文京・朝顔ほおずき市最終日 & 関係寺院でのお施餓鬼法要

昨日から始まった第34回文京・朝顔ほおずき市。

澤蔵司稲荷境内も「さわやか憩いの広場」として賑わった。

 

本日は日曜でも有りお詣りの方や来客であまり写真を撮影することが出来なかった。

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境内に出るとちょうどお馴染みの「江戸大神楽」の演技

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蒸し暑かったので獅子舞の演技も大変だったのでは、、、、

 

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私はお昼過ぎから近隣のお寺でのお施餓鬼法要に出仕(随喜)

 

アメッシュで雲の動きを見ていなかったが一か八かで自転車で出かけることに、、

無線でTAXIを呼ぶにも境内付近は混雑しているし大通りまで歩くのも大変、、

 

出発して坂を下りだしたらお若いご夫婦が浴衣姿でほおずきと朝顔の鉢をお持ちだったので思わず着物の袂からカメラを取り出しパチリ、、、

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関係寺院の山門

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いろいろと雨に備えた支度もして出かけたが有り難いことに帰路も雨には遭わなかった。

 

九州地方は大変な事になっていると朝のニュースで報じられていたが全くその後の事は、、

台風5号や梅雨前線はどうなっているのか、、、

お見舞い申し上げます。


深川 良心院施餓鬼説教 & 自坊では朝顔・ほおずき市憩いの広場

本日は学生時代から同期の友人が住職をしている深川・良信院のお施餓鬼法要のお説教へ、

彼とは浄土宗の僧侶となるべく傳宗傳戒道場も同行。しかも同じ班だった。

既に学生時代からは半世紀に及ぶお付き合い。


隅田川(大川)は私の大好きな清洲橋(吊り橋構造)を渡り深川へ、

しかし今春からオリンピックへ向けて橋の改修やライトアップ工事?で足場がまだ架かっていた。

 

良信院山門 車だったが駐車場は満車でお隣の雲光院さまの境内に停めさせて頂いた。

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14年前に木造の旧本堂から新しい本堂・書院が落慶した。

説教席は古い本堂の頃からなので既に20年近くお邪魔をしている、、、、

あの頃はエアコンも無く暑かった、、、、

私もお檀家様も座布団に座っての説教席で目の前にお檀家様がいらっしゃるので見かねて団扇で扇いで下さった思い出も、、、


六地蔵様もお出迎え。
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14年前の本堂・書院等の新築の時に地元の方々が昭和20年3月10日の大空襲で犠牲になられた方々への慰霊のために安置された。

こちらの町内でも多くの方々が犠牲になられたとお聞きしている。

お玄関の傍のお地蔵様。

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右の平和地蔵尊はやはり昭和20年3月10日の大空襲で多くの犠牲者がでた為に御先代住職が建立。
左は新築された時に現御住職が建立された水子地蔵尊。

早めに到着したので御本尊様へ御挨拶。

三年前にご縁が有り千葉県から遷座された台座から光背まで2辰鯆兇肯派な阿弥陀様。

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右側は善導大師、左側は法然上人のお像。

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左の位牌壇中央阿弥陀さま

昔は説教所に安置されていたとお聞きした。

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お厨子の扉の内側には観音菩薩・勢至菩薩、更に善導大師・法然上人が描かれた珍しいお厨子に入られている。

 

本堂外陣の施餓鬼壇(五如来壇)

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本堂再建の計画段階から施餓鬼壇奥の額も心に描いていたようだ。

 

私の法話の前に住職から最近の出来事やお檀家様へのご報告も、、
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午後1時から私の説教席

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あまりアップは好まないので全体をと近くのお寺の住職さんにお願いしたが結構アップが、、

この写真の私が一番小さかったので、、、

住職さん 写真有り難う。

 

既に本堂はお昼の「お斎 おとき」を召し上がったお檀家様で満堂だった。

本堂内にお入りになれず廊下や書院のモニターテレビでご覧のお檀家様も、、

本年は土曜日だったのでご家族連れも多かったようだ。

良信院は昔は7月22日がお施餓鬼の法要だったが7月20日が「海の日」で休日に制定されたので本堂再建後は本日に変更、、
しかし、その後、祝日法が変更になり必ずしも7月20日が海の日にはならなくなった。

本年は14日の日曜の次の日、お盆中の15日が海の日で連休だった。

海の日に拘る方々は憤慨しているようだが、、、、、
 

午後2時からお施餓鬼の法要開始。

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6年前に友人の住職は僧階が「正僧正」に叙任され仲間では一番早く「緋」の衣を被着出来るようになった。

外陣飾りの施餓鬼壇前で「表白 ひょうびゃく」の奉読。
お施餓鬼法要の趣旨を述べる作法。

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私はここまででおいとま。

 

明日もお施餓鬼の法要が続く、、、、、、

 

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帰寺すると澤蔵司稲荷境内では43回目を迎えた文京・朝顔ほおずき市が佳境

 

澤蔵司稲荷境内は「さわやか憩いの広場」として解放。

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台風5号は九州方面に豪雨をもたらしているようだが都内は心配された雨も

降らなかった

 

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射的

 

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大道芸・ヘブンアーティストによるパフォーマンスが、、、

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明日も開催されるがお施餓鬼会の法要の為に楽しむことが出来ないかも、、、、

 

境内に出店している町会の町会長さんやスタッフの方から何杯も生ビールの差し入れを頂いてしまった。

ご馳走様でした&お疲れさまでした。

 

 


練馬区光が丘 仲台寺 施餓鬼会 説教席

本日は練馬区光が丘公園の近くの仲台寺へ

 

東京地方は7月に入り雨や曇りばかりで一昨日までの7月の日照時間が5時間未満の新記録を更新と報じられていた。

 

しかし17日は満月だったが奇跡的に午後から晴れ間が覗き綺麗なお月様を拝むことが出来た。

 

ただ現在、東シナ海を台風5号が北上中で梅雨前線を刺激して本日は荒れた天気になると昨晩の予報だったが昼前から晴れ上がった。

 

午前11時過ぎに出発したが気温は30度C未満、、、

毎年猛暑で特に練馬区は東京23区の中でも気温が一番高くなる場所で昨年は36度Cほどになった。

 

仲台寺は戦後までは田端の近くに有ったが都市計画(区立小学校の拡張工事)等の為に現在の場所に移転した。

東京教区豊島組は文京区、板橋区、豊島区、北区等に70ヶ寺が集中してるが仲台寺は練馬区に移転しても自坊と同じ豊島組に所属している。

我々、東京教区の地域割りでは練馬区は城北組になる。 教区内にも移転に伴い同様なケースが何ヶ寺かある。

 

自坊の先代住職も移転前の昭和33年から平成4年(85歳)まで35年間ほどお施餓鬼やお彼岸の説教にお邪魔をしていたお寺。

私も先代ご住職から御教導賜ったが現御住職は同い年だが早生まれのため学年は一年先輩だが大学時代から半世紀以上のお付き合い。

ご先代御住職は昨年が三十三回忌だった。年が経つのが本当に早い。

 

仲台寺山門

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山門を入った左手には庚申塔

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主尊は如意輪観音さまで左側には「寛文八年」(1668年)と刻まれている。

