本日から本格的にお盆の棚経

お盆の行事はお釈迦様のお弟子であった木蓮尊者の求母の伝説により伝わり日本では旧暦の7月15日に厳修されるようになったと言われている。
旧暦の7月15日は毎年異なり本年は8月25日。

その為に明治以降は8月15日に慣例として統一されたようだ。
しかし東京だけは7月の15日前後がお盆となり本日が「お盆の入り」

東京やその近郊で7月になった理由は諸説有るがここでは省かせて頂く。

都内の多くの寺院の御住職方は本日から本格的にお檀家様のお宅に出かけお仏壇の
前でお盆のご回向。

私も副住職の運転でお詣り。
先ずは午前8時に出発して日本橋→深川→本所→向島→浅草→鳥越→御徒町→駒込→地元と
午後2時過ぎまでお檀家様のお宅へ、、


東京地方はここ数日は30度を超える真夏日が続き本日も33度ほどになったのでは、、

先週末の平成30年7月豪雨での被災者の方々、救援、ボランティアの方々も暑さに追い打ちをかけられご苦労なさったのでは、、、


押上の東京スカイツリー駅付近、、
棚経
この時間帯はちょっと雲が多かったが猛暑。


午後2時過ぎに一旦帰寺。

遅い昼食後は目白方面へ、、、

目白のお宅では玄関に到着すると既に「迎え火」が、、
1

 

このお檀家様の仏間。
2

毎年13日の我々が到着する午後4時頃には迎え火も済まされ曜日に関係なくご家族・ご親族10名様ほどとご一緒にお詣り。

盆提灯は沢山お飾りしてあるが実際にはこの倍ほど有るとお聞きした。
全部お飾りすると広い仏間だがご家族やご親戚が座る場所が無くなる、、
もう45年ほど先代住職に替わり伺っているがいつも設えは一緒。

その間に先々代、御内室、ご先代様もお見送りをさせて頂いた。

年月が流れるのが早い。

この部屋は普段はどのようにお使いかと聞くとお孫さん(副住職の高校時代の後輩)が茶道をたしなみお茶会にも使われているようで話が盛り上がってしまった。

 

様々なお宅にお邪魔をさせて頂いたが体調がお悪かったりおみ足がご不自由になり普段お目にかかれないご年配の方々にもお会いでした。

お盆のお詣りでお邪魔をする有り難さを感じた。

帰寺してから我が家でも「迎え火」
3

我が家では玄関先でご先祖様が早く戻られるようにと迎え火を焚く素焼きの「焙烙」の
傍にはお馬さんを置く。


送り火の時には牛さんを、、、、

お仏壇前の盆棚の設えや迎え火の習慣は日本各地で様々、、、、
明日も棚経が続く。


御信者さまからのメッセージ

御信者様の奥様がご母堂様のご実家、秋田県大仙市 強首温泉「樅峰苑」(しょうほうえん)を訪ねられたようで写真付きのメッセージが届いた。

「樅峰苑」の建物は立派で由緒があり登録有形文化財にも指定されている。

 

その折に酒田市にある写真家 土門拳記念館を訪ねられたようだった。

 

土門拳氏は「古寺巡礼」でも有名な写真家。

仏像の写真でも光の陰影を大事にした写真家としても知られている。

たまたま館内では土門拳・林忠彦の特別展がおこなわれており澤蔵司稲荷にもご縁が有る幸田文先生の写真を発見したと、、

 

澤蔵司稲荷の隣(公道からは二軒お隣)に幸田露伴(別号 蝸牛庵)・幸田文先生の旧居が現在も有る。

幸田文先生には若い頃から可愛がって頂きご自宅前のムクノキの落ち葉の掃除の時にはよくお会いして立ち話も、、、

書斎の蝸牛庵にもお誘いを頂いた事も、、

 

その幸田文先生の写真が記念館に飾られていたとメッセージと共に写真が、

1

 

2

 

3

 

4

この写真は澤蔵司稲荷境内の霊窟がある「お穴」のケヤキの大木の前で。

 

懐かしいお姿、、、

 

 

その娘さんでもある青木玉先生も現在お住まいでやはり和服姿でお出かけの時にお会いしたりムクノキの落ち葉の掃除や雪かきの時にも文先生と同様に、、

 

以前の「樅峰苑」(しょうほうえん)のブログ

   http://blog.takuzousuinari.com/?day=20141029

   

ありがとうございました!!


