澤蔵司稲荷 「木遣不動尊 」と「木遣塚」

 澤蔵司稲荷  御本堂右脇陣には「木遣不動尊」像が奉安安置されている。

この木像のお不動様は現在の一般社団法人 江戸消防記念会 第四区木遣親聲会創立100周年を記念して第四区頭取中と筒先・道具中が一丸となり造立され御本堂に奉安された。

 

早いものでもう7年が経過した。

雰囲気をお伝えするために7年前のブログをペースト

 

(社)江戸消防記念会 第四区木遣親声会 創立100周年 不動明王開眼法要 お練り行列

以前からお伝えしているように本日、澤蔵司稲荷本堂へ(社)江戸消防記念会 第四区木遣親声会 創立100周年を記念して不動明王開眼法要の為のお練り行列が傳通院本堂から予定されていた。

しかし午前6時の朝の勤行の頃は天気予報通り低気圧通過の影響で土砂降り。
木遣り親声会の関係者の方々は絶対お練り行列をしたいと言う事で長い間準備をされていた。
ブログの通り昨晩も遅くまで準備に追われた。
昨日の準備のブログ。

関係の方々とは午前9時15分のお天気模様でお練り行列をするか決まっていた。
奇跡的に曇り空ではあったが雨が止みお練り行列は執行することになった。
急遽、本堂内に飾ってあった第四区所属10組の纏(まとい)も担ぎ出され傳通院へ。
お練り決定

傳通院向拝階段に10組の纏が整列。
御回願

本堂外陣で御輿にお載せした不動明王と共に御回願。
傳通院2

御回願後、予定通り午前10時に傳通院境内を出発。
傳通院3

傳通院から澤蔵司稲荷までの通りは地元警察の配慮、小石川消防署並びに小石川消防団の警護の元でお練り行列が進む。
纏行列
第四区10組、10本の纏(まとい)が威勢良く舞う。

お練り行列。町中に木遣りの声が響いた。
練り行列
珍しいお練り行列に御信者様以外にも地元の大勢の方々もご覧くださった。

澤蔵司稲荷正面参道の階段へ到着。
参道階段

参道には多くの御信者様もお迎え下さった。
参道到着

あの朝方の土砂降りの雨も奇跡的に止みお練り行列が執行出来た。
その後、御本堂で開眼・奉安法要が厳修された。
御信者様は長い時間、境内でお待ち頂いてしまった。

今後、ゆっくりお詣り頂きたい。
お練り行列に関しては地元富坂警察、小石川消防署長始め署員の方々、小石川消防団の各位にもご配慮頂いた。
小石川消防署長からは素晴らしいご祝辞も頂戴した。

奉安・開眼法要の様子は後刻お伝えする予定。
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以上が7年前、平成22年10月10日のブログ。
本日の木遣不動尊
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ご覧になりにくいがお厨子の上にはケヤキの立派な額に各組の纏がデザインされ奉記(趣旨)と関係者のお名前が刻されている。
先日もお像を彫刻された山形の仏師さんがお出でになりお線香や護摩の煙に薫じられ素晴らしいお姿になられているとお喜びだった。
昨年、春季例大祭で本堂の修復工事完工奉告と境内参道に完成した木遣塚開眼の併修の大祭を、、
その時に江戸時代から神社仏閣等の工事で基礎固めをする櫓と真棒のミニチュアも、、、
2
この櫓の中段と上段にとび職の方々が乗り力を合わせる為の作業歌が木遣原点と伝わる。
その後、この調子をとるかけ声が儀式化・洗練され木遣りに、、、
現在は東京都技芸の無形文化財にも指定されている。
小石川の地元、江戸町火消「な組」、現在の江戸消防記念会第四区二番組組頭、第四区高柳総代はその歴代の木遣師と町火消しで殉職した方々の遺徳、業績、功績を称えその伝統を後世に伝えたいと江戸町火消「な組」の木遣塚を境内に奉安した。
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中央の円柱の石塔は地固めの真棒を象徴している。
ミニチュアでお判りのように丸い胴には綱を架ける出っ張りがある。
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来月一日の木遣不動尊祭までに中央の真棒の台座の右側に観音菩薩、左側に地蔵菩薩が奉安されその開眼も、、
後ろ側の脇には「南無阿弥陀佛」のご名号も刻まれる。
組頭・総代は単なるモニュメントや記念碑では無くお詣りの場所になって欲しいとの一念。
木遣不動尊祭はこれからの若い衆にその伝統を継承して貰いたいと主催は第四 筒先・道具中。
江戸消防記念会では組頭・副組頭・小頭は正会員なので第四区を名乗れるが若い筒先・道具中は準会員のために「第四」となり区は名乗れない。
昨晩、西参道にも幟旗が、、、
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地元・表町町会さんもご協賛で出店、筒先・道具中もゲームや焼きそば等の屋台も、、
また護摩の法要、木遣塚での序幕・開眼には第四区のみで無く各区の頭取中もお越しになり総勢80人程ともお聞きしている。
素晴らしい木遣りや纏振りもご披露される。
また本堂内へお詣り頂いた方には先着150名様に主催の筒先・道具中から「お稲荷さん」のお土産も、、
詳しい日程は下旬にお伝え予定。 お楽しみに、、、

 


木遣不動尊祭の準備会

先日もお伝えしたが来る10月1日に 澤蔵司稲荷  御御本堂に奉安されている江戸消防記念会第四区「木遣不動尊」の年一回の例大祭が厳修される。

 

地元、表町町会さんにもご協賛頂き毎年行われている。

午前中には町会役員さんがポスターをお持ち下さった。

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既に町内の掲示板には掲示済みとお聞きした。

 

午後7時から書院で主催の第四 筒先・道具中の例式が行われその後私にもお呼びがかかり第四区総代と共に当日の打合会が、、

 

本年は境内参道の木遣塚の真棒には浄土宗宗祖法然上人の御名号が刻まれ台座の両脇には観音菩薩と地蔵菩薩が奉安される。

その工事は月末に行われるようだが式典の中でその序幕・開眼の作法も依頼されている。

 

木遣塚は江戸時代から活躍された町火消しの先達の追善とその遺徳を偲び伝統を継承するための塚。

現在の記念会にもその精神は継承されている。

境内の木遣塚は地元の町火消「な組」(現在の第四区二番組)の木遣塚。

 

総代がお帰りになってから筒先・道具中の役員が残り再度打ち合わせが、、、

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境内には会議に先立ち旗も立てられていた。

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風向きでこうなってしまったが、、、

 

昨年の不動祭りのブログ  http://blog.takuzousuinari.com/?day=20161002

 

 


地元 表町町会 例大祭

本日と明日は地元 表町町会では白山神社の例大祭。

 

近年はどこの町会でもマンションが増え新しく入居されたご家庭も多く地元に馴染んで頂こうと様々な工夫もしている。

昔の事をご存じない方も増え町会役員の方々も戦後昭和22年以降の変遷をつぶさにご記憶の方も減った。

 

神酒所も出来上がっていたので午前中にご挨拶。

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氏神様をお迎えする設えも整っていた。

 

本日は山車と子供神輿の町内渡御のようでその準備も、、

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祭りの二日間は春日通り交差点から傳通院山門前は歩行者天国で車両通行止めに。

祭礼が彼岸の入りに引っかかる場合は一週間繰り上げで執行の年も、、

 

戦前・戦後の旧・表町町会は大変広く昭和33年に様々な理由で表町町会と小石川表町町会に二分された。

詳しい経緯は存じているがブログでは、、

 

澤蔵司稲荷  鎮守の杜に守られ戦災に遭わず焼け残った神輿蔵の神輿や山車・太鼓等は小石川表町町会の管理に。

 

その為に分裂後、 澤蔵司稲荷 地元表町町会は翌年の昭和34年に山車や太鼓を新調。

太鼓の胴には昭和34年4月吉日の銘が、、

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この時代の太鼓の銘板には右から「御神輿太鼓製造發賣所」で住所は「東京都台東区聖天町」とあり新住居表示の前、、

 

大人神輿は本日は出番が無いのと雨のために神酒所お隣のマンションのロビーにお隠れ

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大人神輿に銘板は無かったが「御神輿師 宮本重義作」の木札が有った。

制作年月は分からず、、

 

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午後、再度お邪魔をしたら大変な賑わい、、

たまたま町会長・副町会長・祭礼委員長等がお集まりのテントにお呼びがかかり地元・富坂警察署長も私服でお出でで一杯頂きながら楽しい時間を過ごさせて頂いた。

 

明日は昭和33年に町会が分かれてからおよそ60年ぶりに両町会による連合渡御が予定されているが台風の影響で天候が心配、、、

 

是非、記念すべき両町会の連合渡御を見届けたいのだが、、、

両町会の神輿、山車は 澤蔵司稲荷  境内のそれぞれの神輿蔵に保管されていた。

 

