りで戻った。

大正解!!

 

また明日からも関係寺院でお施餓鬼法要の法話を依頼されているので澤蔵司稲荷  ご本堂でのご相談は今月いっぱいお休みとなる。


本日は傳通院でのお施餓鬼法要

本日も東京地方は昨日に続き30度Cを越える夏日なると朝から報じられていた。

 

あの風薫る皐月五月は何処へ?

 

今日は自坊の本坊である傳通院のお施餓鬼法要が厳修された。

 

既に夏衣の絽の道衣を被着して出かけたが紗を着てもおかしくない気温だった。

 

 

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現在境内の鐘楼堂は木造に再建途中

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法要中の堂内は空調も効いており昔に比べ格段に快適になった。

 

帰寺して知ったが3時過ぎに関東地方に地震があったようだが全く気がつかなかった。

 

明日からも今月は30日まで関係寺院でお施餓鬼の説教(法話)席を頂戴しているのでご相談事はお休みになりますのでご了承を、、

 

 


武蔵野市吉祥寺 光専寺 法話席

本日は午後3 時からお施餓鬼法要会が厳修される武蔵野市吉祥寺にある光専寺に向かった。

依頼されている説教席(法話)は午後2時なのだが遅刻は出来ないので正午頃に自坊を車で出発。


以前は東京メトロと中央線でお邪魔をしていたのだが御住職から駐車場のご用意が有るとの事で4年前からは車でお邪魔をしている。

私は説教席のみで法要には随喜せずおいとまするので駐車場は出やすいようにとのご配慮も、、
 

昼時でもあり一般道も高速道路もスムースで40分足らずで到着してしまった。

 

自坊を出掛けるときに既に外気温は28度℃を超え30度℃を超える真夏日になるとの予報も出ていた。

 

光専寺

 

山門

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晴天で太陽もじりじりと照りつけお参りの方も汗だく、、


御本堂
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ご本堂は昭和初期の建造で数年前に耐震工事を済ませた。

 

書院玄関も立派

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写真からも暑さが感じていただけるのでは、、、、


時間が有ったのでお玄関に御邪魔をする前に境内を拝観参拝、、

墓地に向かう参道の地蔵尊
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本日は24日でお地蔵様のご縁日でもあり私もしっかりお参りをさせていただいた。


先代御住職の御発願で建立された水子地蔵尊もお詣り。
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光専寺歴代御住職のお墓も、

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若い頃に御教導賜り私の寺の先代住職(実父)も30年近くお説教にお呼びくださった御先代住職の23回忌の角塔婆も、、

一昨年厳修された。

私も若いころからご教導賜った。

 

御本堂内陣 御本尊様へご挨拶。
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お説教には一時間ほど前だったが堂内には「お斎 おとき」(お食事)を済まされたお檀家様も既にお座りになられていた。

 

左脇陣には「箪笥 たんす 地蔵尊」
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以前、御住職からお聞きしたが御厨子のお地蔵様を手前の箪笥のような箱に収めまさに和箪笥のように鍵手が着いており駕籠(かご)のように担いで「出開帳」をしていたとの事。

私の師僧(実父)も記録によると平成元年(82歳)まで光専寺様のお施餓鬼会やお十夜法要のお説教席に御邪魔をしていたと有るので師僧の愛用していた「如意」や「お袈裟」(遺具)を着けさせて頂きお説教をさせて頂いた。

現御住職とは大学時代からのお付き合いで御内室とも結婚前から存じ上げている。
有り難い「ご縁」

お陰様で帰路もスムースで午後3時過ぎに出発したが4時頃には帰寺出来た。

 

今日も有り難い一日。感謝

 

明日からも猛暑が続くようなので熱中症にはご留意いただきたい。

 

30日まで連日関係寺院でお施餓鬼法要が続くので稲荷ご本堂でのご相談事はお休みになっておりますのでご了承を、、
 


本日もお施餓鬼法要説教席(法話)

本日は正午頃に文京区小日向(東京メトロ 茗荷谷駅近く)の深光寺に向かった。

一昨日の暴風雨とは打って変わり昨日・本日は暑いくらいの良いお天気。

住職は同じ中学・高校の先輩だが浄土宗の僧侶になる最後の行である傳宗傳戒道場は同行。
先代御住職さまにも若い頃から御教導賜った。

 