江戸時代一番、庚申信仰が盛んな頃。

 

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台石には庚申塔独特の「三猿」の彫刻も施されている。

田端からの移転の時に移されこの場所に奉安されたのでは、、

江戸時代、御府内から少し外れた文京区の一部や豊島区、板橋区には多くの庚申塔が残っている。

 

墓所との境の塀に沿って石仏や碑が、、

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御本堂

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参道には宗祖法然上人八百年遠忌記念に建立された永代供養塔

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御本尊様へご挨拶

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東日本大震災後に修復に出されたが金ぴかになり戻られるかと案じていたが「古代仕上げ」(古色仕上げ)の落ち着いた感じで本日も有りがたくお詣りさせて頂いた。

ちょっと施餓鬼法要の設えでご覧になりにくいが、、

 

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私は落語の清興のあと午後1時からのお取り次ぎをしておいとま。

 

玄関を出るとちょうど法要中の御住職が堂外に建てられた卒塔婆の水向けに向かわれる所だった。


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帰路の川越街道もまあまあスムースで予定通り帰寺出来た。

 

蒸し暑い一日だったが単純に気温のみでは十数年間で一番涼しかった?

 

PS お説教後、退堂して廊下で作相をしていたら本年もお檀家様のご婦人が御本堂から来られ私のブログをご覧になられていると、、

  恐縮、、、、


第34回 文京 朝顔・ほおずき市 開催

今週末の7月20日(土)・21日(日)には第34回文京 朝顔・ほおずき市が開催される。

 

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澤蔵司稲荷境内は「さわやか憩いの広場」として解放され様々な出店・模擬店やヘブンアーティスト、江戸大神楽等で大人から子供さんまで楽しめる憩いの広場に、、、

 

現在石垣島付近を北上中の台風5号や梅雨前線も気になるところ。

なんとか楽しみにしている方々や準備に携わった方々の為にもお天気になりますように、、

 

私は明日から練馬や深川方面のお寺のお施餓鬼法要お説教席を頂戴しているのでレポートをお送りできるか、、、

 

ご参考に昨年のブログ

http://blog.takuzousuinari.com/?day=20180722


東京はお盆の棚経

お盆の行事はお釈迦様のお弟子であった木蓮尊者の求母の伝説により伝わり日本では旧暦の7月15日に厳修されるようになったと言われている。
旧暦の7月15日は毎年異なるが本年はたまたま8月15日。

明治以降は8月15日に慣例として統一されたようだ。
しかし東京だけは7月の15日前後がお盆となり本日が「お盆の入り」

東京やその近郊で7月になった理由は諸説有るがここでは省かせて頂く。

都内の多くの寺院の御住職方は本日から本格的にお檀家様のお宅に出かけお仏壇の
前でお盆のご回向。

私も副住職の運転でお詣り。
先ずは午前8時に出発して日本橋→深川→本所→向島→浅草→鳥越→御徒町→駒込→地元と
午後2時過ぎまで昼食前はお檀家様のお宅へ、、


東京地方は1993年以来の異常気象で7月に入り25度℃を超える夏日も無く曇りや雨模様で日照時間は合計で5時間ほどのようだ。

ニュースでも野菜やお米の生育に影響が出ていると報じられていた。


押上の東京スカイツリー駅付近、、
棚経
この時間帯はちょっと雲が多く23度℃ほどだったのでは、、、


午後2時過ぎに一旦帰寺。

遅い昼食後は目白方面へ、、、

目白のお宅では玄関に到着すると既に「迎え火」が、、
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このお檀家様の仏間。
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毎年13日の我々が到着する午後4時頃には迎え火も済まされ曜日に関係なくご家族・ご親族10名様ほどとご一緒にお詣り。

盆提灯は沢山お飾りしてあるが実際にはこの倍ほど有るとお聞きした。

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全部お飾りすると広い仏間だがご家族やご親戚が座る場所が無くなる、、
もう45年ほど先代住職に替わり伺っているがいつも設えは一緒。

その間に先々代、御内室、ご先代様もお浄土へお見送りをさせて頂いた。

年月が流れるのが早い。

この部屋は普段はどのようにお使いかと聞くとお孫さん(副住職の高校時代の後輩)が茶道をたしなみお茶会にも使われているとお聞きした。

様々なお宅にお邪魔をさせて頂いたが体調がお悪かったりおみ足がご不自由になり普段お目にかかれないご年配の方々にもお会いできた。

お盆のお詣りでお邪魔をする有り難さを感じた。

帰寺してから我が家でも「迎え火」

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我が家では玄関先でご先祖様が早く戻られるようにと迎え火を焚く素焼きの「焙烙」の
傍にはお馬さんを置く。


送り火の時には牛さんを、、、、

お仏壇前の盆棚の設えや迎え火の習慣は日本各地で様々、、、、
明日も棚経が続く。


世田谷 喜多見 慶元寺 お施餓鬼法要説教席

本日は世田谷区喜多見 慶元寺のお施餓鬼法要の説教(法話)席を頂いていた。

高速道路もお陰様でスムースだったが首都高3号線は渋谷の先で中央環状線が完備されたので東名高速への下り線は大崎JCTで合流がある為にこの区間だけ渋滞が発生するようになった。

 

逆に上りは中央環状線経由で湾岸や東北道へ都心環状線を利用せず行けるようになった。

その為、自坊に帰るときには都心環状線、谷町JCTへの渋滞は激減した。

 

予定よりも早く50分ほどで到着。
時間に余裕が有ったので境内のお詣り。

慶元寺参道。
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世田谷の古刹なので境内も広大、、 

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参道横の江戸太郎重長公にもお詣り
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江戸氏は慶元寺の開基とされ太田道灌公の時代に活躍。

江戸時代に江戸家から喜多見家に改姓された。

江戸の地名(名称)の原点となったお名前。

 

開創された頃は天台宗だったが江戸時代に改宗され三代将軍家光公から御朱印地を賜り歴代将軍からも御朱印を賜った古刹。


山門

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参道の中間なので昔は「中門」だったか、?
250年ほど前の宝暦5年(1763年)建立と伝わる。

額には山号の「永劫山」と刻まれていた。

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広大な墓所の奥には立派な三重塔
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境内に10数年ほど前に新築された「薬師堂」
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斎場等にも使われる多目的の御堂と以前お聞きした。

 

境内にはお盆の14日・15日に開催されるみたま祭り盆踊りの櫓も、、

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櫓の最上部は太鼓で下はチビちゃん達も浴衣姿で上り踊りがご披露できるようだ。

慶元寺様は幼稚園も併設され幼児教育にもご熱心。

 

その脇の鐘楼堂

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こちらも約250年前に山門と同じく建造された。


慶元寺ご本堂
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享保元年(1716年)の建立されたと伝わる世田谷区では最古の木造建築。
ちょうど300年ほど前。

慶元寺さまには飛び地の喜多見不動尊の冬至に厳修される「星祭り」の護摩修行には昭和50年頃から30年以上お招きを頂き太鼓を叩いていた。

およそ28年ほど前に再建された書院。
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落慶式の時には御案内頂きお祝いにお邪魔をした書院の玄関、 立派。

 

御本尊様へお詣り

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座像で中品中生の印を示される珍しいお姿。

 