 

以下、古い8年前のブログだが小石川表町町会の山車・太鼓をアップしてある。

 

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戦火を免れた町会の山車・御輿

先程、本堂の後片付けをしていると「小石川表町町会」の町会長さんや役員の方々が澤蔵司稲荷境内の御輿蔵から御神輿や山車を搬出していた。

先日もお伝えしたが慈眼院・澤蔵司稲荷の地元は明治以後「表町」と呼ばれていたが戦後分割され「表町」と「小石川表町」となった。
その為、戦前までは境内には「表町」の御輿蔵は一つだった。
昭和20年5月25日の小石川近辺への空襲でもこの御輿蔵は鎮守の杜「お穴」の樹木に守られ奇跡的に類焼を免れた。
蔵の御神輿や山車は戦前のものだ。これらは現在の「小石川表町」の管理となった。
ちょっとややこしいが先日のブログ。

明日から白山神社の氏子町会では例大祭が始まる。
表町山車
境内奥の御輿蔵から階段を引き上げ参道へ出た「山車 だし」

山車の太鼓の胴には「昭和六年九月吉日」と彫られている。
表町太鼓1
78年前の太鼓と山車。(追記 現在では86年前)

何回か戦後も張り替え等の修理をしていると思われるが浅草「宮本卯之助」商店の戦前の「プレート」が太鼓の胴に打ち付けられている。
宮本卯之助1
東京市浅草區聖天町!!!(現在の浅草六丁目 本店のある場所だ)
プレート上部には右から「太鼓諸楽器製造發賣元」とある。

本堂にある毎日叩いている朱塗りの胴長太鼓も戦火を免れた。
やはり戦後、何回か皮を張り替えているので長胴の朱も張り替えの時に傷が付いてしまうので何回かに一度は胴全体を塗り替える。プレートも戦後のものになっている。
宮本卯之助2
文字も左側からに。  多分昭和39年頃に張り替えた時のプレートでは、、?
住所は新住居表示、電話番号の局番はまだ三桁。  あと5年程前だったら二桁?
プレート上部は「御神輿太鼓製造発売元」となった。

やはりこのような彫刻やプレートも記録としては大事だと実感。
本年7月24日の太鼓に関するブログ。
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宮本太鼓店の銘板も年代により店名も住所表示も微妙に異なっている。
昭和初期は「宮本諸楽器製造發賣元」 住所は「東京市浅草区聖天町」
戦後初期は「御神輿太鼓製造發賣元」 住所は「東京都台東区浅草聖天町」
昭和39年?頃からは「御神輿太鼓製造発売元」 住所は「東京都台東区浅草六丁目」
全部、現在の言問橋西詰の本店住所。

 


先月開催の江戸消防記念会第四区&江戸町火消元六番組 大旗完成祝賀会の私の祝辞

先月27日に池之端・東天紅で江戸消防記念会第四区と江戸町火消 元六番組の「大旗」が完成して祝賀会が開催された。

 

当日は第四区顧問の中屋都会議員、成澤文京区長、第四区の地域割りを担当する消防庁第五方面本部長や所轄の消防署長も来賓でお出でになっていた。

勿論、日頃お付き合いのある方々、消防団関係の方々、第四区頭取中・元六番組頭取、若い筒先・道具中も、、

 

長年様々なご縁でお世話になっており日頃の梯子乗りや木遣りの稽古は 澤蔵司稲荷  境内や本堂・書院で稽古も有り私にも祝辞のご指名があった。

 

既に第四区と元六番組の大旗完成の時は 澤蔵司稲荷  御本堂で入魂の御祈願が執り行われていた。

 

その時のブログ

このページでご覧頂けるようにブログをペースとする。

 

入魂式と祝賀会のブログを連続でペースト

 

江戸消防記念会第四区 「大旗」「略旗」 入魂式 挙行

日頃 、澤蔵司稲荷とは深いご縁を頂いている江戸消防記念会第四区並びに木遣親聲会。

 

本日は明治に江戸消防記念会第四区に改変されてからの念願であった「大旗」「略旗」が完成してその入魂式が厳修された。

 

午前9時頃から澤蔵司稲荷  本堂で準備開始。

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右から第四区「大旗」、「略旗」、「国旗」

 

大旗は金糸・銀糸で刺繍をされた素晴らしい旗。

ご紹介したいのだが第四区総代からは今月下旬に正式にお披露するのでそれまではと言う事でクローズアップの写真はご遠慮。

 

その後、書院で所属10組の組頭の会議開催。

正午からそれぞれの組の組頭・副組頭・小頭 約40名ほどの頭が本堂へ、、、

 

入魂式。

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高橋様ご提供の一枚

 

副住職(副別当)の先請伽陀の奉唱のもと「大旗」「略旗」「国旗」の入魂作法、合わせて第四区に伝わる新春、椿山荘での「大盃の儀」に使われる輪島塗の素晴らしい「大盃」「酒器」の御祈願も、、

 

この大盃の写真もあるのだが門外不出なのでご紹介出来ない。

 

ただ毎年お招きを頂く「大盃の儀」は毎年ブログにアップして有るのでブログ内「検索」で「大盃の儀」で検索頂くとご覧頂ける。

我々の「行」では秘密道場に相当する作法だがお許しも頂かずご紹介させて頂いている。

内緒でご紹介。

 

「大旗」の制作過程や細部の刺繍等のご紹介は今月末のお披露目のあとにご紹介予定。

 

その後、祝い膳が書院で振る舞われ副住職共々ご馳走になってしまった。

おめでとうございました。

 

 

PS

本日は午前8時頃からお世話になっている植木屋さんが霊窟に降りる階段横の樫の木の強剪定に、、

 

入魂式・祝膳がお開きになり境内に見に行くとさっぱりと、、、

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常緑樹だが春先からパラパラと長い期間葉が落ちるので強剪定を依頼してあった。

樹齢は不明。

 

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トラックが一杯になったので他の樹木は後日に、、、、

 

またまたお陰様の一日。

 

 

江戸消防記念会第四区 江戸町火消元六番組 「大旗」 完成披露祝賀会 

昨晩午後6時から池之端「東天紅」で一般社団法人 江戸消防記念会「第四区」と江戸町火消「元六番組」の「大旗」が完成してその披露祝賀会が開催された。

 

広い祝宴会場も来賓、日頃関係のある方々、地元小石川消防署長はじめ第四区所轄の各消防署長をはじめ各組頭取や筒先・道具中、若い衆で200名を超える出席者で埋まった。

 

来賓着席後、両「大旗」は木遣りと共に入場して壇上に飾られたがビデオを写しており撮影を忘れた。

(このブログには動画のアップが出来ない。)

 

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ステージにお飾りされ、「君が代」斉唱、先達の諸々霊位に黙祷後、高柳第四区総代・元六番組会長から挨拶と経過報告

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式次第

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主賓の挨拶は記念会小宮名誉会長、成澤文京区長、中屋記念会顧問、小石川消防署長と共に私にもご指名が、、

 

成澤文京区長   江戸町火消しにも触れられご祝辞

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祝儀の木遣り

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「千秋萬歳」の木遣りも素晴らしかったが第四区所属10番組までの十基の纏にとどまらず江戸町火消し元六番組所属の五基の纏も並べられてあった事に感激。

私も祝辞の中でそのことに触れさせて頂いた。

総代披露の祝宴等で第四区十基の纏が並ぶのは有り難い事に何回も経験があるがこの光景は初めてだった。

 

   澤蔵司稲荷  本堂への木遣不動尊奉安のブログ

       http://blog.takuzousuinari.com/?day=20101010

   高柳第四区総代就任祝賀会のブログ

    http://blog.takuzousuinari.com/?day=20160330   

 

 

 

祝儀の舞や新内の演奏も有ったが見とれて写真撮影を忘れてしまった、、

 

筒先・道具中の梯子乗り

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朝、境内奥の倉庫から梯を運んでいたが天井は高いと言えども低く三間半の「本梯子」は建てられず一番低い稽古梯子でのお披露目だった。

本梯子は長鍵を使い12人で支えるが場所の関係も有り道具中が素手で、、

 

お料理やお酒も美味しく頂戴して午後9時過ぎに一本締めで目出度くお開きとなった。

 

改めて大旗のご紹介

 

第四区大旗

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中央には金糸の刺繍で盛り上がった「親聲」の文字が、、

所属十組の纏は面ごとに銀糸の刺し方を変えているので光の加減で陰影がでて立体感が、、

 

元六番組の大旗

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刺繍の文字は「元六」

 

共に完成直後には 澤蔵司稲荷  本堂で入魂・開眼をさせて頂いたので私自身にとっても思い入れが。

お目出度うございました。

 

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先日、第四区のお祝いを含め写真撮影をなさっている写真館の方から当日の私のスピーチの写真を頂戴した。