実は先輩でも有り傳宗傳戒道場も同行の御住職は昨年10月に高校の同期会の打ち合わせ会の帰路に御自坊山門のすぐ近くまで戻られたが虚血性心不全で急逝された。

大学時代はアメフトの選手としても活躍され持病もお聞きしたことが無かったので訃報が飛び込んできたときはまさに青天の霹靂だった。

その時期は秋のお十夜法要が続き御自坊の十夜法要を予定していた日に表葬が執り行われた。

 

本日は新住職(新命住職)が初めて導師を務めるお施餓鬼法要の説教席のご案内を頂いていた。

深光寺墓所には江戸時代、「南総里見八犬伝」で有名な戯作者「滝沢馬琴翁」の墓が有る。
境内入り口の文京区教育員会の案内板。
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小石川七福神の「えびす様」もお出迎え、、
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文京区では史跡巡り・文学散歩のコースが設けられているが東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷駅」から後楽園、「本郷三丁目駅」にかけていくつもある。
慈眼院・澤蔵司稲荷境内にも史跡巡り、文学散歩、小石川七福神巡りの大勢の方々が訪れるがこちら深光寺さまがスタート地点か最終地点になる。

馬琴翁と奥様であるお百さんのお墓。
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馬琴公は「蓑笠」(みのがさ)の別号が有るようにお墓にも「蓑笠」がのっている。

毎年のようにご紹介しているがお墓竿石の下の台石には家を形取った 馬琴翁の「蔵書印」が刻まれている。
蔵書印
いつも思うが江戸時代のデザイナーのセンスに驚く。

境内には滝澤家の歴代墓も、、
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墓石の上にお地蔵様がのる珍しいお墓。

今となっては御先代住職になってしまうがこのお墓も馬琴翁の発願で自らデザインしたとのこと。
自筆のお墓の図面が残っているようだ。
よくご覧になるとわかるが墓(四角の胴体部分)の左後角が欠けているが建立の時に石工が境内に運び上げたときに誤って落とし欠けてしまったとの事。
それを見ていた馬琴公は「いいよ、、」と仰り角が欠けたまま建立されたようだ。
その時の経緯は古文書にも残っているとお聞きした。
馬琴翁はお心がお広かったようだ。

寛政元年(1789年)に深光寺第八世上人が建立した「厄除観音塔」

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まずは御本尊様へ御挨拶

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昭和20年5月25日の山手大空襲では被災を免れた鎌倉期の素敵な阿弥陀様。

 

昨晩、新命住職の継承式を私のお説教のあと施餓鬼法要の間に執行した方が良いと急遽決まり本尊阿弥陀様の御前には遺影とお位牌を、、、


午後1時からお説教の席を頂いた。その席でも法要前に継承の儀の作法を若干ご説明をさせて頂いた。

 

継承式

所属御部内長老上人から浄土宗御門主から頂戴した「住職認証」書の伝達

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引き続き歴代御住職がお使いだった水冠・払子の伝達も滞りなく。

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その後、午後2時からご部内寺院御住職方と共に法要が、、、

本尊前から転座をして施餓鬼壇の前で新命住職による「表白」の奉読
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本日のお施餓鬼法要の趣旨を奉読される。 初めての表白奉読で緊張されたか、、、

 

継承式では出しゃばってお説教後、衣・如法衣のまま司式(司会)までさせて頂いた。

御遷化された先輩御住職にお喜び頂けたか、、、

 

明日は吉祥寺の仲間のお寺のお施餓鬼法要。


お施餓鬼法要 本日は深川へ、

現在、浄土宗でも特に東京はお施餓鬼法要のシーズン真っ只中、、、、、

本日は深川・長専院さまへ

 

一昨年のお施餓鬼法要は大学時代から公私ともにお付き合いがあった先輩である住職が副住職さんへ住職を継承すると表明した法要でもあった。

 

2年前、秋のお十夜法要の時に現御住職が新住職(新命)として継承した。

先輩である前住職とは傳宗傳戒道場も同行。


もう45年程、法要等の行事にはお邪魔をしている。
本日は午前10時過ぎに車で自坊を出発。
東京地方は昨日強風と豪雨だったが本日は晴天で夏日になる予報も朝から報道されていた。