昨年の東京新聞の記事

九州から中四国、近畿、中部地方の広範囲に亘る豪雨。

 

本日は多忙で昼のニュースを見ることが出来なかったが大変な被害と多くの犠牲者の方が、、、

お見舞い申し上げます。

これ以上、被害が拡大しないことを願うばかりです。

 

昨年のFBでの思い出を見たら東京新聞に小石川の紹介が有った。

すっかり忘れていたのでペーストして以下にアップ致します。

 

================================

 

今朝の東京新聞に「小石川散歩」のご紹介が、、

今朝、私は不在だったが新聞配達の方が東京新聞の朝刊を数部お届け下さった。

 

7月8日付けの東京新聞最終ページには「東京どんぶらこ」と呼ばれる連載の都内お散歩コースで「小石川」が全面で。

 

1

 

東京新聞は「したまち支局」が浅草雷門にあり様々な行事等でも取材を頂く身近な存在。

今回は取材はお受けしなかったがもうお判りなのだろう、、

電話番号の記載が無くてヨカッタ!

 澤蔵司稲荷 御信者様の和菓子・岡埜栄泉、料亭・岡埜荘のご紹介も、、、

 

記事の「今昔記」にはお隣の露伴邸にお住まいだった幸田文先生の事も、、

浴衣姿で玄関先やムクノキ側の歩道を竹箒で、、、 良く立ち話をさせて頂いた。

青木玉先生も同様、、お掃除や雪かきの姿も文先生とダブってしまう。

 

お伝えしているようにブログではフォトのアプリで横幅500ピクセルに縮小しないとアップ出来ないのでご了承を。

そのうちバージョンアップされると思うのだが、、

足かけ13年のブログでサービスが始まった直後の契約だったので広告が入らないサービスは無料で、、、

現在、新規契約は有料だが、、、

 

また昨日、今月22日・23日に開催される第32回文京朝顔・ほおずき市もポスターやパンフレットが実行委員会の方がお届け下さった。

2

お盆が明け市が近づいたら境内の催し物のタイムテーブル等はご紹介予定。


江戸町火消「元六番組」「元六睦」月例会(定式)

毎月、お伝えしているが江戸時代に江戸町火消し「六番組」であった「元六番組」「元六睦」の月例会。

六にちなみ毎月六日に澤蔵司稲荷書院で開催されている。

本日は午前9時半の開式だった。

 

所属、元・六番組の頭取中(組頭・副組頭・小頭) が集まる。


江戸時代の町火消しの組織「いろは四十八組、本所深川十六組」は明治時代になり明治5年に「市部消防組」として改編。

その後、近代消防に移行したことに伴い江戸時代の火消しの文化・伝統等を継承する為に江戸消防記念会の前身組織が明治後期に組織された。
現在の「一般社団法人 江戸消防記念会」は 全体で11の区で組織されている。

 

 

小石川の地元は現在、江戸消防記念会第四区で二番組だが江戸時代には六番組「な組」として町火消しを担っていた。
その江戸時代の「六番組」はその組織を継承するために現在でも「元六番組」「元六睦」として現在の江戸消防記念会第四区とは所属がダブる組とダブらない組もあるが受け継がれている。
第四区では「な組」(現・二番組)「む組」(現・七番組)「う組」(現・二番組)が所属。
第三区と第九区の一部が近年復活して組頭・副組頭・小頭等30名ほどの頭取中がお集まりになるので書院も手狭、、、
 

1

我々は会議での開式・閉式はお十念だが頭取中は開式は「お手がしら拝借」の一本締めで開始される。

閉式も同様。

 

一ヶ月間の報告や御礼、昇進のお祝い等が、、、

本年は江戸町火消が制定されて三百年の年に当たり6月3日(日曜)には東京ビッグサイトでの「東京国際消防防災展2018」にも出陣して木遣や梯子乗りのお披露目もあった。

 

先日のブログ        http://blog.takuzousuinari.com/?day=20180603

 