ブログには極力、自分のアップの写真は載せていないのだが折角頂戴したので恥ずかしながらご披露、、、、

高砂後ろの「大旗」が素晴らしいので敢えて、、、、、

 

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新春の椿山荘・錦水での「新春大盃の儀」は私の業界では秘密道場と同様、公開はしていないので写真屋さんも撮された事は無いが私がいつも撮影をさせて頂き無断でブログでもご紹介。

 

今春の「大盃の儀」のブログ

江戸消防記念会 第四区 「新年の式」(大盃の儀)

本日は例年通り正午前から目白の椿山荘に向かった。

日頃、お心遣いを頂いている江戸消防記念会第四区の頭取「新年の式」「大盃の儀」が
「椿山荘」で挙行された。
毎年御案内を頂き出席させて頂いている。

椿山荘で唯一和室の大広間がある庭園内の料亭「錦水」が会場。

錦水に向かう庭園内の三重塔。
大正14年に藤田平太郎氏が広島県・竹林寺から三重の塔を移築した。
現在は東京都の有形文化財に指定されている。
周りの樹木は「雪釣り」の冬の姿だった。

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椿山荘は江戸時代には久留里藩黒田家の下屋敷だった。
明治10年山縣有朋公爵が屋敷として「椿山荘」と名付けた。
時間が有ったので庭園を散策

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庚申塔

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椿山荘内「錦水」の玄関

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筒先・道具中の若い衆に迎えられた。
本年、担当する年番は一番、六番組、、、

ご来賓で第四区管内、消防庁第五方面本部長や小石川、本郷、池袋、神田、豊島消防署長等々もお見えになっていた。

本年は午後1時半から大広間で開式の「口上」と「大盃 おおさかずき」の振る舞い。
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まずは年番(第四区は10組有るので輪番でその年の担当が決まっている)からの口上に続き「大盃」(おおさかずき)が振る舞われた。

まずは小宮江戸消防記念会名誉会長(元 消防総監)と一昨年第四区総代になられた高柳総代に大盃が、、


実はこの儀式は一般公開もなく門外不出の新年の習わし。

江戸時代にはいざ火事の場合は組頭に忠誠を誓う作法として始まった。

 

神聖な儀式であるのでこの江戸時代から続くしきたりを是非ご紹介したく毎年撮影させて頂いている。


若い衆が江戸消防記念会小宮名誉会長と第四区総代から来賓へと大盃の振る舞い。

ちょっとこの写真はご遠慮した。

若い衆の緊張した凛々しさに次世代を期待!

右側は一番組から五番組、左側は六番組から十番組の頭取中が並んでいる。

大盃が上座から一巡したあと祝いの「白扇」が、、
白扇
我々、浄土宗での慶事の時には「朱扇」を使う。

その後、祝いの木遣りの奉唱
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「大盃」の祝辞の後、納めの大盃が下座から逆に振る舞われ名誉会長、総代に納められた。
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この儀は江戸時代から続きいざ火事の場合は組頭・総代に忠誠を誓う神聖な儀式。

 

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立派な輪島塗の酒器

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大盃を修める三宝にはそれぞれ一番組から五番組、六番組から十番組の纏が描かれている。

 

大盃の儀も無事、円上。


澤蔵司稲荷地元・小石川消防署長から祝辞と乾杯の音頭

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乾杯のあと祝膳を頂戴した。
私も毎年、乾杯の後には祝辞と日頃の御礼を申し上げている。
 

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和やかな中に目出度く4時過ぎに手締めでお開き。
お開き
本年の江戸消防記念会のご活躍と地域の安全を祈念。


尚、来る1月14日には澤蔵司稲荷本堂で「筒先中・道具中」の「大盃」の儀が予定されている。
昨年のブログ 
http://blog.takuzousuinari.com/?day=20160116
「筒先・道具中」は各組の「小頭」より若い衆。
江戸消防記念会では準会員になるが澤蔵司稲荷御本堂で護摩供後に「大盃の儀」が執行されるが御信者様でもご覧頂く事は出来ない。
ご了承を、、、、

本日の「頭取新年の式」(大盃の儀)は伝統的・神聖な作法・所作なので毎年同じようなご紹介になってしまう。
様々なご縁で御案内を戴き出席をさせて頂いているが皆様にも是非ご覧頂こうと思いついパチパチと、、、、
 

このような伝統的な儀式もご紹介しなければとの一念で、、、

 

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PS

来る10月1日は本堂に奉安されている「木遣不動尊」の不動祭りが若い筒先・道具中の主催で厳修される。

境内の「木遣り塚」には観音様とお地蔵様を奉安して各区の頭取中もご参列されるようだ。

開眼と共に例年通り参道で「纏振り」や境内では町会を含め楽しい屋台も出店予定。

 

近づいたら御案内予定。

 

長いブログ申し訳ございませんでした。


これは便利かも、、、

本日、境内で気になる枝の剪定をしていたら若者が、、

 

話を聞くとNTT docomo bike  share の営業マン。

 

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本人もシェア用の赤い電気アシスト自転車で、、、

 

頂いたパンフレットを拝見すると 澤蔵司稲荷 の最寄り駅、都営地下鉄大江戸線・三田線「春日駅」、東京メトロ丸ノ内線・南北線「後楽園駅」のそばにもサイクルポートが何ヶ所も、、、

近すぎて気づかなかったが坂の多い文京区で電気アシストの自転車で 澤蔵司稲荷 へのお詣りやお寺巡り、史跡巡りにも便利そう。

 

詳しくはHPで、、  http://docomo-cycle.jp/tokyo-project/

 

docomoさん こんなこともしていたんだ、、、

 


境内の曼珠沙華(彼岸花)

一週間程前に境内の掃除の時に曼珠沙華の花芽が伸び出していた事は知っていた。

例年より早いなと思っていたが案の定、昨日からちらほらと咲き出した。

例年だとちょうど秋のお彼岸の頃に咲き出しお中日の頃に満開になるのだが、、、

今年は9月に入り涼しい日が続いたので少し早めに、、

 

曼珠沙華は朱色の方が主流だが私の所の境内には白色の曼珠沙華の方が多く咲く。

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厳密に分類すると白色のは「シロイロマンジュシャゲ」と呼ばれ自然交配種で違うようだが、、、

私は観察眼が無いので色の違いしか分からない。

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確かによく見ると紅色と白色の花は花びらが若干異なるようだが、、、

 

こちらはピンクの曼珠沙華、、、

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また違う学名が有るのか、、、、

私はあまり気にしないタイプなので、、、、

 

郊外に多く咲くのは曼珠沙華の球根にリコリンと呼ばれる毒性がありネズミやモグラ除けに土手や田畑の周りや畦道に植えられたと昔聞いた事がある。

 

どちらにしても曼珠沙華は花芽だけが伸びて花が咲き、その後に葉が伸びてくるので「葉を見ない花」「花を見ない葉」とも言われ「再会」のような花言葉がいくつもあるようだ。

 

花には寒中の寒い頃、春先の暖かくなった頃、新緑の頃、暑い真夏、、そして涼しくなり出した今頃に咲く花とまちまち。

これも四季の移ろいとそれぞれの季節感を味合わせてくれるので有り難い。

 

境内の様々な樹木や花を見させて頂いているが枝や芽の生え方、葉の形態、花の造形等々興味が尽きず植物学を少し勉強しておけば良かったなと思う時も有るがそのタイプでは無い、、、

その時々の感性で楽しませて貰うタイプ。一番気楽でイイ、、、

もうすぐお彼岸。

 

 


秋季例大祭 & お穴(霊窟)お堂 鳥居開眼法要 厳修

本日はお伝えしたように 澤蔵司稲荷  秋季例大祭と共にほぼ整備が整った鎮守の杜の霊窟お穴様のお社(お堂)と御寄進頂いた鳥居の開眼・入魂式を厳修。

 

お陰様で晴天に恵まれ暑いくらいだったが午前11時半にお穴様へ、

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お社復元、境内崖地等の整備、鳥居の設置作業で監督をお願いした眩蔚酋函ζ麋崛帆汎各位もお出迎え。

 

先ず階段上の鳥居に洒水作法

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地元、表町町会長や役員の方々もお越し下さった。

 

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以前からのお社も改めて設置

 

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 澤蔵司稲荷  総代や御信者様の前で復元工事が完成したお堂とお社の開眼作法

 

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江戸時代から続く 澤蔵司稲荷  霊窟の雰囲気が新しく蘇った。

 

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この場所は普段お詣り頂く境内からかなり下がった窪地なので崖地の整備や参道の整備でもご苦労をおかけした。

御寄進頂いた鳥居も日光杉で腐食しやすい根元部分にも工夫が施され耐久性が増した。

 

工事中に植木屋さんにも一部の大木の枝の強剪定をして貰ったので明るくなったが正午頃でこれだけの日陰も、、、

 