深川へは文京区からは大川(隅田川)を渡らなくてはならず清洲橋通り経由で、、
隅田川にかかる橋では一番好きな清洲橋を渡る。
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残念ながら東京五輪に向けて昨年から塗装やライトアップ?の工事中でまだ足場が組まれていた。

 

お隣の霊巖寺境内に車を停めさせて頂き長専院へ

私の先代がご依頼を受け揮毫し字刻された石柱

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境内の不動堂

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近年は正月だけになってしまったが護摩の修行も同行で以前は正五九の護摩供には太鼓を叩きにお邪魔していた。

 

長専院本堂
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長専院は関東大震災と昭和20年3月10日の空襲で消失し先々代住職は二回ご本堂を再建した。

先輩が住職時代の10年ほど前に瓦葺きの本堂を耐震も考慮して屋根は銅板葺きに。


空襲の時、先々代住職は町内の役員をされており清澄庭園へ町内の方々を避難誘導している最中に本堂が焼け御本尊様も消失してしまった。

本所・深川は関東大震災と空襲で灰燼ときし多くの犠牲者がでた。

先々代御住職が御遷化後に先々代御内室のご希望も叶い10数年前に鎌倉期造立の立像の阿弥陀様をお迎えできた。
その阿弥陀様は平成21年に江東区の指定有形文化財(彫刻)に指定された。

教育員会が境内に設置した説明板。
掲示板
掲示板には写真も、、
掲示板2
 

早速ご本尊様にご挨拶
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本当に素敵な阿弥陀様。

 

先々代御住職がお迎えした終戦後のご本尊様は脇の位牌壇へ

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午後1時半からお施餓鬼法要
施餓鬼法要の趣旨を述べる「表白 ひょうびゃく」の奉読。
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素晴らしいお天気に恵まれ多くのお檀家様がご参列だった。

 

帰寺すると今朝、日光から搬入された日光杉の鳥居二基も職方により建ち上がっていた。

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霊履(お穴さま)から奥の観音堂に通じる階段手前の鳥居と階段途中のが鳥居が新しく、、、

 

奥の院に向かって奥行きが感じられる。

以前にもあったのだが不朽して取り払われていた。

まだ奥の院に向かい建立のスペースがあるので御奉納は受付中。

 


本所 華厳寺 施餓鬼法要 説教席

都内では皐月五月はお施餓鬼法要のピーク。

 

東京地方はここの所夏日になったり突然雨が降ったりと不安定なお天気が続いていた。

昨日は最高気温が25度Cを超える「夏日」だった。

 

本日も夏日に近づく気温だったのでは、、


本来、我々僧侶は原則、夏衣への衣替えは6月1日から。

しかしあの東日本大震災での電力不足からクールビズも定着してお役所や企業でもノーネクタイや半袖でも。

我々も近年は前倒しで5月の法要も「夏衣」が多くなり助かっている。

衣と如法衣は絽ではなく一気に「紗」へ、、、

本日は浅草では「三社祭」一宮・二宮・三宮の本社御輿の町内渡御、、、、
早朝に「宮出し」、、、
本所までは自坊から春日通りで一直線。

しかし本社神輿の渡御に遭遇し交通渋滞の心配もあるので早めに正午前に出発。

本日お邪魔をした本所・華厳寺の住職とは中学・高校も港区の男子校で同期、大学も同期、浄土宗の僧侶の資格を頂く修行・傳宗傳戒道場も同行でしかも同じ班だった。
卒業しても友人として12歳で中学入学から既に60年の公私に亘るお付き合い。

一昨年は「古稀」を迎えた。

午後1時からのお施餓鬼法要前の説教席(法話)を依頼されていたが道路は何事も無く空いており早めに到着。

華厳寺山門

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六地蔵様がお出迎え、、

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本所は深川同様、関東大震災・昭和20年の大空襲では火災により多くの犠牲者が、、

その慰霊の為のお地蔵様も祀られている。

 

山門右手にはお閻魔様の御堂が有るがその前には立派な枝垂れ桜。
実はその前に植わっているモミジは若い頃にお世話になった華厳寺先代住職の13回忌の時に私の寺の境内から移植をした。
六地蔵様の横(右の白いお花の手前、「えんま堂」の掲示のうしろ)のモミジ。