一本締めで閉式後、本日は各区が集合する目黒・祐天寺へ向かった。

 

本年東京地方は観測史上、一番早い梅雨入りの発表が先月下旬に、、、

本日は九州から近畿、中部,北関東地方にも大雨洪水警報・注意報が発令されている。


2

袢纏の腰の部分の白抜きの本数で何区か識別できる。
第四区は四本、第三区は三本、第九区は九本。
奇数の区は直線で偶数の区は曲線で波打っている。
 

役袢纏の白抜き四本は第四区の頭取中



3

 

毎月お疲れ様です。

 


法類寺院 西岸寺大施餓鬼法要

本日は自坊と法類関係の春日・西岸寺の例年のお施餓鬼法要。

午前中から副住職と共に出仕。

 

西岸寺 山門  

既にお檀家様はお玄関から書院へお入りになられている時間帯
1

 

午前11時半からは諸仏にお食事を召し上がって頂く「半斎供養」
その後、ご参列のお檀家様も書院で「お齋 おとき」(お弁当)のお食事

東京地方は一週間以上30度Cを越す真夏日の連続。

 

出かける頃より気温は既に30度を超す天候のようだったが御本堂は満席、

 

午後1時からは同じく法類寺院住職・浄心寺佐藤上人のお説教(法話)

2

 

午後2時からお施餓鬼法要厳修。
御住職による「表白」(ひょうびゃく)の奉読

3

本日のお施餓鬼法要の趣旨を述べる。


西岸寺では法要中の施餓鬼作法の後、お経(阿弥陀経)を読誦をしながら行道の散華作法。

4
 

5
 

滞りなく午後3時に無事に円上。

お檀家様も長時間お疲れ様でした。

これから東京地方は七月のお施餓鬼法要とお盆の季節に、、、、、

 


今朝は例月大護摩厳修

澤蔵司稲荷では毎月一日(ついたち)午前6時から大護摩を厳修。

 

毎日御奉納される護摩木をお炊き上げする。

1

6月29日には観測を始めた戦後から一番早い「梅雨明け」だった。

昨日までも東京地方は六日間の30度C越えの真夏日が続いていた。

 

今朝も午前5時半頃に既に27度以上、、、、

大汗をかかせて頂いた。

 

2

初午や節分追儺式、春秋の例大祭での大護摩では御信者様が多くお詣りなので内陣までお入り頂けないが例月大護摩では燃えさかる炎のそばにお近づき頂くことが出来る。

 

3

ご挨拶後の護摩の釜

普段は本尊壇のみだが修行の時は六壇焚くので護摩壇の釜の直下には水を入れたすり鉢を置いた。

現在は釜が直接護摩壇に触れないように厚さ1冂の耐熱のシートを施してある。

直接だと真鍮プレートの下の木製護摩壇が高熱で炭化してしまう。

 

毎月、護摩後の午前中はご近所の御信者様の会社やご自宅へお詣りに出かけるが本日は日曜日なのでお休みも多く明日に、、、

その積もりで午前中はご法事もお受けしており汗の為に午前中だけで二回下着を取り替えた。

 

作務衣に着替え緑の濃くなった境内へ。

4

まだ蝉は啼きだしていないが清々しい空気が、、

 

本日も連日の真夏日を更新。

 


梅雨明け、、

お昼のニュースを見ていたら関東地方は梅雨明けとの報道が、、、

戦後、観測統計を取り始めてから一番早い梅雨明けと報じられていた。

 

確かに本日まで東京地方は30度cを超す真夏日が四日間続き一昨日からは湿った熱い南風が続いていた。

境内の古木の枯れ枝も毎朝沢山参道にも落ちていた、、、

 

この強風で成田空港等でも着陸に困難を極めたようだ。

午後の仕事の前に空港アプリを覗いたら旋回(ホールディング)をしている航空機が多数、、、

1

 

 

また友人や御信者様から山形のサクランボが、、

2

 

3

 

4

 

早速、御本尊前にお供えをさせて頂いた。ありがとうございます。

 

また地元・小石川の夏の風物詩でもある第33回の「朝顔・ほおずき市」のポスターやチラシが実行委員会から届いた。

5

 