その後、正午過ぎから御本堂で秋季例大祭の護摩の厳修

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さすがに護摩の炎と共に本日の気温も高かったので護摩供は熱(暑)かった、、、

 

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お詣りの御祈願者様、整備ご協力、鳥居御寄進の方々のお名前もお読み上げをして御祈願。

滞りなく厳修が出来た。

 

御祈願後に私のご挨拶と共に工事に御尽力賜った江戸消防第四区二番組(江戸町火消 な組 御殿町)組頭から経過報告を頂いた。

 

御信者様はじめ関係皆様に改めて感謝申し上げます。

感謝とお陰様の一日。

 

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実は2年前の正月にテレビ東京の「L 4 you」(エルフォーユー)の新春番組で「本年のパワースポット」と題し 澤蔵司稲荷  が紹介された。

 

改めて当時のブログをペーストしてご紹介。

画像を見るとお穴様のお社も朽ちた状態だった事が分かる。

 

あの番組の中でアナウンサーがこのパワースポットの写真をスマホの待ち受け画面にすると運気があると紹介したので全国から多くの方が訪れ境内やお穴様で写真を撮り待ち受け画面にセットしていた。

未だに続いているが、、、

 

 以下、ビデオの画面をご紹介したブログ

 

今夕、テレビ東京で「パワースポット」放映

昨年末、テレビ東京から新春の「パワースポット」番組で取り上げたいと問い合わせがあった。

番組は本日午後4時からの「L4you」(エルフォーユ)だった。
暮れに撮影に来られていた。

私は多忙で先ほど録画で拝見。

澤蔵司稲荷

ディレクターさんには絶対私の顔は出さないとのお約束だった。

陰陽師 橋本京明氏が本年のお勧めパワースポットとして番組最初にご紹介下さった。

鳥居


霊窟お詣り

おあな

説明4

その後、開創以来400年近く営業日にはお蕎麦の奉納が続く「稲荷蕎麦 萬盛」さんへ
萬盛

江戸中期の澤蔵司稲荷「略縁起」にも「まだまだ蕎麦の奉納が続いている」と記されている。

毎日、澤蔵司稲荷御本尊様へ御奉納されているお蕎麦。
奉納蕎麦
開店前の初茹で(初釜)のお蕎麦が奉納される。

手繰り
お店でも「箱そば」としてお品書きにある。


稲荷蕎麦 萬盛さんのご繁昌を祈念。

 

 


明日は「 澤蔵司稲荷 」秋季例大祭

先日もお伝えしたように明日10日は 澤蔵司稲荷  秋季例大祭が厳修される。

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お陰様で鎮守の杜 霊窟(お穴)の崖地修復やお社(お堂)の復元工事、鳥居の設置工事等もほぼ完工。

明日までに間に合わなかった鳥居二基は10月末になってしまったが、、

 

大祭準備もやっと一段落した夕方、副住職は大本山増上寺の3週間の養成道場係で留守だったが成満日よりも一日早く帰寺。

二人でお穴様へ

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まだ一部作業は残っているが、、

 

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既に薄暗くなっていたので灯籠や吊り灯籠にも灯りが灯っていた。

 

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透かし彫りの吊り灯籠からの灯りがお堂天井、、柱、正面の鏡石に綺麗に漏れる。

 

明日は午前十一時三十分からこの場所でお社(お堂)の開眼や鳥居の入魂式を、、

その後、正午から御本堂で例年通り秋の例大祭の護摩があがる。

お天気にも恵まれそうなので是非お詣り下さい。

 

PS 副住職は行係中、長く増上寺に駐車をしていたのでバッテリーが上がってしまい荷物を積み込みエンジンをかけようとしたがかからず、、、 苦労して帰ってきた。


霊窟 お社(お堂)の設え

澤蔵司稲荷 鎮守の杜 (文京区保護樹林内)の霊窟のお堂の荘厳も9月10日の秋季例大祭へ向け急ピッチ。

 

本日は地元 江戸町火消「な組」組頭のご配慮で小田原提灯型の吊り提灯も設置された。

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先日もお伝えしたが御寄進により既に中央鏡石の前には葵のご紋が入った長めの透かし彫りの吊り灯籠。

両脇には丸形の桜の花が透かし彫りの吊り灯籠が二対設置されていた。

こちらには灯りが灯り夜もなかなかの雰囲気が、、、

 9月1日のブログ      http://blog.takuzousuinari.com/?day=20170901

 

「 澤蔵司稲荷  」と刻された無垢の真鍮に金メッキの素晴らしい提灯。

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ちょっと反射してご覧になりにくいが、、、

 

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本日は鳥居の参道左側にも以前のお社を設置する土台の作業が行われていたのでシートがかかり全体の雰囲気をお伝えできないが、、、

明日、改めてご報告予定。

 

昨日お伝えしたように9月10日(日曜日)の正午から御本堂での秋季例大祭の護摩厳修の前、午前11時半頃からこの場所で開眼、鳥居の入魂式を執行予定。

 昨日のブログ   http://blog.takuzousuinari.com/?day=20170907

 

若干、早めにお越し頂ければご一緒にお詣り頂けると思う。


澤蔵司稲荷 秋季例大祭 ご案内

本日は二十四節季の「白露」

夜露が花や葉の上に輝く頃とも言われる。

本日も小雨模様ですっかり秋めいてしまった、、、

参道脇のソメイヨシノの葉は毎年八月下旬頃から2〜3枚黄色くなっては落葉が、、、

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花は潔いが落葉は一気ではない。 12月上旬まで続く、、、

 

本年の 澤蔵司稲荷  秋季例大祭は9月10日(日曜日)

8月上旬にご案内をしたので早すぎたか、、

 

例年は正午(午の刻)から大護摩を厳修するが文京区保護樹林内のお穴さまの整備、お社の再建、鳥居の設置も一応完工したので午前11時半からお穴様でお社、鳥居の開眼入魂式を執り行う予定。

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11:30 お穴 お社開眼・鳥居入魂祈願

正午  本堂にて秋季例大祭大護摩厳修

 

 

ここの所、あまり暑くならないので曼珠沙華(彼岸花)も突然に芽が伸び出した。

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花芽の茎だけが、、、花が咲いたあと葉が周りから伸びてくる。

その為に「葉を見ない花」とも呼ばれている。

 

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例年はもう数日遅く伸び出すのだがお彼岸頃には早めに咲くかも?

 

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江戸町火消「元六番組」「元六睦」月例会

いつもお伝えしているが毎月六日澤蔵司稲荷書院で江戸町火消し「六番組」であった「元六番組」「元六睦」の月例会。

「じょうしき」と呼ばれているが「常式? 定式?」

毎月、所属の頭取中(組頭・副組頭・小頭) が集まる。
「六番組」にちなみ毎月六の日に例会が開かれる。

江戸時代の町火消しの組織「いろは四十八組、本所深川十六組」は明治時代になり近代消防に移行したことに伴い「市部消防組」として再編成された。

その後、明治末に火消しの文化・伝統等を継承する為に江戸消防記念会として組織された。
現在の「一般社団法人 江戸消防記念会」 全体で11の区で組織されている。

 

ご参考に先日のブログ http://blog.takuzousuinari.com/?day=20170816

小石川の地元は現在、第四区で二番組だが江戸時代には六番組「な組」として町火消しを担っていた。
その江戸時代の「六番組」はその組織を継承するために現在でも「元六番組」「元六睦」として現在の江戸消防記念会第四区とは所属がダブる組とダブらない組もあるが受け継がれている。
第四区では「な組」(現・二番組)「む組」(現・七番組)「う組」(現・二番組)が所属。

今朝は例月より早く午前8時30分に開式の為に午前8時頃から続々と、、、

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我々の会議の開式と閉式は「同唱十念」だが頭取中は御手頭(おてがしら)拝借の一本締め、、、

 

 

月例会もお開きで目黒・祐天寺境内の殉職者慰霊塔へのお参りに出かけた。

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お伝えしているように江戸時代の町火消六番組は明治以降に再編成された江戸消防記念会第四区のみでなく近隣の区所属の組も、、

江戸消防記念会と江戸町火消しの地域割りが微妙に異なる為、、、

左の頭取の役半纏の腰の染め抜きは9本なので第九区。

右は第四区二番組の頭。

腰の染め抜きは奇数の区は横に一直線。偶数の区は波を打っている。

これも先日のように大勢の組頭がお集まりの時の識別には便利。

  8月27日のブログ  http://blog.takuzousuinari.com/?day=20170827 

 

毎月の事なので大変。

来月は成田山へお詣りと聞いている。

 


霊窟 お社 再建 & 鳥居設置工事

昨年の春に竣工した本堂、書院等の屋根の修復工事や耐震工事。

合わせて鎮守の杜(文京区保護樹林内)お穴様へ境内上部から雨水が流れ落ちないようにする為の排水溝工事も終わっていた。

 