前にもお伝えしているが慈眼院・澤蔵司稲荷にはモミジの古木が数本有り毎年紅葉と共に落ちたモミジの種から沢山の実生が育つ。
30数年ほど前は初夏に芽を吹く実生(双葉から本葉が二枚出た状態のチビちゃん)を一本ずつ植木鉢に移植して育てていた。数は数百本か、、、、
現在(今頃)も境内には無数の双葉が、、、
ちょうど31年前に境内に芽生えたモミジの実生を植え替えている時に一本の電話が、、、、
華厳寺御先代の御遷化の訃報だった。

しかし、なかなか育たないモミジもその年は8本ほどが元気に育った。
12年後の13回忌の時に現住職(友人)に「一本あげるよ」と持ちかけたら「是非!」と言うことで車で届けた。
彼も丹精を込め育ててくれてこんなに大きくなった。
今年34歳になる。  
澤蔵司稲荷境内のモミジ数本とは兄弟。
当時、運んだ時は乗用車に乗る親指ほどの幹の太さだった、、、

墓所入り口のお施餓鬼や十夜法要の時に楽しみにしている住職自作の案内ポスター

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玄関先の掲示
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本年は言葉では無く「令和元年」、、、、    達筆だな、、、、、


まだワープロも無かった時代に彼は「ガリ版」の原稿を切るのが得意で青年会時代は良くお願いした。
当時、寺内に幼稚園も有ったので和文タイプライターも導入したのでお世話になった、、、

 

早めに到着しお檀家様がお齊(お弁当)を召し上がっている時間なので御本尊様にもご挨拶。

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落語の高座の前に本堂で写真を撮らせて頂き施餓鬼壇(五如来壇)も、、
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12時半からは本堂で私の法話前に清興の落語。
高座は第6代目 柳亭左龍師匠。

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師匠は下町にお住まいで控えの間では一年ぶりの再会で控えの間で夏衣や三社祭、出囃子の話題で盛り上がってしまった。

 

控えの間に戻る前に書院の住職の「趣味の間」を撮影
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秋の十夜法要やこの時期のお施餓鬼法要に御邪魔する時は楽しみにしている。

壁の掛け軸の戯画は私の寺の玄関に掲げてあった軸。
私の母の通夜・葬儀にお手伝いに来てくれた時に気に入り彼がどうしても欲しいと言うことで華厳寺の本堂・庫裏の修復落慶法要の時にお祝いで差し上げた。

 

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以前は古い雅楽の笙や龍笛、壺や茶器もあったが昨年模様替え、、

昭和のビデオデッキやフィルムの8ミリカメラも、、、

下段のSony F1のデッキは私も子供のお遊戯会や背負子で担ぎスキー場で大活躍した。

現在もベータのビデオの再生には使用している。

 

最近は鉄瓶に凝っているのか??

落語の高座のあと、午後1時から50分間ほどの説教席を頂戴してお檀家様の前でお話をさせて頂いた。
お施餓鬼の法話は勿論だが60年に亘る友人のが住職なので悪口ばかり、、、
素晴らしい彼の性格や人柄は当然お伝えしたが、、、、

私の役目はここまででお施餓鬼法要には毎年の事だが出仕(随喜)せず、、
たまにお十夜で太鼓を叩いた事も有ったが、、、

午後2時からはお施餓鬼法要が始まりご本堂での施餓鬼壇の前で法要の趣旨を述べる「表白 ひょうびゃく」の奉読をカメラに納めた。
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帰路は昨年三社祭りのお神輿に春日通りで遭遇してしまい迂回を余儀なくされたが本年はストレートで戻ることが出来た。

 


染井 専修院 施餓鬼法要

連休も終わりいよいよお施餓鬼法要のシーズン、、、

 

自坊と兼務寺のお施餓鬼法要は先月末に厳修。 まだ平成だった。

 

お施餓鬼の法要は教義的には期日(日にち)規定がないので特に戦後はお盆の頃から気候の好い五月に厳修するお寺が増えた。

特に東京地方は5月の法要が圧倒的に多くなった。

 

本日は令和と改元され初めてのお施餓鬼法要。

午後1時からのお説教の席を頂戴していた。もう15年以上前から、、、

 