施餓鬼壇・五如来壇

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午後1時半から一時間の時間を頂きお説教(法話)。
ご本堂には詠唱の方々も多く喜多見不動尊の護摩供(星祭り)でお会いしていた懐かしい方々にもお会いできた。

午後3時頃においとましたが帰路も高速道路は渋滞もなく50分ほどで帰寺出来た。

喜多見付近は道路が複雑で毎回、ナビの案内が異なる、、、、

往路は指示をされたナビを無視して世田谷通り経由、帰路はナビの指示通り複雑な裏道経由だったが無事に環八に出ることが出来た、、、

 

首都高を西神田で降りたが路面はかなり濡れていた。

お檀家様は濡れずにお墓参りを済ませご自宅にお戻りになることが出来たか、、、


江戸町火消 元六番組・元六睦 月例会

毎月、お伝えしているが南町奉行・大岡越前守が300年ほど前に制定した江戸町火消「六番組」であった「元六番組」「元六睦」の月例会。

六にちなみ毎月六日に澤蔵司稲荷書院で開催されている。

 

昨日も午前9時から自坊書院で開催された。

 

所属、元・六番組の頭取中(組頭・副組頭・小頭) が集まる。


江戸時代の町火消しの組織「いろは四十八組、本所深川十六組」は明治時代になり明治5年に「市部消防組」として改編。

その後、近代消防に移行したことに伴い江戸時代の火消しの文化・伝統等を継承する為に江戸消防記念会の前身組織が明治後期に組織された。
現在の「一般社団法人 江戸消防記念会」は 全体で11の区で組織されている。

 

小石川の地元は現在、江戸消防記念会第四区で二番組だが江戸時代には六番組「な組」として町火消しを担っていた。
その江戸時代の「六番組」はその組織を継承するために現在でも「元六番組」「元六睦」として現在の江戸消防記念会第四区とは所属がダブる組とダブらない組もあるが受け継がれている。
第四区では「な組」(現・二番組)「む組」(現・七番組)「う組」(現・二番組)が所属。
第三区と第九区の一部が近年復活して組頭・副組頭・小頭等30名ほどの頭取中がお集まりになるので書院も手狭、、、

 

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我々は会議での開式・閉式はお十念だが頭取中は開式・閉式は一本締め。

 

一ヶ月間の報告や御礼、昇進のお祝い等が、、、

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昨年は江戸町火消が制定されて三百年の年に当たり様々な記念式典も開催された。

 

一本締めで閉式後、本日は目黒・祐天寺様の慰霊碑にもご参拝に、、

 

袢纏の腰の部分の白抜きの本数で何区か識別できる。
第四区は四本、第三区は三本、第九区は九本。
奇数の区は直線で偶数の区は曲線で波打っている。

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天栄寺 第23世御住職表葬儀

長年、公私ともにお世話になっていた天栄寺第二十三世ご住職が5月23日忽然と御遷化された。

 

天栄寺様では5月30日に例年のお施餓鬼法要が厳修されたが日程的に間に合わず例年通りのお施餓鬼法要が務められ私もお説教席に招かれていた。

 

その前にお檀家皆様に先代ご住職が御遷化されたことを現御住職からお伝えになられた。

 

寺院方中心の通夜・密葬儀は6月3・4日で厳修され私もお焼香をさせて頂いた。

 

本日はお檀家様を中心にご案内で表葬儀(本葬)と合わせ七十七日忌満中陰と納骨が執り行われた。

 

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心配された天候だったが雨も降らず滞りなく執り行われた。

 

以下、先月30日のお施餓鬼法要のブログ

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本日は文京区本駒込へ

 

自坊と同じ東京教区豊島組西部 天栄寺様へ(所属の部は異なるが、)


午後1時半からの天栄寺お施餓鬼法要前のお説教の席を頂戴していた。


先日の真夏日に比べると日差しは強かったものの日陰では気持ち良い風も吹いた。

いつもはTAXIなのだがご近所の法類寺院の駐車場に停めさせて頂いた。

天栄寺山門
山門

 


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山門横には文京区史跡文化財「駒込土物店(だな)跡」の石柱も建つ。

 

教育委員会の説明板

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山門を入ると右手に昭和38年11月に先々代住職がこの地にあった「駒込辻のやっちゃば」「駒込の土物店(だな)」の由来(縁起)を刻された石碑を建立。

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銘
この地は江戸の元和年間(約400年前)に江戸の神田・千住の野菜市場(やっちゃば)と共に江戸三大市場として栄えた場所。
元和年間は御府内に多くの浄土宗寺院が創設された頃でもある。

昭和12年に「中央卸売市場法」の改正によりこの地から現在の巣鴨に在る青果市場に移転された。
存じ上げているので毎年興味深く拝見している。
駒込土物店(市場)の由来、経緯等が詳しくこの石碑に刻まれている。

 

市場(やっちゃ場)の起源は天栄寺境内にそびえていた「サイカチ」の大木の下で旧・岩槻街道や中山道から御府内に運び込まれる野菜をお百姓さんや人夫の人々が休憩をする

場所になっていたようだ。

その新鮮な土の付いたままの野菜を求め地元の人々も集まり自然発生的に市場が、、

後に幕府公認の「江戸三大市場」となった。

 

昭和12年3月25日に「中央卸売市場法」が改正され現在の巣鴨中央卸売市場青果市場に移転。

 

天栄寺様では毎年春季彼岸明け頃の3月25日には石碑の前に「土物」野菜をお供えして法要が営まれている。


天栄寺境内とご本堂

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ご本堂の屋根は六枚の蓮の花びらを模したような独特のデザイン。
雨水はどのように排水しているのか??

御本尊様へお説教前の御挨拶。
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脇侍の善導大師様や法然上人のお像も数年前から明るく照明が、、、

午後1時から法要に先立ちお説教席を頂戴しお取次ぎをさせて頂いた。

 

いつものお説教の席では慈眼院先代住職のお袈裟を被着するのだが本日は天栄寺先々代御住職の33回忌の時に頂いた夏衣の「如法衣」(お袈裟)を毎年被着してお説教をさせて頂いている。

私の寺の先代住職(実父)も平成4年、84歳までこの御本堂でお施餓鬼法要前のお説教をさせて頂いていた。
有り難い仏縁を頂いている。

私のお説教の後、午後2時からは部内寺院住職方も随喜されお施餓鬼法要を厳修。
 

表白の奉読

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本日の法要の趣旨を奉読される。

この表白をお聞きしておいとました。

 

実は天栄寺先代ご住職が去る23日に御遷化された。

先日、枕経にお邪魔をしたときは掲げられていなかったが本日到着したら本堂前に高札が、

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先代御住職が遷化された旨をお伝えする文。

 

来月3日に通夜、4日に寺院関係での葬儀が、、

お檀家様には7月5日に表葬儀が厳修されると伝えられていた。 南無阿弥陀佛
 

 


法類 西岸寺 施餓鬼法要厳修

本日は午前中から慈眼院と法類寺院の西岸寺へ副住職と共に出仕。

 

朝から大変蒸し暑い一日だった。

まだ帰寺早々でニュースを見ていないが九州・鹿児島をはじめ各地で豪雨に因る被害が発生しているのでは、、

お見舞い申し上げます。

 