例年通り境内でも様々なアトラクションや模擬店が出店される。

詳しい内容は近づいたらお知らせ予定。

開催日は7月21日(土)、22日(日)


雨模様

天気予報通り東京は今朝から本降りの雨。

 

本日は大安で外での御祈願事も有ったのだがお気の毒だった。

 

書院玄関前の藤の木。

1

藤棚ではなく自立型の藤の木だが枝を支える竹が腐り昨日職方が防腐剤を塗布してある丸太で手直しをして下さった。

 

2

本年4月には房の大きな花が沢山咲いて楽しませて貰った。

 

自坊には職方や私が剪定、植え替えをすると翌日は雨のジンクスがある、、、

 

3

 

本堂回廊から、、

4

若木のモミジは私が実生から育てたもの。

若葉が伸びてから大分、剪定したが雨の降る時に見ると剪定する枝がよく分かる。

枝振りは私同様、、、捻くれている、、、、、


TOKYO MX TV 「週末ハッピーライフ!お江戸に恋して」 放映

TOKYO MXテレビ番組「週末ハッピーライフ!お江戸に恋して」先月中旬、境内で撮影が有った朝比奈彩さんがMCを務めるコーナー「朝比奈彩の進め!江戸小町」が本日放映された。

 

一昨日のブログ  http://blog.takuzousuinari.com/?day=20180614

 

私は午前、午後共に仕事が有り録画をしてあったので先程見ることが出来た。

 

今週は文京区「春日界隈」のテーマで澤蔵司稲荷や毎日本堂へ開店前の初茹(初釜)の奉納が続く稲荷蕎麦萬盛の紹介も、、

 

勿論、春日界隈との事で地下鉄「春日 かすが」駅がスタート。

文京区役所や直ぐそばに建つ春日局(かすがのつぼね)の像の紹介も。

 

以下、録画画面にテロップでの紹介があるので写真のみを、、

 

「週末ハッピーライフ!お江戸に恋して」スタート

1

 

2

 

3

 

4

 

5

 

6

 

7

 

8

 

9

 

10

 

11

 

12

 

13

 

私の稚拙なブログをご覧の方はご存じだろうがテレビ放映の影響で萬盛さんが混むと困るな、、、

 

撮影の時に朝比奈彩さんをスタッフからご紹介頂いたが私は名前もお顔も存ぜず、、

愚息に話したら驚いていた。

 

これからの朝比奈彩さんのご活躍や番組のご発展を祈念。

 


テレビ放映のお知らせ

明後日(土曜日)に江戸時代から開店前の初茹(初釜)のお蕎麦の奉納が続く傳通院前、稲荷蕎麦萬盛さんと澤蔵司稲荷の関係がTOKYO MXテレビで放映される。

 

番組は「週末ハッピーライフ!お江戸に恋して」の中での「朝比奈彩の進め!江戸小町」のコーナー(11:05頃〜)

4

 

5月15日に番組コーナーMCの朝比奈彩さん、江戸の歴史を研究している堀口菜純さんが境内に来られ撮影は済んでいた。

1

 

本日は萬盛さんの御本堂への奉納場面の撮影が有った。

2

 

3

 

土曜日の午前11時頃はご法事等で忙しいことも多く私自身ほとんど見ていなかったが16日は録画予定。

 

企画書では春日界隈の歴史レポートと有ったので他に何処が紹介されるか、、、

 


ムクノキ祭り

澤蔵司稲荷境内の公道に面する善光寺坂に樹齢400年以上と言われる椋の木(ムクノキ)がある。

 

江戸時代には伝通院寺領、澤蔵司稲荷のご神木としても崇められていた。

 

5年前の平成25年3月に「文京区指定天然記念物 第1号」に指定された。

 

1

善光寺坂と呼ばれるようになったのは明治中期以降。

 

江戸名所図会

2

石垣に階段の澤蔵司稲荷境内は現在でもその面影を残す。

図絵中央左端には椋の木が描かれ周りにはお茶屋もありお参りの方々の憩いの場のようでムクノキはこの界隈のランドマークのような存在だったと思慮される。

 