しかし気になっていた霊窟のお社や鳥居が老朽化した為の再建や崖地の整備事業は滞っていた。

 

今春になり御信者様や地元二番組組頭からの御進言もあり5月に再建・修復工事を決断。

 

お伝えしたようにお陰様で霊窟(お社)も完成。崖地の整備も終わった。

 

8月上旬に9月10日の 澤蔵司稲荷  秋季例大祭に向けご案内と共に鳥居の御寄進をお願いした。

直ぐに多くの御信者様からお申し出を頂いたが天然木(日光杉)の手配ではなかなか注文した数が揃わなかった。

 

二日前に秋季例大祭に間に合う鳥居が四基搬入され本日は日曜日にもかかわらずその設置作業が、、

 

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輸送の養生を取り水洗い。

 

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お社正面参道に設置作業開始。

 

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この場所の鳥居は先日設置された。

 

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鳥居の基礎部分は既に完成していた。

 

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中央の二基は秋季例大祭には間に合わなかった。

寄進日は「平成30年元旦」で御寄進頂いた御信者様にはご了解を頂いてある。

10月上旬に設置予定。

 

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午後三時頃には設置完了。

この状態で秋季例大祭でお社開眼、鳥居の入魂をしてお披露目となる予定。

 

今後、御寄進頂く鳥居は右上の参道から奥社のお堂の間に設置予定。

これからお申し込みも頂くが完成は来春4月の春季例大祭になってしまう。

 

先日もお伝えしたが鳥居は日光杉で伐採から長年乾燥の為に寝かせ組み立てられるのでなかなか希望の数が揃わない。

腐食防止のしっかりした塗装と基礎部分なので致し方無い。

ご了承頂きたい。

 

 

昨年の新春の某テレビ局の放送でその年の「パワースポット」で紹介さ多くのお詣りの方々もいらしたがお社・鳥居も朽ちており心を痛めていたが取り敢えず一安心。

 

その内、境内整備・お社の再建等を時系列でお伝え予定。

 

 

以下、5月12日工事安全祈願のブログから写真を転載。

 

痛々しかった。(奥の御堂)

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倒れないように板で養生されていた。

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本日午前10時過ぎから本堂修復工事でお世話になった地元二番組組頭(第四区総代)、同じく素晴らしい腕を持つ大工さん、作業に携わる方々が集まり霊窟のお社なのでお騒がせしますと解体の御祈願。

 

本堂側から、、これだけ高低差がある。

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副住職と共に祈願衣とお袈裟で、、

 

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樹木の伐採や朽ちた鳥居の撤去も有るのでその御祈願も、

 

完成後は鳥居も整備予定。

 

午後からはいよいよ解体作業開始。

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改めて見ると倒壊防止にこんなにも補強の板が、、、

 

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新しいお社も屋根は唐破風で同じような姿に。

柱は手前側は左右一本づつだったが四本に変更。

部材は檜(ひのき)材になる模様。

崖の凸凹の墨石等により設計図が引けず現場合わせのような微妙な作業になるようだ。

解体して蛙股が腐食していない場合は再度利用する予定。

 

作業・工事の安全も祈願。

 

以上後半は、5月12日のブログの一部より、、

 


今晩も防犯パトロール

地元、表町町会は年末・年始の「火の用心」パトロールだけでは無く通年に亘り防犯を兼ねたパトロールを有志によって続けられている。

町内をいくつかのグループに分けて実施しているとお聞きしている。

 

夕飯も終わり書院一番奥の書斎に居たら拍子木の音が聞こえた。

 

私に出来る事はせめてものお出迎え、、

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今回も四歳のチビちゃんが元気に同行(^_^)

 

毎回お伝えしているがこの拍子木の音を聞いて戸締まりを確認している町内のご家庭も多いのでは?

 

文京ニュースでは近隣の町内で鍵のかかっていない玄関やベランダから侵入され金品を盗まれる事犯が多発しているとの事。

 

ご苦労様でした!!


例月大護摩供 & お社の様子

今朝は午前六時から例月大護摩供を厳修。

現在、大本山増上寺では3週間の教師養成道場が行われており副住職は道場係で毎日不在。

しかし今朝は午前5時半過ぎに増上寺から帰寺して太鼓を叩いてくれた。

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今朝は遠方からご家族連れで厄除けの方もお出でになった。

 

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9月の例月護摩は毎年暑いのだが今朝は涼しく楽だった。

しかし体毛は濃い方では無いが指の毛は炎で焼けツルツルに、、、、

 

副住職は勤行後すぐに増上寺へ戻ってしまった。

 

 

5月の連休後から始まった「鎮守の杜」のお社(霊窟)の再建工事や崖地を含む整備事業等もなんとか9月10日の秋季例大祭には間に合った。

まだ御寄進頂いた鳥居は全部揃っていないが大祭までにはあと四基が到着して設置予定。

修復工事にもご心配を頂き御寄進も頂戴した。 感謝申し上げます。

 

今朝の様子

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手前のお狐さんの前後にあと四基の鳥居が建つ。

もう二基は大祭には間に合わなかった。

日光杉の鳥居だが伐採から乾燥期間が二年ほどかかるとの事でなかなか希望する数が揃わなかった。

 

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お社内の設えもほぼ整った。

もう一対、真鍮製の灯籠(提灯)も設置予定だが、、、

 

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吊り灯籠

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桜の透かし彫りの灯籠は二対

 

中央は葵のご紋が掘られた灯籠

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共に中に電灯が灯る。 どちらも銅製の鋳造の提灯。


ご参考になればと昨晩撮影。

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透かし彫りなのでイイ感じに灯りが漏れる。

 

ただ毎晩、日没から点灯するがタイマーで午後九時頃には消灯する。

ご了承を、、、

 

 


境内の樹木の剪定

先月は鎮守(文京区保護樹林内)の崖地の古い伐採した樹木の抜根を行った。

これは霊窟の整備に伴い危険なために撤去した。

掘り起こしたその根の部分には焼け焦げた痕跡が、、、

昭和20年の山手空襲では傳通院(西方向)から延焼してきた火災は鎮守の杜に守られ大事な御本堂等は消失したが境内の石仏、石碑、灯籠や手水舎も火を被らずに残った。

670年前の戦国時代の「板碑」も昨年発見された、、、

 

大事な建造物は消失したが境内の大半を大火から守ってくれた最後の砦であった大木と思慮。

本堂脇に暫く置いておきますのでご覧頂きたい。

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72年も経っているがはっきりと炭化が残っている。

 

その後、保護樹林内の一本の老樹も枝が伸び過ぎ強剪定。

 

昨日は境内でお詣りの方々にも目にとまりやすい場所の樹木の剪定を、、、

植木屋さんも忙しく9月10日(日)の秋季例大祭に間に合うか心配したがなんとか。

 

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石垣に面する枝垂れ桜から、、、

12年前の石垣と玉垣の修復工事後に植樹をした枝垂れ桜・八重桜等だがあまりにも成長が早いので植木屋さんに聞くと日当たりと土壌、環境が良いのではと、、、

数人の職人さんで手際よく剪定が行われ大型トラック一台分の枝が剪定された。

 

作業が終わった夕方から雨が降り出し今朝も雨が、、、、

 

私の所は樹木の剪定や手入れ、石の移動等の整備をした翌日には雨が降るジンクスが、、

 

今朝の境内の様子

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西側、駐車場の入り口から、、

手前のモミジも剪定をしたのだが、、多分皆様お気づきにはならないかも、、

 

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スッキリ、、

 

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どこを手入れしたかお判り頂けるだろうか、、、、

 

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庫裏玄関横のザクロの木には添え木も、、

 

以前にもお伝えしたが昔のこの界隈のお屋敷の門や玄関脇にはザクロの木が植えられていた。

これは子孫繁栄や跡取りの成長を願って植えられたと。

 

このザクロは戦災でも焼けず樹齢は多分百年以上。

老樹になると幹が左巻きに捻れるのが特徴。若木はつるつるの幹。

私が若い頃からその樹姿はほとんど変わっていない。

勿論、自分でも剪定をした事も有ったが最近は植木屋さん任せ、、

ただ根元の大きな石に寄りかかるようで倒れてはいけないので丸太で添え木をして貰った。

撓わに茂りザクロの実も沢山なっていたが剪定をしてしまった。

今年は残念だが来年が楽しみ。

 

明日は午前六時から例月大護摩を厳修予定。


年回法要

8月下旬の今頃は各寺院もお盆が終わり秋のお彼岸までのホッとする時期。

しかし年会法要のご案内が結構多く有る。

 

9月のお彼岸前後や10月中旬頃までに御命日を迎える関係寺院の先代御住職や御内室の年会法要のご案内が、、

 

昨日は若い頃から大変お世話になった関係寺院の先代様の十三回忌法要

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本日は一期後輩だが中学・高校・大学が同窓で数年前まで浄土宗東京教区の組長も同期だった友人の三回忌法要