御先代同士は同年代で親交を頂き現住職とは学生時代から半世紀のお付き合い。

特に青年会活動はいつも一緒だった。

現在は副住職同士も同世代で共に活動をしている。

現在、副住職さんは東京教区の青年会の会長をなさりお忙しい日々。

 

東日本大震災以降、節電も含めクールビズも定着。

我々も本来は6月1日からが夏衣への衣替えだが前倒しで5月から夏衣(絽や紗)が多くなった。

ただ今朝も東京地方は最低気温が一桁の7度Cほどで肌寒かったが晴天で正午前に出かける頃は暑く感じる気温になっていた。

 

本日が私にとっては今年初のお施餓鬼法要でのお説教席。

 

専修院山門入り口脇の無縁塔。毎年の事だが藤棚の花も終わっていた。

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実は一昨年の4月末に自坊の境内整備のおり見つかった「板碑」

板碑は戦国時代の鎌倉期から南北朝、室町時代に武士の間で板碑(石塔婆)の奉納が鎌倉街道沿いに盛んに行われたと伝わる。

 

見つかった自坊の一枚は南北朝 北朝暦應四年(1341年)と鑑定された。

感激したのは浄土宗第七祖聖冏(繊月)上人がお生まれになった年に造立奉納されたと判明。

 

本日の専修院さまのお檀家さまの何人様かは小石川傳通院を会所(会場)に800年御忌記念の地元 豊島組主催の五重相伝会や授戒会にもご参加下さっているのは存じ上げていた。

傳通院の前身である壽経寺は聖冏(繊月)上人の開山。

その為、五重相伝を確立された第七祖聖冏(繊月)上人のお話しも交えようと考えていた。

 

正午過ぎに到着すると本堂では落語の清興中だったので参道付近の歴代墓と共に昨年偶然遭遇した専修院さまの板碑にもご挨拶。

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阿閦如来を主尊に下段は文殊・普賢菩薩の梵字が読み取れる。


20年ほど前に地元、豊島区の教育委員会が調査をされこの板碑は乾元二年(1303年)鎌倉期の建立との事。

豊島区の文化財にも指定されている。

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自坊の板碑もそうだが字の如く厚さは7冂の薄い石塔婆。

考古学的には「板碑」と呼ぶジャンルとお聞きしたことが、、

 

時間も迫ったのでご本堂へお詣り。

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例年通り清興は柳家小袁治師匠の落語の高座。

 

御住職はじめ内室、副住職さんもお玄関でお迎えくださった。

 

実は現・御住職は本日のお施餓鬼法要で御退任。

御先代ご住職も古稀をお迎えになられたあと現・ご住職に継承された。

私より二歳年下だが数年前から本日の事はお考えになられていた。

 

三十八年間お勤めになられ平成10年には立派な現在のご本堂や書院を再建された。

まだ宗門はじめ行政にも様々な手続きが有るので正式なお披露目は11月になる。

 

お玄関に飾られた身の丈20センチほどの指人形、、

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御住職にそっくり(^o^)

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私はお説教席のみなので法要の開始直後を撮影させて頂きおいとま。

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11月のお十夜の法要で住職晋山(継承式)を挙行して新住職(新命)がお導師を務められるので本日が最後のお導師となる。

 

山門を出たら教育委員会の掲示板が、、

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お読みになりにくいので改めて、、、

 

専修院

専修院は、元和3年(1617)に(一説に慶長2年=1597)開山である得蓮社業誉上人迎阿弁教和尚が江戸の浅草新寺町(現台東区松が谷1丁目)に創立した浄土宗の寺院であり、正式には正業山専修院迎接寺という。本尊は阿弥陀如来である。
その後、東京府による市区改正事業のため、明治41年(1908)に浅草区北松山町61番地から北豊島郡染井888番地(現在地)に移転し、現在に至っている。この土地は、江戸時代に多数の植木屋が集住していた上駒込村を代表する伊藤伊兵衛の屋敷跡と考えられ、平成9年4月から6月にかけて実施された埋蔵文化財発掘調査では、おもに植木屋が繁盛した江戸時代後半の遺構が発見された。建物の礎石や地下室のほか、溝や生垣を何度も作りなおした跡などがあり、広い敷地の中を区切って利用していた様子がうかがえる。さらに縄文土器も出土しており、周辺に縄文時代の遺構が広がっていることも確認された。
境内には、伊兵衛に関係するとみられる寛永18年(1641)造立の宝篋印塔をはじめ、乾元2年(1303)造立の板碑、富士講先達の元祖である藤原角行や浄瑠璃の富本節家元である富本豊前掾代々の墓など、多くの貴重な文化財が残されている。