西岸寺 山門 既にお檀家様はお玄関から書院へお入りになられている時間帯
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午前11時半からは諸仏にお食事を召し上がって頂く「半斎供養」
その後、ご参列のお檀家様も書院で「お齋 おとき」のお食事

午後1時からは同じく法類寺院住職・浄心寺佐藤上人のお説教(法話)

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なだ「お斎 おとき」をお召し上がりのお檀家皆様もお出でで若干の空席も、、

 

午後2時からお施餓鬼法要厳修。
御住職による「表白」(ひょうびゃく)の奉読

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本日のお施餓鬼法要の趣旨を述べる。

お経(阿弥陀経)を読誦をしながら行道の散華作法
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お経(阿弥陀経)を読誦をしながらの散華作法は西岸寺様独自の施餓鬼会・十夜法要会の昔からの作法。

 

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これから東京地方は七月のお施餓鬼法要とお盆の季節に、、、、、

 

PS

法要後に御住職のご挨拶の最後にお孫さんのお披露目

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私も若いお二人の結婚の時には媒酌人を務めさせて頂いたので嬉しさもひとしお、、(^o^)

 


例月大護摩 厳修

澤蔵司稲荷では毎月一日(ついたち)午前6時から例月大護摩を厳修している。

 

5月1日に平成 明仁天皇から第百二十六代 徳仁天皇となり令和の御代も丸二か月が経過した。

 

今朝は若干の雨模様で湿気が多く梅雨らしい天候だった。

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やはり微妙なもので湿気が多いと護摩木への松明(ローソク)からの火付も悪く炎の上り方も鈍かった。

逆に副住職が叩く太鼓の音は革が若干伸びており良い音を出していた。

 

お伝えしているように春秋の大祭、初午祭、節分追儺式等での大護摩はお参りの御信者様も多く内陣の護摩壇のそばまではご遠慮いただいているが月例大護摩の時は近くで護摩の炎にお当たり頂いている。

 

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朝食後にはご近所の御信者宅や会社へのお詣りに、、

出掛けるときは雨も上がっていたので自転車で出かけたが途中で再度雨模様に、、

化繊の紗の道衣だったので事なきを得た、、、

 

東京では今月はお盆月となり多忙な日々となる。


法類寺院の本堂書院 修復落慶奉告法要

本日は本駒込の法類寺院の本堂・書院等の修復落慶法要へ

 

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常徳寺の先々代住職と私の師父とは若い頃には京都で同年代で様々な場面で一緒に行動を共にしていた。

 

残念な柄昭和19年に南方で戦死を、、、

 

昭和20年5月の山手空襲で本堂伽藍は消失。

地元からの信仰の篤かった身丈7尺の身代わり不動尊も消失した。

 

先代ご住職は昭和46年に本堂再建、その後平成12年には現在の身代わり地蔵尊像と地蔵堂を再建された。

 

しかし現・ご住職はご本堂、書院等の耐震工事を含め大改修を発願、

 

本日、その奉告法要が厳修されお檀家様にもお披露目された。

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工事中、ご本尊様は書院に仮安置されていたので法要中に遷座開眼の除幕も、、、

 

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御導師による開眼作法

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奉告法要の趣旨を述べる表白の奉読

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私も法要前の道場を清める四方洒水をさせて頂いたが法要後には浄土門主から工務店社長さんへの感謝状伝達の依頼も受けていた。

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目出度く厳修され書院で祝膳を頂戴して様々なご苦労話もお聞きした。

 

お疲れさまでした。


本日も年回法要

本日は深川のお寺での年回法要。

 

二年前に住職を退任された半世紀に亘りお付き合いをいただいている先輩のご先代の37回忌とおばあちゃまの17回忌法要のご案内をいただいていた。

 

お寺の石柱は私の師父の揮毫。

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毎年護摩供にも太鼓をたたきにお邪魔している出世不動堂

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午後4時半からご部内ご住職方による年回法要

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法要の最後には法類代表として謝辞を申し述べた。

その後墓参を済ませご自坊書院で供養膳をいただき午後9時半過ぎに帰寺できた。


七回忌法要

本日午後から近隣の善雄寺さまの先代ご住職の七回忌のご案内をいただいていた。

 

朝から東京地方は不安定なお天気で2時半ごろに自坊を出発の時には強い雨ながら日光が雲間から射し込んでいた、、、

まさに虹が出現するのではと思われる空模様だった。

 

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写真にも雨粒が写っているが日差しが、、、

 

若干、早めに到着したのでお詣りを兼ねてご本堂へ。

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若い仲間が準備中だった。

 

予定通り3時から所属南部ご長老が御導師で七回忌法要開始。

 

その後、墓所をお参りして供養席の東京駅ステーションホテルへ、

ハイヤーや大型バス二台で100人以上の大移動、、

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三階建てに改装されドームも高くなった、

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供養席には御遺影も、、

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先代ご住職には若い頃からお世話になり所属する豊島組では参務(職)もご一緒させていただいた。

 

中学・高校は同窓だが御歳が離れているので高校時代はご一緒することはなかった。

 

献杯後にお食事が、、、

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ドームのデザインを模した素敵なお皿。

以前、このレストランで食事をしたときに前菜前に置かれているこのお皿が気に入りマネージャーにお願いしても購入することはできなかった。

レストラン自慢のお皿だが気づく方は少ないかも、、、

 

ご先代を偲ばせて頂きながら美味しい食事をごちそうになり8時半過ぎに散会となった。

ご馳走様でした。


浄土宗東京教区豊島組「別時念仏会」

本日午後3時より自坊も属する浄土宗東京教区豊島組教化分団主催の「別時念仏会」が自坊からほど近い善雄寺で開催された。

 

お別時後の講演は私も様々なご縁をいただいている江戸消防記念会第四区総代が江戸町火消のお話をされるとのご案内をいただいていたので出かけた。

 

仕事の都合で遅くなってしまったが午後3時直前に到着、、

 

ご参加皆様とお別時法要

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分団長が御導師

 

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30分ほどのお別時会後のお話は善雄寺のお檀家でもあり私自身もお世話になっている江戸消防記念会第四区高柳総代による「江戸町火消の歴史」について、

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家康公からの江戸城築城、諸国諸大名の上屋敷・中屋敷・下屋敷、旗本等の屋敷の形成、町民の建物、街並み等の変遷、大火等の歴史。

それに伴い八代吉宗将軍の享保年間に町奉行大岡越前守の唱導により発足した俗に云われている町火消いろは48組の制定。

そこには伝通院から増上寺に上がられた祐天上人の影響が強くあったと興味深いお話も、、、

最後は明治維新後の組織の改編、戦後の江戸消防記念会発足までの歴史を学ばせていただきあっという間の一時間半だった。

 

お話後には半纏のご説明

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ご本尊様へ向かい木遣りの奉唱

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ご参加の皆様も初めての御経験で感動されていた。

 

 

 

 


ムクノキ祭

澤蔵司稲荷境内の公道に面する善光寺坂に樹齢400年以上と言われる椋の木(ムクノキ)がある。

 

江戸時代には伝通院寺領、澤蔵司稲荷のご神木としても崇められていた。

 

6年前の平成25年3月に「文京区指定天然記念物 第1号」に指定された。

 