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彼とは若い頃から和太鼓の趣味が一緒で祝宴等では二人で太鼓を叩いた楽しい思い出も、、、

 

空を見上げると秋の雲も目立つようになり境内ではいつの間にか蝉時雨も静かに、、、

自然の移ろいも肌で感じるが自分自身の過去の出来事も遠くなっていくと実感。

 

もうすぐ彼岸花の芽も伸び出すだろう、、、、


江戸消防記念会第四区 江戸町火消元六番組 「大旗」 完成披露祝賀会 

昨晩午後6時から池之端「東天紅」で一般社団法人 江戸消防記念会「第四区」と江戸町火消「元六番組」の「大旗」が完成してその披露祝賀会が開催された。

 

広い祝宴会場も来賓、日頃関係のある方々、地元小石川消防署長はじめ第四区所轄の各消防署長をはじめ各組頭取や筒先・道具中、若い衆で200名を超える出席者で埋まった。

 

来賓着席後、両「大旗」は木遣りと共に入場して壇上に飾られたがビデオを写しており撮影を忘れた。

(このブログには動画のアップが出来ない。)

 

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ステージにお飾りされ、「君が代」斉唱、先達の諸々霊位に黙祷後、高柳第四区総代・元六番組会長から挨拶と経過報告

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式次第

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主賓の挨拶は記念会小宮名誉会長、成澤文京区長、中屋記念会顧問、小石川消防署長と共に私にもご指名が、、

 

成澤文京区長   江戸町火消しにも触れられご祝辞

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祝儀の木遣り

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「千秋萬歳」の木遣りも素晴らしかったが第四区所属10番組までの十基の纏にとどまらず江戸町火消し元六番組所属の五基の纏も並べられてあった事に感激。

私も祝辞の中でそのことに触れさせて頂いた。

総代披露の祝宴等で第四区十基の纏が並ぶのは有り難い事に何回も経験があるがこの光景は初めてだった。

 

   澤蔵司稲荷  本堂への木遣不動尊奉安のブログ

       http://blog.takuzousuinari.com/?day=20101010

   高柳第四区総代就任祝賀会のブログ

    http://blog.takuzousuinari.com/?day=20160330   

 

 

 

祝儀の舞や新内の演奏も有ったが見とれて写真撮影を忘れてしまった、、

 

筒先・道具中の梯子乗り

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朝、境内奥の倉庫から梯を運んでいたが天井は高いと言えども低く三間半の「本梯子」は建てられず一番低い稽古梯子でのお披露目だった。

本梯子は長鍵を使い12人で支えるが場所の関係も有り道具中が素手で、、

 

お料理やお酒も美味しく頂戴して午後9時過ぎに一本締めで目出度くお開きとなった。

 

改めて大旗のご紹介

 

第四区大旗

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中央には金糸の刺繍で盛り上がった「親聲」の文字が、、

所属十組の纏は面ごとに銀糸の刺し方を変えているので光の加減で陰影がでて立体感が、、

 

元六番組の大旗

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刺繍の文字は「元六」

 

共に完成直後には 澤蔵司稲荷  本堂で入魂・開眼をさせて頂いたので私自身にとっても思い入れが。

お目出度うございました。

 

大旗入魂式のブログ  http://blog.takuzousuinari.com/?day=20170804


鳥居の設置工事

お伝えしているように鎮守の杜(文京区保護樹林内)の霊窟や崖地の修復・補強工事。

 

以前は大雨の時には水が排水しきれず池のようになってしまった事も、、、

昨年までの本堂修復工事と共に上部からの水は流れ込まないように排水工事も完工していた。

 

ただ50年近く前に御奉納された鳥居は根元部分が腐食して危険なためにお祓いをして撤去させて頂いた。

 

その為、先月末に新しい鳥居御奉納のお願いをご案内した。

 

有り難い事に9月10日の秋季例大祭に間に合う数の鳥居のお申し込みは直ぐに頂いてしまった。

 

数日前に日光から六基の鳥居が搬入されていた。

本日はその設置作業が、、、

 

梱包を解き傷が付かないように厳重に養生されていた鳥居の水洗いから、、

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日光杉を伐採して乾燥に数年をかけ黒や朱色の塗装にも時間がかかりなかなか希望通りの数が求められなかった。

 

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本日は霊窟のお社から奥に向かう参道への設置作業。

鳥居を建てる基礎の枠組みは既に完成していた。

 

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鳥居の地中に埋まる基礎部分には塩ビのパイプが埋め込まれる。

腐食防止の為、、

 

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仮置きされ垂直を取り塩ビとの隙間にはコンクリートが、、

 

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以前のお社の鏡石の前にあった鉄製の鳥居も塗り直され元の場所へ。

その鳥居の上には三つ葉葵の透かし彫りで文様が入った灯籠も新たに、、

この設えの詳しい事は後日お伝え予定。

 

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設置された六基の鳥居にはこれから細かい仕上げ作業。

御寄進頂いた方の会社名やお名前も間違いが無く安堵。

 

正面お社に向かってはあと四基が秋季例大祭に間に合わせる為の工事が来月早々に、、やはり搬入が遅れている。

あと二基は9月下旬か10月上旬の搬入になるので建立年月日は「平成30年元旦」となるがご了承を頂いている。

 

お社の改修(新築)工事でお穴様もがらんとして寂しかったが立派に往事の雰囲気を取り戻しつつある。

お陰様です。

 


復元 江戸情報地図

本日、御信者さまが文京区内の土地購入でご相談にお見えになった。

 

もともと文京区内にお住まいだが相続と店舗兼住宅が手狭になったので土地をお探しのようだった。

いくつか候補の土地の図面をお持ちになった。

まだ建物が建っている物件や更地の物件等、、、

 

店舗併用の物件なので道路に面した文京区でも低い土地をお探しだった。

 

文京区は武蔵野台地の東端でお隣の本郷と同様坂道が大変多い。

低い土地には昔は川や池、沼地が存在した。

 

心配だったので「復元 江戸情報地図」で候補地を検索した。

 

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この地図は1994年 朝日新聞刊で江戸 安政年間(江戸末期)の地図と平成3年版の市街道路地図を様々な資料を元に微調整をして重ね合わせた地図帳。

B4版見開きで1/6500。

 

当時の御府内(朱引内)を36に分類して。

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各大名の上屋敷は家紋、中屋敷は■、下屋敷は●で寺社地等も色分けで表記されている。

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 現在の番地から江戸時代の河川や池、沼地等の存在も分かる。

 

小石川の自坊の直ぐそばには千川通りがあるが元々は谷端川を暗渠にしたので現在はどのように流れていたか見る事は出来ない。

以前、御信者さまから再建の間取りのご相談が有り地鎮祭もしたがボーリングの結果地盤が弱く基礎工事に予算以上の見積もりが出てしまった。

この地図で検索するとこの川は結構 蛇行をしておりちょうどその上に建物があった。

 

その経験を踏まえ御信者さまとご相談をした。

 

大変、便利な地図。


庚申塔

以前にもお伝えしたが境内の「庚申塔」

 

「庚申」信仰は伝わるところによると歴史は古く平安時代には貴族社会の中でも庚申(かのえさる)を迎える前の晩から夜を徹して碁、舞、管弦等で明かし庚申御遊と呼ばれる宴を催したとも、、

 

暦の上では60日に一回「庚申」の日が巡る。

 

世の中が安定した江戸時代前期頃から盛んに行われるようになった。

 

ただ当時の朱引内(朱引地・御府内)は諸大名のお屋敷や一部商いの町家のみで狭くその外側の郡部や村で地域の常会や互助の集いとして盛んに行われ庚申塔も多く建立された。

 

その為、江戸時代は村の入り口や街道筋にも建立されていたと思われるが道路の拡幅や都市計画で近くの神社仏閣に移転・奉安された庚申塔も、、

この界隈では駒込、巣鴨、板橋区方面に多く確認されている。

しかし江戸の大火や空襲で損傷した庚申塔も多いと思われる。

 

その庚申信仰の象徴である庚申塔が境内に二基奉安されている。

お陰様で昭和20年の空襲でも鎮守の杜に守られ現存する。

 

参道右手、手水舎の奥には聖観音さまを主尊とする庚申塔

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造立は天和三年(1683年) 334年前 第五代徳川綱吉公の時代

 

もう一基は参道左手の寛文九年(1669年) 348年前 第四代徳川家綱公の時代に建立された。

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昔、献本で頂いた石仏紹介の本によると主尊不明とあるが想像ではお地蔵様?