          東京都豊島区教育委員会

 

 

参列のお檀家さまも法要後にはお墓参りを済ませ「板碑」をお詣りしてお帰りなられたのでは、、

 

出かける前は連休開けで多忙だったのでお昼の食事抜きだった。

早速、頂いてきたお弁当を、、

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お檀家様も召し上がるお昼のお弁当(お齋 おとき)、

掛け紙には豊島組教化分団編纂の「食前のことば」が、

「みほとけと 天地の恩恵(めぐみ)ありがたく 南無阿弥陀佛 いただきます」

有りがたく頂戴した。

 

お陰様の一日、、

 


江戸町火消 元「六番組」  月例会

毎月、お伝えしているが南町奉行・大岡越前守が300年ほど前に制定した江戸町火消「六番組」であった「元六番組」「元六睦」の月例会。

六にちなみ毎月六日に澤蔵司稲荷書院で開催されている。

 

所属、元・六番組の頭取中(組頭・副組頭・小頭) が集まる。


江戸時代の町火消しの組織「いろは四十八組、本所深川十六組」は明治時代になり明治5年に「市部消防組」として改編。

その後、近代消防に移行したことに伴い江戸時代の火消しの文化・伝統等を継承する為に江戸消防記念会の前身組織が明治後期に組織された。
現在の「一般社団法人 江戸消防記念会」は 全体で11の区で組織されている。

 

 

小石川の地元は現在、江戸消防記念会第四区で二番組だが江戸時代には六番組「な組」として町火消しを担っていた。
その江戸時代の「六番組」はその組織を継承するために現在でも「元六番組」「元六睦」として現在の江戸消防記念会第四区とは所属がダブる組とダブらない組もあるが受け継がれている。
第四区では「な組」(現・二番組)「む組」(現・七番組)「う組」(現・二番組)が所属。
第三区と第九区の一部が近年復活して組頭・副組頭・小頭等30名ほどの頭取中がお集まりになるので書院も手狭、、、
 


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我々は会議での開式・閉式はお十念だが頭取中は開式・閉式は一本締め。

 

一ヶ月間の報告や御礼、昇進のお祝い等が、、、

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昨年は江戸町火消が制定されて三百年の年に当たり様々な記念式典も開催された。

 

一本締めで閉式後、本日は目黒・祐天寺様の慰霊碑にもご参拝に、、



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袢纏の腰の部分の白抜きの本数で何区か識別できる。
第四区は四本、第三区は三本、第九区は九本。
奇数の区は直線で偶数の区は曲線で波打っている。
 

役袢纏の白抜き四本は第四区の頭取中

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お見送りしたあとの境内。 すっかり新緑の緑が濃くなった。

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参道手水舎の向かい側の江戸町火消「な組」の木遣塚。

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3年ほど前に境内に建立。

当時は「な組」の真棒のみが中央にあったが一昨年その両脇に観音様とお地蔵様が祀られた。

真棒脇には宗祖法然上人の御名号も。

その為に木遣塚の建立の意味が明確になりお詣り頂く方が増えた。

 

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「令和」を迎え初めての法務

昨夕、31年間の国民にとって象徴天皇としてお勤めになられた平成明仁天皇が御退位され上皇となられ本日「令和」の元号で徳仁殿下が百二十六代天皇に即位された。

 

本日の令和の最初の法務は毎月一日(ついたち)の例月大護摩供厳修。

 

午前6時に開始。

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お伝えしているように越年、例大祭、初午、節分等の護摩供ではご本堂には御信者様で満堂なので護摩壇の側までお越し頂けないが例月大護摩だけは直接護摩の炎にお近づき頂くことが出来る。

 

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祈祷文の中で初めて「令和元年五月一日」とお読み上げした。

 

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新天皇ご夫妻、上皇、上皇后様の玉体安穏 聖化無窮も御祈念申し上げた。

 


浄土宗豊島組総会&梯子乗り・木遣り稽古千秋楽

本日は自坊が所属する浄土宗豊島組総会が傳通院に於いて開催。

 