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善光寺坂と呼ばれるようになったのは明治中期以降。

 

江戸名所図会

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石垣に階段の澤蔵司稲荷境内は現在でもその面影を残す。

図絵中央左端には椋の木が描かれ周りにはお茶屋もありお参りの方々の憩いの場のようでムクノキはこの界隈のランドマークのような存在だったと思慮される。

 

地元・表町町会では天然記念物に指定された翌年からムクノキにちなみ6月9日前後の土曜日か日曜日にムクノキ祭りを開催して本年は6回目だった。

 

午前9時頃から町会の方は境内に屋台等の準備が始まり午前10時からご本堂で護摩祈願。


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護摩供で地域の安全、町内関係者の家内安全、交通安全を祈願。

 

角田祭礼部長さんの挨拶

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表町森田町会長さんの挨拶

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私からも、、

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椋の木ににまつわるお話をさせていただき椋の木へ

 

御祈願をしながら御神酒を、

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町会役員の方や町会会員の方も御神酒を振る舞った。

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その後、境内ではポップコーンや綿菓子のプレゼント。

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今年は祭礼部長によるムクノキの紙芝居はあったのか?

本堂の片付けて気が付かなかった、、

 

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町内には新しいマンションも建設され新住民になられた方もこのような活動を通じでこの町が故郷と感じていただける日が来ると確信。

 

昨日は豪雨で梅雨入りも発表されたので心配をしたが奇跡的に雨も降らず例年通りにムクノキ祭が出来た。

役員の皆様もご苦労様でした。

 

 


江戸消防 元六番組・元六睦 月例会

毎月、お伝えしているが南町奉行・大岡越前守が300年ほど前に制定した江戸町火消「六番組」であった「元六番組」「元六睦」の月例会。

六にちなみ毎月六日に澤蔵司稲荷書院で開催されている。

 

所属、元・六番組の頭取中(組頭・副組頭・小頭) が集まる。


江戸時代の町火消しの組織「いろは四十八組、本所深川十六組」は明治時代になり明治5年に「市部消防組」として改編。

その後、近代消防に移行したことに伴い江戸時代の火消しの文化・伝統等を継承する為に江戸消防記念会の前身組織が明治後期に組織された。
現在の「一般社団法人 江戸消防記念会」は 全体で11の区で組織されている。

 

 

小石川の地元は現在、江戸消防記念会第四区で二番組だが江戸時代には六番組「な組」として町火消しを担っていた。
その江戸時代の「六番組」はその組織を継承するために現在でも「元六番組」「元六睦」として現在の江戸消防記念会第四区とは所属がダブる組とダブらない組もあるが受け継がれている。
第四区では「な組」(現・二番組)「む組」(現・七番組)「う組」(現・二番組)が所属。
第三区と第九区の一部が近年復活して組頭・副組頭・小頭等30名ほどの頭取中がお集まりになるので書院も手狭、、、
 

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我々は会議での開式・閉式はお十念だが頭取中は開式・閉式は一本締め。

 

一ヶ月間の報告や御礼、昇進のお祝い等が、、、

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昨年は江戸町火消が制定されて三百年の年に当たり様々な記念式典も開催された。

 

一本締めで閉式後、本日は・三囲神社の木遣塚にご参拝に、、

 

袢纏の腰の部分の白抜きの本数で何区か識別できる。
第四区は四本、第三区は三本、第九区は九本。
奇数の区は直線で偶数の区は曲線で波打っている。
 

役袢纏の白抜き四本は第四区の頭取中

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お見送りしたあとの境内。 すっかり新緑の緑が濃くなった。

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参道手水舎の向かい側の江戸町火消「な組」の木遣塚。

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3年ほど前に境内に建立。

当時は「な組」の真棒のみが中央にあったが一昨年その両脇に観音様とお地蔵様が祀られた。

真棒脇には宗祖法然上人の御名号も。

その為に木遣塚の建立の意味が明確になりお詣り頂く方が増えた。

 

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真珠院 施餓鬼法要説教席と出仕

本日は小石川 傳通院の塔頭寺院でも有り自坊とは法類関係でもある真珠院へ、、

 

説教の茶衣・如法衣と法要出仕の衣・お袈裟を鞄に入れると重いので電気アシストの自転車で出かけた。

快適!!

 

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ご本尊様へご挨拶

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外陣には施餓鬼壇(五如来壇)が、、

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まずは午後1時から法話

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実学生時代から半世紀にわたりお邪魔をしているがお施餓鬼法要前の説教席は初めてだった。

ほとんどがお顔見知りのお檀家様、、

 

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午後2時から詠唱の御奉納が有りその後、お施餓鬼の法要が厳修され私も久しぶりに出仕させて頂いた。

 

曇り空だったがお檀家皆様がお墓参りをされご自宅にお戻りになる頃までは雨の心配も無かったのでは、、、

 

本日もお陰様の一日。

 


令和元年 二回目の月例大護摩厳修

31年間の国民にとって象徴天皇としてお勤めになられた平成明仁天皇が御退位され上皇となられ5月1日「令和」の元号で徳仁殿下が百二十六代天皇に御即位された。

 

毎月一日(ついたち)は午前6時に月例大護摩を厳修。


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お伝えしているように越年、例大祭、初午、節分等の護摩供ではご本堂には御信者様で満堂なので護摩壇の側までお越し頂けないが例月大護摩だけは直接護摩の炎にお近づき頂くことが出来る。

 

御挨拶後の護摩壇。

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新天皇ご夫妻、上皇、上皇后様の玉体安穏 聖化無窮も改めて御祈念申し上げた。

 

現在、浄土宗第七祖「聖冏上人」が本年600回忌を迎えるにあたり金沢文庫で「浄土宗七祖聖冏と関東浄土教」−常福寺の名宝を中心に」の展覧会が開かれている。

 

月例大護摩の御参列の方から本日「金沢文庫」での上記展覧会の80ページにわたる御本を頂戴した。

お聞きすると御信者様は某大学教授でこの御本の中でも聖冏(しょうげい)上人と小石川談所の歴史を著述されている方だった。

全くの驚き、、、

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5月は多忙だったので6月中旬頃に金沢文庫を訪ねる予定だった、、

 

皆様をお送りすると書院玄関前の柘榴は例年通り沢山の花🌸が付いていた。

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やはり多忙すぎて境内の草花をゆっくり鑑賞していなかった、、、


本駒込 天栄寺 施餓鬼法要 説教席

本日は文京区本駒込へ

 

自坊と同じ東京教区豊島組西部 天栄寺様へ(所属の部は異なるが、)


午後1時半からの天栄寺お施餓鬼法要前のお説教の席を頂戴していた。


先日の真夏日に比べると日差しは強かったものの日陰では気持ち良い風も吹いた。

いつもはTAXIなのだがご近所の法類寺院の駐車場に停めさせて頂いた。

天栄寺山門
山門

 


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山門横には文京区史跡文化財「駒込土物店(だな)跡」の石柱も建つ。

 

教育委員会の説明板

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山門を入ると右手に昭和38年11月に先々代住職がこの地にあった「駒込辻のやっちゃば」「駒込の土物店(だな)」の由来(縁起)を刻された石碑を建立。