大変ユニークなお顔で、、

光背には丸く穴が貫通しているので日輪月輪を象徴しておりこの寛文・天和年間は庚申信仰が盛んな頃と伝わっているので多分庚申塔だと思うのだが、、

 

澤蔵司稲荷では特別に庚申の日に催し事は無いが60日に一回巡ってくる庚申の日のみならず御信者様からの花が絶えない。

 

今月は8月1日で次回は9月30日。 

 


船橋 浄勝寺 施餓鬼法要 説教席

本日は午前11時少し前に自坊を車で出発して千葉県船橋へ向かった。

大学時代からの同期の友人が兼務住職を務める浄勝寺のお施餓鬼法要での説教席を頂戴していた。

彼とは傳宗傳戒道場も同行。 もう半世紀のお付き合い。
法要のお説教席には何年お邪魔しているだろうか、、、

戦後様々な事情で一時期「単立」の寺院だったが住職がご苦労され3年程前に「浄土宗」に復帰した。

お盆連休明けの金曜日で混雑しているかと思ったが高速道路は神田橋入路から箱崎ジャンクションはいつも並の渋滞、、、

しかしその後はスムースで正午前には到着できた。

到着した浄勝寺御本堂

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到着時は久しぶりに良いお天気だった。 ここの所、梅雨に戻ったような天候が続いた。

 

信州・善光寺の別院にもなっており18年ほど前に善光寺様式のご本堂を再建された。

早すぎて境内は車は少なかったが私はお説教のみで法要には出仕しないので入り口付近に毎年駐車させて頂いている。
おいとまする時にはお檀家様の車で満車になっているので、、、

まずはご本堂向拝からお詣り。

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向拝の柱には三年前に単立から戻られ増上寺八木御法主台下ご揮毫の「聯」が、、

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書院玄関の標札
玄関
信州 善光寺大本願別院とある。

交通の不便だった江戸時代から日本全国に多くの別院が建立された。

 

早速、御本堂で御本尊様へご挨拶
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内陣は折り上げの格天井で御厨子も立派

 

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本堂再建までは脇陣に奉安されていた阿弥陀三尊さまだが厨子も修復され真ん中へ。

善光寺様式の一光三尊の阿弥陀様は書院二階の座敷に祀られている。

 

外陣の施餓鬼壇(五如来壇)

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私のお説教後、午後2時からお施餓鬼の法要

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友人である住職は6年前3月に仲間では一番早く僧階が「正僧正 じょうそうじょう」に昇進して「緋」の衣を被着出来るようになった。

 

お施餓鬼の主旨を述べる「表白」の奉読

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私は法要の最初の写真を撮らせて頂きおいとま、、

 

帰路も高速7号小松川線はスムースで都心環状線は若干渋滞したが午後3時頃には帰寺出来た。

 

お陰様の一日


江戸町火消の「纏 まとい」のミニチュアセット

先日、お付き合いのあるお寺の御住職から連絡が、、

 

お寺でご総代をお勤めの方の由緒ある建物(お宅)が諸般の事情により解体される事になり歴史的な建造物なので区の教育委員会が調査(測量等)に来られるので立ち会いをお願いされたようだった。

 

立ち会いに行くと長押に「纏」の入った額に目がとまり江戸町火消に縁がある私の所に如何かとの連絡だった。

 

一昨日、お盆の棚経でお忙しいのにわざわざお届け頂いた。

 

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一つの纏は10センチほどで40基が第一区から第六区まで並べられていた。

 

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「江戸の華」と称され桐の板の上に整然と。

 

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私の地元、第四区も、、、

「な組」のお馴染みの纏も有った。

 

昨日たまたま江戸消防記念会第四区総代をお勤めの二番組高柳組頭(元・江戸町火消 な組 御殿町)がお出でになられた。

早速、本堂にご案内して説明を頂いた。

 

江戸町火消はいろは四十八組と本所・深川の十六組だが全部で40基なので不思議に思っていた。

 

ご説明によるとこの纏群の組織は明治5年に近代消防に移管され「市部消防組」と新しく組織された時の組とその纏との事だった。

明治になり加盟しなかった組や上野戦争で彰義隊の敗退で匿ったり退路を確保したりして廃組になったところも有るとお聞きした。

 

その後、江戸の伝統を守るべく明治後期に現在の江戸消防記念会の前身で有る組織が結成され様々な経緯を踏み戦後の昭和27年以降に現在の組織になったと。

 

このミニチュアは10センチ程の小型だが纏の陀志(ダシ)(各組を象徴するデザイン)も正確で子細に表現されていて一つ一つには蛙股(火事の時に家の棟瓦に立たせる金属製の開いた足)もあり当時の歴史を知るには貴重なものだと、、、

 

額の左下には「浅草 仲見世 助六」と有るが現在は存在せず土産用ではなく特別に制作された物だろうとご説明が有った。

 

 

ご参考に本堂に奉安されている纏を再度ご紹介。

4

 

この纏は二番組(御殿町)の組頭高柳家に伝わる纏。何回か修理もされた。

二番組の組の纏は組頭宅玄関に飾られている。

 

上部、陀志(ダシ)の部分

5

陀志は桐の板製で中空で軽くしてある。

バレンの四本線は明治以降、第四区になってから。

江戸時代は当然、この四本線は無かった。

 

一番下部の蛙股。

6

 

額の中の約1/20程のミニチュアでもここまで細かく表現されていた。

 

本物は25キロほどの重さで組の纏よりも重く振るのは大変だとお聞きした事も、、

毎年10月に執行される木遣り不動尊祭では境内参道で木遣りと共にこの纏で纏振りが披露される。

 

また毎年、暮れには煤払いを行い正月の玉飾りもつけられ新年を迎える。


境内で発見された「板碑」

夏休みやお盆で暑いにもかかわらず文学散歩や史跡巡りの方がお出でなられている。

時にはガイドさんとともに大勢の方々も、、、

 

先日もお詣りの方から昨年境内から見つかった板碑のご質問があった。

まだ一般公開していないので以前のブログをご紹介。

 

以下、以前のブログ。

 

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昨年4月に 澤蔵司稲荷  本堂修復工事が一段落して境内整備の時に偶然確認された二基の「板碑 いたび」

文化財的には「板碑」のジャンルになるようだが「板石塔婆」

 

一基は本堂東側の鎮守の杜の地蔵様の台座、もう一基は普段お詣りを頂いている禊ぎ観音様の直ぐ後ろの地面に刺さった状態で、、、

どちらも鎮守の杜に守られ昭和20年5月25日の空襲の火災は免れた。

 

職方から「どうしましょう?」と尋ねられ本堂脇に立てかけて貰った。

たまたまこの「板碑」等に詳しい方がお詣り来られ「貴重なものですから」と仰り教育委員会文化財係にご連絡。

翌日、学芸員の方が来られて「本物です!」と鑑定にお持ち帰りに、、、

 

ただ近隣の再開発の場所での発掘調査で大変お忙しく鑑定結果は本年1月下旬に持ち越された。

 

果たして古い方の一基は南北朝時代の北朝「暦應4年 1341年)、もう一基は室町初期の「永享10年 1439年」と判明。

 

板碑は鎌倉時代、南北朝、室町時代の戦乱の時代に武士の間で戦で亡くなった仲間の追善や自身を含め家族の安泰を祈念して奉納されたものと伝わる。

 

鑑定結果と共にお持ちになった学芸員の方からは古い物なので風化防止、盗難防止の為に室内保存をとの御進言。

 

1

 

将来、記録として発刊される区内文化財の書籍に記載されるようだが、、

 

簡易の鑑定書

2

 

3

 

ご説明では 澤蔵司稲荷 の東の低地には千川(谷端川)に沿って街道が有り間違いなくこの境内に奉納されたと、、

ただ江戸の大火や空襲等の火災で昔の姿で現存する物は文京区では少ないと、、

 

不思議な事に古い方は浄土宗第七祖聖冏上人がお生まれになった年。

 

二基目の板碑は太田道灌公が永享4年(1432年)にお生まれになった7年後の永享10年(1439年)

 

太田道灌公は「山吹の里」でも有名だが江戸城の前身である千代田城築城を長禄元年(1457年)に始められ築城中に乾(北西)の方角に光をご覧になり稲荷を建立したとある(現在の武道館付近)。

 澤蔵司稲荷 の御神殿・お厨子には太田道灌公の念持仏と伝わる十一面観音菩薩像も奉安されている(秘仏・非公開)

 

この二基の板碑はあの戦国の時代、聖冏上人が小石川談所、後の壽経寺の開創、お弟子の第八祖聖聡上人の増上寺建立を目撃された。

 

 

 

太田道灌公に纏わる境内・手水舎と以前の板碑のブログをご紹介。

 

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2017年2月22日のブログ

 

昨年4月に境内の整備中に発見され1月末に区の教育委員会文化財係の学芸員の方が鑑定書と共に自坊に戻ってきた「板碑」

 

板碑

包装された紙にも拡大した鑑定結果が添付されていたので本堂でご覧いただいた。

 

右は「暦應4年」(1341年)北朝時代(南北朝時代)