総会に先立ち午後3時より役職者の総会前の打ち合わせで傳通院へ。

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役職者委員会後、午後4時からご住職方、寺庭会会長等も集合してご本堂で組長上人の御導師のもとお別事の法要。

この一年間に御遷化された御住職の御回向も、、、

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その後午後6時過ぎから会館で懇親会。

ご馳走を頂いたが自坊では江戸消防記念会第四区木遣親聲会の梯子乗りと木遣り稽古の千秋楽。

 

午後8時に帰寺するとちょうど本梯子が立ち頭取中に稽古の成果をご披露するところだった。

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稽古納めの手締め、、

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その後、ご本堂で千秋楽の木遣りの奉唱。

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お陰様で怪我も無く終了したとお聞きした。

 

豊島組総会後の懇親会も中座せずギリギリ間に合った。

 

これからのご活躍を祈念。

 


江戸消防記念会第四区木遣親聲会の梯子乗りと木遣り稽古始め

今晩から恒例の江戸消防記念会第四区木遣親声会の梯子と木遣り稽古が始まった。
毎年4月下旬には親声会の木遣と梯子乗りの稽古がある。

筒先・道具中は6時半頃から梯子の締め直し

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稽古用の低い梯子は足場パイプに固定される。

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足場パイプに固定された低い稽古梯子での稽古

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今年は普賢象の八重桜も満開

 

三間半の本梯子も新春出初め式以来で締め直しも終わり待機中。

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長鍵(飛び口)で12人で垂直を保ち支える。

 

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午後7時半過ぎからは本梯子で頭取中が見守る中、稽古始めの披露

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今晩は総代が多忙で間に合わず長老が激励の挨拶と稽古始めの手締め

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お披露目後、梯子は境内裏の倉庫にしまわれ頭取中も本堂へ

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その後、澤蔵司稲荷本堂で木遣りの奉唱
初日と千秋楽は本堂での木遣り

 

木遣不動尊

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27日が千秋楽

危険な梯子乗りなので安全を祈念


境内 新緑

平成の御代もあと10日あまり。

 

ここの所の初夏のような陽気で境内の新緑も進んだ。

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ソメイヨシノはすっかり葉桜になってしまったがモミジの新緑が眩しい。

 

石垣修復工事後に植栽された普賢象の八重桜は今が満開。

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境内では一番遅咲きの桜。

垂れの八重桜は本年は花の付きが少なかった、、、、

 

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普賢象とは花の雄蘂が普賢菩薩がお乗りになっている象さんの牙に似ているからとの説も、、、

ふくよかな花を咲かせ毎年4月下旬まで楽しませて貰っている。

 

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参道手水舎越しに、

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本堂脇の藤の花も暖かさにつられほぼ満開に、、、

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好天に恵まれご参拝の方々も境内の新緑や普賢象、藤の花を楽しまれている。


境内の藤の花

午前中は御葬儀で午後一段落したので境内へ、、

 

昨日、今日と快晴で暖かく本堂脇の藤の花も満開に近づいた。

開花時期はほぼ例年通りだった。

 

満開が待ちきれずご報告。    ほぼ八分咲きか、、、

 

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自坊の藤の木は藤棚では無く立木仕立て。

先代からも昭和20年の山手の大空襲でも被災しなかったと聞いている。

樹齢何年か、、、

立木仕立てなので蔓(つる)が伸びると選定をするので私の子供の頃からほとんど姿が変わっていない。

 

よく藤の名所では寒中に酒粕を施肥すると聞くが自坊では前年夏頃に御奉納された御神酒を寒中に一升瓶二本ほどお許しを頂き根元にまいている。

 

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今晩は平成最後の満月。

しかし天気予報では曇り空の模様。

なんとか藤の花と共に拝みたいのだが、、、、

 

明日は天気が良さそうなので楽しみ。

 

ミツバチをはじめ大型の蜂も沢山蜜を吸いに訪れている。

夢中で吸っているので心配は無いがたまにスズメバチもどこから飛んでのでお気をつけて!