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銘
この地は江戸の元和年間(約400年前)に江戸の神田・千住の野菜市場(やっちゃば)と共に江戸三大市場として栄えた場所。
元和年間は御府内に多くの浄土宗寺院が創設された頃でもある。

昭和12年に「中央卸売市場法」の改正によりこの地から現在の巣鴨に在る青果市場に移転された。
存じ上げているので毎年興味深く拝見している。
駒込土物店(市場)の由来、経緯等が詳しくこの石碑に刻まれている。

 

市場(やっちゃ場)の起源は天栄寺境内にそびえていた「サイカチ」の大木の下で旧・岩槻街道や中山道から御府内に運び込まれる野菜をお百姓さんや人夫の人々が休憩をする

場所になっていたようだ。

その新鮮な土の付いたままの野菜を求め地元の人々も集まり自然発生的に市場が、、

後に幕府公認の「江戸三大市場」となった。

 

昭和12年3月25日に「中央卸売市場法」が改正され現在の巣鴨中央卸売市場青果市場に移転。

 

天栄寺様では毎年春季彼岸明け頃の3月25日には石碑の前に「土物」野菜をお供えして法要が営まれている。


天栄寺境内とご本堂

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ご本堂の屋根は六枚の蓮の花びらを模したような独特のデザイン。
雨水はどのように排水しているのか??

御本尊様へお説教前の御挨拶。
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脇侍の善導大師様や法然上人のお像も数年前から明るく照明が、、、

午後1時から法要に先立ちお説教席を頂戴しお取次ぎをさせて頂いた。

 

いつものお説教の席では慈眼院先代住職のお袈裟を被着するのだが本日は天栄寺先々代御住職の33回忌の時に頂いた夏衣の「如法衣」(お袈裟)を毎年被着してお説教をさせて頂いている。

私の寺の先代住職(実父)も平成4年、84歳までこの御本堂でお施餓鬼法要前のお説教をさせて頂いていた。
有り難い仏縁を頂いている。

私のお説教の後、午後2時からは部内寺院住職方も随喜されお施餓鬼法要を厳修。
 

表白の奉読

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本日の法要の趣旨を奉読される。

この表白をお聞きしておいとました。

 

実は天栄寺先代ご住職が去る23日に御遷化された。

先日、枕経にお邪魔をしたときは掲げられていなかったが本日到着したら本堂前に高札が、

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先代御住職が遷化された旨をお伝えする文。

 

来月3日に通夜、4日に寺院関係での葬儀が、、

お檀家様には7月5日に表葬儀が厳修されると伝えられていた。 南無阿弥陀佛
 


西巣鴨(庚申塚) 西方寺 施餓鬼法要説教席

本日は正午頃に出発して豊島区西巣鴨(庚申塚)近くの西方寺へ向かった。

 

法要前、午後1時からの御説教の席を頂戴していた。

副住職は三年ほど前から西方寺を会所(会場)にお借りして「法話とお念仏の会」を企画。

もう一人の増上寺布教師会の仲間と毎月30分程のお檀家様にも分かりやすい法話と別時念仏会を御住職の薦めで開催している。

西方寺山門

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既に多くのお檀家様はお昼の「お齊 おとき」(お食事)を済まされご本堂は向拝の回り廊下まであふれていた。

西方寺のお施餓鬼のお説教には慈眼院先代住職も昭和42年から平成2年(82歳)まで23年間お邪魔をしていた。
私も若い頃(昭和40年初頭)、東京教区豊島組の青年会が自主的に発足したその少し前に西方寺先々々代ご住職のお招きで西方寺を会所(会場)に法式(法要の作法)や大学の先生をお呼びしての勉強会等を開いていた。
まさに豊島組青年会の原点のお寺だ。

先々代御住職も豊島組組長や宗議会議員等をお勤めになりご教導頂いた。

ご本堂の反対側には「一誠観音」さま
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下の銘板には、、
銘板
先々代住職が戦時中に学徒出陣で昭和19年に海軍兵生教育部で初級将校、昭和20年6月に海軍少尉。兵学校当時に同期のお仲間と「海軍一誠会」を結成。
同期の戦没者六十有八名の追悼の為に昭和50年に永代供養塔として建立された。

お邪魔をするたびにお参りをさせていただいている。

御本堂では三味線の清興
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玄関、墓所への参道
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いつも植木の手入れも行き届いていて清々しい、、、

お檀家様の前で午後1時から法要前の説教席。

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毎年、本当に大勢のお檀家様がお詣りに来られる。

 

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午後2時からはお施餓鬼の法要開始。
ご住職による「表白」(ひょうびゃく)

本日の法要の趣旨を述べられる。
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ご本堂も広いのだがお檀家様が大勢で向拝の周り廊下にもいらっしゃるので施餓鬼壇(五如来壇)は向拝側に設えることが出来ずに御本尊様の前に、、

お陰様で無事に一時間のお説教席を務めさせて頂き法要開始後においとま、、、

 


PS
三年前はこのオーディオルームが説教前の控えの間だった。
応接間兼オーディオルーム
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昨年スピーカーの間や奥にある縦横の木製の棒は部屋の音響を整えるものだと、、、

 

スピーカーは懐かしいTANNOY!! 昭和20年代後半の箱!

火を入れて下さったが懐かしい真空管の明かりが、、、、

本日は少し早めに到着したのでご住職はクラシックとジャズのさわりを聞かせてくださった。

勿論、法要で多くの方がお隣の部屋にもいらっしゃるので小さな音だったがアンプもさることながらTANNOYのスピーカーからは繊細なピアノの高音のタッチや大胆なベースの音も、、、、

 

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お好きな方はすぐお分かりのフルセット、、


御住職のご了解を頂いているのでアップ、、

 

本日は例年の控えの間

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入室して直ぐに気が付いたのだが床の間の引き戸の色合いに、、

お聞きすると最近京都の「唐紙 からかみ」を扱う業者さんに依頼して表装し直したとお聞きした。

波の模様に濃淡の青(水色)が映えていた。

お若いのに素晴らしいセンス!!
私一人の為の控えの間だったので床の間を背にする上座から下座に座布団を置き換え眺めてしまった。


明日もお説教が続くので澤蔵司稲荷ご本堂のご相談はお休みとなる。ご了承ください。
 


本郷 昌清寺 お施餓鬼会法要 説教席

本年の5月は東京地方は豪雨の日もあれば23日から昨日までは30度℃を超える真夏日が続いていた。

昨日は北海道帯広方面は37度を超える異常なお天気。

 

今朝も都内は早い時間に26度℃を超え真夏日になるとの予報が出ていた。

本日は正午過ぎから文京区本郷に向かった。

毎年、5月27日は本郷壱岐坂の昌清寺様のお施餓鬼法要の説教席を頂戴している。

距離的にはそんなに遠くは無いのだが小石川台を下り後楽園から本郷台に登るので車で、、、


昌清寺様は自坊の先代住職(私にとっては師僧でもあり実父)も昭和31年から37年間、
85歳までお説教席にはお邪魔をさせて頂いていた。
まさに現・御住職や副住職さんを含め親子三代に亘るご縁、、、、

昌清寺は山門を入ると駐車場の脇に松尾芭蕉翁の「花見塚」の句碑が有る。

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この「桜狩り きとくや 日々に五里六里」の句は貞享5年(1688年)に吉野で詠まれた句とされ寛政八年(1796年)に初代の「花見塚」が建立されたと伝わっている。
さすが芭蕉翁は健脚だった、、、