左は「永享10年」(1439年)室町時代初期の造立と判明。

            室町時代は應永(1394年)から、、、

            その後、応仁の乱も終わりまさに戦国時代へ、、

 

不思議なご縁で暦應四年(1341年)は浄土宗第七祖聖冏上人がお生まれの年。

 

聖冏上人は浄土宗が東国では「遇宗」「不庸宗」と呼ばれ我こそはと群雄割拠の時代に現在の浄土宗の宗脈・戒脈を整えられ五重相伝も確立された。

應永22年(1415年)現在の播磨坂付近の極楽水に傳通院の前身である壽経寺を建立する前に既に「小石川談所」として草案を建立。

小石川談所は壽経寺の建立の10年以上前にさかのぼる、、

 

現在の大本山・増上寺を明徳4年(1393年)建立された聖聡上人はお弟子様。

増上寺に現存する聖聡上人直筆の小石川談所の署名がある木版本「阿弥陀経本」にも、、、

 

今回、慈眼院・澤蔵司稲荷から見つかった二基の「板碑」は小石川談所、壽経寺建立、増上寺建立とあの時代を全て見守っている、、

 

670年ほど前の戦乱の時代に建立され鎮守の杜に守られ江戸の大火、関東大震災、昭和20年の空襲でも焼けずに残ったことに感謝。

 

申し訳無いが学芸員の方からも境内では風化や盗難等の事もありしばらくは非公開なのでご了承願いたい。

 

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2017年5月19日の手水舎のブログ

 

以前にもお伝えしたが 澤蔵司稲荷  参道右手の手水舎。

 

実は傳通院の十一間四面の本堂は明治41年12月3日夕方出火。

当時の新聞では第四消防署(現在の小石川消防署)や二番組消防手により懸命な消火に努めたが残念ながら本堂は全焼、庫裏の大半も焼失。無事だったのは山門・鐘楼のみで有ったと報じられている。

 

その後、 澤蔵司稲荷 に一人の宮大工が現れ「酒と飯」を毎日提供するならば傳通院本堂の火を被ったが焼け残った木材(欅材)で手水舎を建てるとの申し出が、、

二年間を費やし明治43年に完成と伝わる。

確かに手水舎の水盤には明治43年と刻されている。

 

傳通院 本堂は享保年間に二回大火に遭っている。

明治41年までの本堂は享保10年(1725年)に再建された。

現在の水舎の欅材は292年前の建築当時の建材。

 

01

お陰様で昭和20年5月の大空襲でも焼けずに現存。

ただ六年前の東日本大地震で各部に緩みが、、

屋根も傷んでいたので先年の本堂改修工事の時に合わせて屋根瓦を全部取り払い正面の広小舞(見切り)や破風部分等は木材も新調して修復。

ご覧になりにくいが庇(ひさし)小舞の下の二層垂木(たるき)の間隔も遊び心満点。

 

屋根の重さに比べ4本の柱が細いのでジャッキアップをして耐震性を高めるために基礎工事も、、

柱下部には正面を除き同じく欅材で補強。

 

先日から正面左右に、、、

1

 

2

 

手拭いの名前や纏からどなたの奉納かは直ぐに分かった。

粋な計らいに感謝。

(5月20日 追記)

 先程、二番組(な組)の頭(副組頭)がお出でになったのでお聞きしたら正式には「招き手拭い」と称する奉納手拭いとの事。

 御殿町組頭が永楽家(三区)と下町(六区)の組頭と共に染め上げたとの事。

 

 

手水舎正面虹梁の上の蛙股部分には特殊な彫刻が、、

3

 

太田道灌公が鷹狩りに出かけ強い雨に、、

近くの農家を訪ね「箕傘」の提供を依頼すると農家には「箕傘」が無く娘さんが替わりに「山吹の花」を。

歌と共に、、  「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき」

その場面の彫刻が、、

 

実は当稲荷には太田道灌公の念持仏とされる十一面観音様が御神殿のお厨子に安置されている(非公開)。

 

当時、建築に携わった宮大工さんはご存じでこの彫刻を、、、

よくご覧頂くとその情景がおわかり頂けると思う。

 

また手水舎の他の三面にも獅子が牡丹の花と戯れている彫刻が、、

 

北側(左側)

6

 

東側(裏側)

7

 

南側(右側)

8

 

四方の木鼻

9

固い欅材に細かい彫刻まで、、、 

本当に宮大工さん、お一人の作業だったのか、、

 

修復の時に全て水洗いをして面取りも白の顔料で塗り替えた。

 

本年2月2日のブログ

  http://blog.takuzousuinari.com/?day=20170202

        この手水舎や常夜灯のご説明もある。

 

それほど大きな手水舎では無いがゆっくりご覧頂きたい。

 

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以上、少々長いブログですがご紹介。

 

昭和20年の山手空襲では現在、文京区の保護樹林(鎮守の杜)に守られ大事な御本堂等は消失したが境内の石仏、石碑、灯籠や手水舎も火を被らずに残った。

 

現在も霊窟周辺の整備が続行中だが先月崖地に伐採されて残っていた大木を抜根したら半分が炭化した根の部分が、、

大事な御本堂等は消失したが境内の大半を大火から守ってくれた最後の砦であった大木と思慮。

本堂脇に暫く置いてあるのでご覧頂きたい。

1

72年も経っているがはっきりと炭化が残っている。

 

 

石仏や石碑、灯籠と言えども火を被るとボロボロになってしまう。

 

江戸名所図絵や江戸期の地図を見ると境内の一部に八幡宮がある。

小石川にも通じていた鎌倉街道沿いに675年程前にあの戦乱の時代に奉納された板碑が残った。

 

お伝えしたように現在は一般公開していませんが準備(設え)が整えばご覧頂くようになると思慮。

 


追悼

昭和60年(1985年)の本日、午後7時からの会議の為に外出の支度をしている時にテレビの画面に「JAL123便、羽田発伊丹行きのジャンボ機が行方不明」とのテロップが流れた。

多分、管制との通信機器の問題かと思い会議に出かけた。

 

会議中に仲間から何かとんでもない状況になっていると報告が、、

 

帰宅したら御巣鷹山墜落の衝撃的なニュースが、、

どうしてあの747が??と信じられなかった。

 

あれから丸32年が経ち今日33回を迎えた。

 

現在も操縦している友人の機長さんもいる。

FB仲間の機長さんも、、、

2年前にある機長さんがFBに投稿した文章を無断で拝借。

 

30年前の今日の夕方、B747の副操縦士に昇格して半年少々の私は香港から成田に向けて飛行中でした。
福岡コントロールから東京コントロールに移管される時に、通常と違う周波数を指示されて何かあったのかな?と思っただけでしたが、成田に到着してから123便の事と初めて知りました。
当時747の4系統ある油圧システムが全て不作動になる事等全く想定されていなかったので、本当に衝撃的な事故でした。
実機訓練でモーゼスレークに行った時、ちょうど教官として滞在されていた高濱機長、彼の笑顔は今でもはっきり覚えています。
すでに彼の年齢を越えてしまっている私ですが、いまだに無事に飛び続けられている事に感謝します。
今、元気に第一線で活躍されている機長さん達もあの当該機の機長さんに指導教官として米国の訓練基地で指導されたりSIMの教官として訓練を受けた方々が多く居る。
大変に信頼敬愛されていた機長さんだった。
しかしあのような油圧システムが全てダウンする事態に、、、
やはりどんなに技術が進歩しても航空の安全は決して簡単では無い。
不断の努力と強い責任感はあの事故を教訓に整備や運航に尽くされている。
乗客乗員520名の尊い生命が奪われた大事故。
ちょうどその2年前にディズニーランドが開園され目を奪うばかりの墜落現場から楽しかった思い出にお土産で買ったミッキーマウスが多く見つかった。
33回忌を迎えた本日改めて阿弥陀如来さまにお念仏をお唱えしてご冥福追善と稲荷御本尊前でこれからの安航を祈願申し上げる予定。
合掌

細姿鯖寿司

日頃、お世話になっている方がご夫妻で京都へ。

 

今朝、京都土産で私の大好物の雲月の鯖寿司を、、、

1

小鯛の雀寿司も大好物だが雲月の細姿鯖寿司もちょっと禁断症状?が起きるほど食べたくなっていた。

祇園・やよいの「じゃこ」も、、、

 

副住職は午後から長野県諏訪へお盆のお手伝いに出かけるのでさっそくお昼に、、

2

名前の通り細身の棒寿司で切り身は一口サイズで鯖と酢飯のバランスがなんとも、、

 

3

大阪は瀬戸内海に近く小鯛の雀寿司の発祥だが京都は内陸で若狭湾水揚げの鯖を酢で保存のために締めて鯖街道で京都に運んでいたと伝わる。

酢で締め昆布で締めほどよい油とのバランスが最高!

美味しかった!

 

頂いた方への感謝と先人の知恵に敬服。

ご馳走様でした。


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