 

なんでこんなにほのかな花の香に虫たちは気がつくのでしょう、、、


本日の境内

二十四節季の「清明」は大本山増上寺の御忌大会(ぎょきだいえ)の五日に迎え御忌中は暖かく素晴らしい好天に恵まれた。

 

七日の澤蔵司稲荷春季例大祭も満開のソメイヨシノが咲き誇る中で厳修出来た。

 

しかしその後は寒くなり昨日は一日中氷雨で最高気温は5度にも達せず東京の西部では降雪もあった。

 

先月21日に開花宣言が出された都内だがここの所の寒さで境内のソメイヨシノも少しずつ葉桜にはなりかけているがまだ見頃が続いている。

 

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こんなに長期間ソメイヨシノの花が楽しめるのは新記録では、、、、

 

モミジも新緑を迎えた。

 

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境内南東脇の垂れ八重桜も花をつけだした。

 

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正面階段脇の垂れ桜もこれから、、

 

普賢象の八重桜は今月中旬から下旬にかけて毎年楽しませてくれる。

 

寒暖の差が激しいので皆様も体調には呉々もお気をつけて頂きたい。

 


春季例大祭 厳修

本日は江戸初期から続く澤蔵司稲荷の春季例大祭。

 

本年は3月中旬が暖かくお彼岸の頃に咲きだしたソメイヨシノ。

3月下旬には散ってしまい例大祭の本日には葉桜になっていると思っていた。

 

現在が一番艶やかにふくよかに開花している。

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昨晩もライトアップをしたが遅くまで観桜する方々が絶えなかった。

手前の新緑はモミジ。

 

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春季例大祭の本日のみ本堂奥の御神殿の御厨子から澤蔵司稲荷様の御尊像をお出まし頂いてご開帳。

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護摩供

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多くの御信者様にもご参拝頂いた。

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一年の家内安全・心願成就を祈念。

 

境内はソメイヨシノが落花しても垂れの八重桜や普賢像の八重桜で今月いっぱいお楽しみいただける。

 

一応、ソメイヨシノのライトアップは今晩で終了予定。


大本山増上寺 御忌大会(法要) 明日は澤蔵司稲荷 春季例大祭

港区芝の浄土宗大本山増上寺では宗祖法然上人の遠忌法要は4月2日から開催されている。

 

本日は昔からお付き合いのある御上人が日中唱導師をお勤めになられ随喜をさせて頂いた。

 

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芝・大門からのお練り行列

 

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三門をくぐり境内へ、、

よいお天気に恵まれたが冬の装束では暑いくらいだった。

 

副住職も式師として出仕だった。

毎日出かけているが明日は自坊 澤蔵司稲荷の春季例大祭なのでこれから準備。

御忌法要は明日が最終日。

 

二日ほど前、午前中は風も無く晴天だったのでおもちゃのドローンを境内に持ち出し空中撮影、、、

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この一枚だけ本堂と手水舎の屋根と満開に近いソメイヨシノと共に撮影が出来た、、

 

明日はご案内はがきの通り午の刻(正午)から大護摩を厳修予定。

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まだソメイヨシノも綺麗で垂れの八重桜も咲き出しておりますのでご参拝ください。


境内のソメイヨシノ

昼間は春の陽気になるが朝晩は冷え込む日も続いている。

 

夜のお花見で寒い思いをされた方も多かったのでは。

 

確か3月21日に東京地方は靖国神社の標本木が開花して気象庁からの開花宣言も発表された。

 

お伝えしているように毎年の事だが境内の桜の開花はその発表より3日ほど遅れる。

 

ここのところの花冷えでまだ満開にはなっていないが早くに咲き出した桜の花は本日の風で花吹雪になっていた。

 

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今朝、浄土宗大本山増上寺の御忌大会(ぎょきだいえ)に副住職が向かう前に春季例大祭に向けて幟旗を立てた。

 

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まだ桜の上部、枝の先端の蕾は開いていないが花吹雪、、、

今年は「満開!」の宣言が出来そうも無い、、、

お詣りの御信者様は長く桜が楽しめて嬉しいとお喜びになられていた。

 

これからは垂れの八重桜や普賢像の八重桜も花開く。

 

今晩もライトアップは行う予定。

 

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先日、御信者様には4月7日(日曜日)の春季例大祭のご案内はがきを投函させて頂いた。

当日は例年通り一年に一回の澤蔵司稲荷尊像のご開帳。

午の刻(正午)から大護摩の厳修予定。

 

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