しかし塚は長年の風雪や昭和20年の空襲の被災で壊れてしまっていた。

先代御住職は句碑の記述がある「茗荷図絵」を東京大学の図書館で閲覧して昭和59年に復元、建立された。

その頃に所用でお邪魔をすると用件はすぐに終わったが先代様からよく苦労話を伺った。


先代御住職も苦労された句碑を自慢されていた。 笑顔が忘れられない。

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慈眼院・澤蔵司稲荷の境内にも芭蕉翁の句碑が建立され現存しているのでいつも気になり一枚パチリ、、、

芭蕉翁は伊賀のご出身で昌清寺の近くの壱岐坂に戸田権大夫公のお屋敷が有り同郷という事で良くお出かけになられ自坊の境内の句碑「一時雨 礫や降って 小石川」をお詠みになったとも場所とも伝わっている。

時間があったので墓所もお詣り、、
墓所中央の合祀墓「倶会堂」

右わきには歴代墓も、

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昨年は先代ご住職の23回忌も厳修された。

 

墓所入り口のお地蔵様

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4年前に「昌清寺 開創400年」と浄土宗宗祖法然上人の「800年大遠忌」を記念して建てられた書院新玄関
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お説教は午後1時からだがお檀家様は正午前にはお集まりになり「お齊 おとき おしのぎ」のお食事中なので境内は静か、、

ご本堂で御本尊様に御挨拶
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徳川家康公の念持佛とも伝わる身丈三尺の素敵な阿弥陀様。


外陣飾りの餓鬼壇。「五如来壇」とも呼ばれている。
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「三界萬霊」のお位牌と共に「戦争 戦災 地震」等で亡くなられた諸々霊位のお位牌も、、


一番右側は400年続くお檀家様の「過去帳」

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元和元年の開創以来の過去帳。

副住職にお聞きするとこれは複写(書き写し)した過去帳で現存する本物の過去帳は大切に金庫に保管されているとの事。

昭和20年5月の山手大空襲でもご本尊様と共に墓所中央の合祀墓に先代ご住職が納め被災を免れた。

 

昨年の先代23回忌法要の時に話題になった善導大師さまと法然様の額。

ご本堂内と裏堂との境(長押の上)の出入り口頭上に掲げられている。

 

昭和50年代に先代住職が日本橋高島屋の地下での骨董市に出かけ法然様のお姿が描かれたこの額を見つけられた。

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ご先代様は必ず対でもう一つあるはずだから探してほしいとお願いしたがその時は見つからず。

 

後日、連絡があり高島屋に出かけると善導様のこの額が、、

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高祖善導様と宗祖法然様の二祖様が揃われたとお喜びになられたことは当然。

この二つの額を近づけると「二祖対面」のお姿。

素晴らしい仏縁で昌清寺さまに奉安されることに、、

このお話もお檀家様にご紹介することが出来た。

 

午後1時から法要までの約50分間ほどお説教の席でお話をさせて頂いた。

準備していたお話よりもアドリブが多くなりすぎたか、、、
満堂のお檀家様も熱心にお聞きくださり感激。


昌清寺は武蔵野台地の東端の本郷台、後楽園のドーム球場を挟み西側の自坊の高台は小石川台。
昔は後楽園方面に高い建物も無く自坊境内からは昌清寺様方面はまる見えだった、、
 

お陰様の一日。


本所横川 霊性院 お施餓鬼法要 説教席

本日は正午前に墨田区横川の霊性院に向かった。
御住職は青年会時代からのお付き合い。
副住職同士も同い年で様々な場面でご一緒させて頂いている。

 

霊性院様はお檀家様がお気軽にお参りにお越しくだされるようにとお施餓鬼法要は5月下旬の日曜日に厳修される。

今まで何回もご依頼を頂いたのだが5月下旬は毎年日にちの決まっているお寺と重なってしまい本日が二回目。

お十夜法要は10月中旬頃の日曜日だがこちらは若干日程的に余裕があるので5回ほどお邪魔をしている。

 

だだ本所横川までは春日通りで一直線なのだが湯島天神様では本祭りの真っ最中。

本社神輿の渡御に遭遇すると渋滞するので余裕を持って正午前に車で出発した。

特に本日はアメリカ合衆国トランプ大統領も来日中で午前中は首相と千葉県でゴルフだったようだが夕方から国技館の大相撲をご覧になるとの事で検問のための渋滞も考え早めに出発した。


霊性院正面 右の唐破風のお屋根は地蔵堂

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昨日よりも暑くなり二日続きの真夏日になると朝から報道されていたが車の外気温計は34度Cのままだった。

 

若干の遠回りをしても早めに到着できた。

 

霊性院様の一本東側のブロックの通りからは北にスカイツリーがよく見えるので時間が有ったので撮影に。

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以前、御住職からこの通りは隠れたスポットなので道路を改修すると伺っていた。

 

案の定、邪魔だった電信柱や電線も昨年撤去され歩道も綺麗に、、、

 

歩道脇には「タワービュー通り」の案内板も、

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5年前のお十夜法要でお邪魔をした時の同じ場所からのスカイツリー

電線が本当に邪魔をしていた。
スカイツリー
スカイツリーから南下して交差する春日通り、蔵前通りまで整備されたようだ。
スカイツリーから錦糸町駅へは絶好の抜け道かも知れない。

 

山門を入ると右手に「子育厄除開運地蔵尊」がお出迎え。

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江戸・正徳年間(約300年前)に境内の井戸から出現されたとの縁起も残る。

大正12年の関東大震災前までは14・24日のご縁日には門前に60以上の屋台も出て大変賑やかだったようだ。

その後、石像のお地蔵様は大戦の大空襲でも大きな損傷も無く今に伝わり地域の安全を見守られている。

お邪魔をするたびにお詣りをさせて頂いている。

私は午後1時から約一時間の説教席。

その後、2時から部内・関係ご寺院住職方の随喜でお施餓鬼法要開始。


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霊性院は書院・玄関や庫裏は25年ほど前に鉄筋コンクリート造で完成したがご本堂は以前のままの木造。
広いお玄関のスペースにもお檀家様はお座りになる事が出来る。

出仕寺院御住職方の両脇の間にも大勢のお檀家様がお座りになられている。


逆に私のお説教中には法要にご随喜・出仕のご寺院方の到着も確認出来る。

私のお役目が終わったのでご寺族にご迷惑にならぬよう早めにおいとま。

 

帰路は国技館からかなり離れた春日通りでも検問の準備中で多くの警察車両が停まっていた。

 

湯島天神様のお祭りの神輿渡御も避けたいので帰路も遠回りの言問通りで戻った。

大正解!!

 

また明日からも関係寺院でお施餓鬼法要の法話を依頼されているので澤蔵司稲荷  ご本堂でのご相談は今月いっぱいお休みとなる。


本日は傳通院でのお施餓鬼法要

本日も東京地方は昨日に続き30度Cを越える夏日なると朝から報じられていた。

 

あの風薫る皐月五月は何処へ?

 

今日は自坊の本坊である傳通院のお施餓鬼法要が厳修された。

 

既に夏衣の絽の道衣を被着して出かけたが紗を着てもおかしくない気温だった。

 

 

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現在境内の鐘楼堂は木造に再建途中

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法要中の堂内は空調も効いており昔に比べ格段に快適になった。

 

帰寺して知ったが3時過ぎに関東地方に地震があったようだが全く気がつかなかった。

 

明日からも今月は30日まで関係寺院でお施餓鬼の説教(法話)席を頂戴しているのでご相談事はお休みになりますのでご了承を、、

 

 


武蔵野市吉祥寺 光専寺 法話席

本日は午後3 時からお施餓鬼法要会が厳修される武蔵野市吉祥寺にある光専寺に向かった。

依頼されている説教席(法話)は午後2時なのだが遅刻は出来ないので正午頃に自坊を車で出発。


以前は東京メトロと中央線でお邪魔をしていたのだが御住職から駐車場のご用意が有るとの事で4年前からは車でお邪魔をしている。

私は説教席のみで法要には随喜せずおいとまするので駐車場は出やすいようにとのご配慮も、、
 

昼時でもあり一般道も高速道路もスムースで40分足らずで到着してしまった。

 

自坊を出掛けるときに既に外気温は28度℃を超え30度℃を超える真夏日になるとの予報も出ていた。

 

光専寺

 

山門

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晴天で太陽もじりじりと照りつけお参りの方も汗だく、、


御本堂
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ご本堂は昭和初期の建造で数年前に耐震工事を済ませた。

 

書院玄関も立派

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写真からも暑さが感じていただけるのでは、、、、


時間が有ったのでお玄関に御邪魔をする前に境内を拝観参拝、、

墓地に向かう参道の地蔵尊
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本日は24日でお地蔵様のご縁日でもあり私もしっかりお参りをさせていただいた。


先代御住職の御発願で建立された水子地蔵尊もお詣り。
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光専寺歴代御住職のお墓も、

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若い頃に御教導賜り私の寺の先代住職(実父)も30年近くお説教にお呼びくださった御先代住職の23回忌の角塔婆も、、

一昨年厳修された。

私も若いころからご教導賜った。

 

御本堂内陣 御本尊様へご挨拶。
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お説教には一時間ほど前だったが堂内には「お斎 おとき」(お食事)を済まされたお檀家様も既にお座りになられていた。

 

左脇陣には「箪笥 たんす 地蔵尊」
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以前、御住職からお聞きしたが御厨子のお地蔵様を手前の箪笥のような箱に収めまさに和箪笥のように鍵手が着いており駕籠(かご)のように担いで「出開帳」をしていたとの事。

私の師僧(実父)も記録によると平成元年(82歳)まで光専寺様のお施餓鬼会やお十夜法要のお説教席に御邪魔をしていたと有るので師僧の愛用していた「如意」や「お袈裟」(遺具)を着けさせて頂きお説教をさせて頂いた。

現御住職とは大学時代からのお付き合いで御内室とも結婚前から存じ上げている。
有り難い「ご縁」

お陰様で帰路もスムースで午後3時過ぎに出発したが4時頃には帰寺出来た。

 

今日も有り難い一日。感謝

 

明日からも猛暑が続くようなので熱中症にはご留意いただきたい。

 

30日まで連日関係寺院でお施餓鬼法要が続くので稲荷ご本堂でのご相談事はお休みになっておりますのでご了承を、、
 


本日もお施餓鬼法要説教席(法話)

本日は正午頃に文京区小日向(東京メトロ 茗荷谷駅近く)の深光寺に向かった。

一昨日の暴風雨とは打って変わり昨日・本日は暑いくらいの良いお天気。

住職は同じ中学・高校の先輩だが浄土宗の僧侶になる最後の行である傳宗傳戒道場は同行。
先代御住職さまにも若い頃から御教導賜った。

 

実は先輩でも有り傳宗傳戒道場も同行の御住職は昨年10月に高校の同期会の打ち合わせ会の帰路に御自坊山門のすぐ近くまで戻られたが虚血性心不全で急逝された。

大学時代はアメフトの選手としても活躍され持病もお聞きしたことが無かったので訃報が飛び込んできたときはまさに青天の霹靂だった。

その時期は秋のお十夜法要が続き御自坊の十夜法要を予定していた日に表葬が執り行われた。

 

本日は新住職(新命住職)が初めて導師を務めるお施餓鬼法要の説教席のご案内を頂いていた。

深光寺墓所には江戸時代、「南総里見八犬伝」で有名な戯作者「滝沢馬琴翁」の墓が有る。
境内入り口の文京区教育員会の案内板。
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小石川七福神の「えびす様」もお出迎え、、
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文京区では史跡巡り・文学散歩のコースが設けられているが東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷駅」から後楽園、「本郷三丁目駅」にかけていくつもある。
慈眼院・澤蔵司稲荷境内にも史跡巡り、文学散歩、小石川七福神巡りの大勢の方々が訪れるがこちら深光寺さまがスタート地点か最終地点になる。

馬琴翁と奥様であるお百さんのお墓。
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馬琴公は「蓑笠」(みのがさ)の別号が有るようにお墓にも「蓑笠」がのっている。

毎年のようにご紹介しているがお墓竿石の下の台石には家を形取った 馬琴翁の「蔵書印」が刻まれている。
蔵書印
いつも思うが江戸時代のデザイナーのセンスに驚く。

境内には滝澤家の歴代墓も、、
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墓石の上にお地蔵様がのる珍しいお墓。

今となっては御先代住職になってしまうがこのお墓も馬琴翁の発願で自らデザインしたとのこと。
自筆のお墓の図面が残っているようだ。
よくご覧になるとわかるが墓(四角の胴体部分)の左後角が欠けているが建立の時に石工が境内に運び上げたときに誤って落とし欠けてしまったとの事。
それを見ていた馬琴公は「いいよ、、」と仰り角が欠けたまま建立されたようだ。
その時の経緯は古文書にも残っているとお聞きした。
馬琴翁はお心がお広かったようだ。

寛政元年(1789年)に深光寺第八世上人が建立した「厄除観音塔」

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まずは御本尊様へ御挨拶

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昭和20年5月25日の山手大空襲では被災を免れた鎌倉期の素敵な阿弥陀様。

 

昨晩、新命住職の継承式を私のお説教のあと施餓鬼法要の間に執行した方が良いと急遽決まり本尊阿弥陀様の御前には遺影とお位牌を、、、


午後1時からお説教の席を頂いた。その席でも法要前に継承の儀の作法を若干ご説明をさせて頂いた。

 

継承式

所属御部内長老上人から浄土宗御門主から頂戴した「住職認証」書の伝達

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引き続き歴代御住職がお使いだった水冠・払子の伝達も滞りなく。

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その後、午後2時からご部内寺院御住職方と共に法要が、、、

本尊前から転座をして施餓鬼壇の前で新命住職による「表白」の奉読
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本日のお施餓鬼法要の趣旨を奉読される。 初めての表白奉読で緊張されたか、、、

 

継承式では出しゃばってお説教後、衣・如法衣のまま司式(司会)までさせて頂いた。

御遷化された先輩御住職にお喜び頂けたか、、、

 

明日は吉祥寺の仲間のお寺のお施餓鬼法要。


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