地元・表町町会では天然記念物に指定された翌年からムクノキにちなみ6月9日前後の週末か日曜日にムクノキ祭りを開催して本年は5回目だった。

 

午前9時頃から町会の方は境内に屋台等の準備が始まり午前10時からご本堂で護摩祈願。

3

本日、副住職は関係寺院での帰敬式のため不在で私一人で太鼓を含む護摩修行となった。

 

4

 

5

湿気が多い為か内陣は結構煙が、、、、

 

6

 

 

ご祈願後に椋の木ににまつわるお話をさせていただき椋の木にご挨拶。

7

町会役員の方や町会会員の方も御神酒を振る舞った。

 

8

 

その後、境内ではムクノキにまつわる紙芝居とポップコーンや綿菓子のプレゼント。

9

 

11

 

10

 

12

 

町内には新しいマンションも建設され新住民になられた方もこのような活動を通じでこの町が故郷と感じていただける日が来ると確信。

 

役員の皆様、ご苦労様でした。


参道「手水舎」

先ほどもお伝えしたが明日は表町町会主催のムクノキ祭り。

境内にも屋台が出店されるとのことで参道の「手水舎」を改めてご紹介。

 

以前にもお伝えしたが 澤蔵司稲荷  参道右手の手水舎。

 

実は傳通院の十一間四面の本堂は明治41年12月3日夕方出火。

当時の新聞では第四消防署(現在の小石川消防署)や二番組消防手により懸命な消火に努めたが残念ながら本堂は全焼、庫裏の大半も焼失。無事だったのは山門・鐘楼のみで有ったと報じられている。

 

その後、 澤蔵司稲荷 に一人の宮大工が現れ「酒と飯」を毎日提供するならば傳通院本堂の火を被ったが焼け残った木材(欅材)で手水舎を建てるとの申し出が、、

二年間を費やし明治43年に完成と伝わる。

確かに手水舎の水盤には明治43年と刻されている。

 

傳通院 本堂は享保年間に二回大火に遭っている。(伝通院HPより)

明治41年までの本堂は享保10年(1725年)に再建された。

現在の水舎の欅材は292年前の建築当時の建材。

 

01

お陰様で昭和20年5月の大空襲でも焼けずに現存。

ただ7年前の東日本大地震で各部に緩みが、、

屋根も傷んでいたので先年の本堂改修工事の時に合わせて屋根瓦を全部取り払い正面の広小舞(見切り)や破風部分等は木材も新調して修復。

ご覧になりにくいが庇(ひさし)小舞の下の二層垂木(たるき)の間隔も遊び心満点。

 

屋根の重さに比べ4本の柱が細いのでジャッキアップをして耐震性を高めるために基礎工事も、、

柱下部には正面を除き同じく欅材で補強。

 

先日から正面左右に、、、

1

 

2

 

手拭いの名前や纏からどなたの奉納かは直ぐに分かった。

粋な計らいに感謝。

(5月20日 追記)

 先程、二番組(な組)の頭(副組頭)がお出でになったのでお聞きしたら正式には「招き手拭い」と称する奉納手拭いとの事。

 御殿町組頭が永楽家(三区)と下町(六区)の組頭と共に染め上げたとの事。

 

 

手水舎正面虹梁の上の蛙股部分には特殊な彫刻が、、

3

 

太田道灌公が鷹狩りに出かけ強い雨に、、

近くの農家を訪ね「箕傘」の提供を依頼すると農家には「箕傘」が無く娘さんが替わりに「山吹の花」を。

歌と共に、、  「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき」

その場面の彫刻が、、

 

実は当稲荷には太田道灌公の念持仏とされる十一面観音様が御神殿のお厨子に安置されている(非公開)。

 

当時、建築に携わった宮大工さんはご存じでこの彫刻を、、、

よくご覧頂くとその情景がおわかり頂けると思う。

 

また手水舎の他の三面にも獅子が牡丹の花と戯れている彫刻が、、

 

北側(左側)

6

 

東側(裏側)

7

 

南側(右側)

8

 

四方の木鼻

9

固い欅材に細かい彫刻まで、、、 

本当に宮大工さん、お一人の作業だったのか、、

 

修復の時に全て水洗いをして面取りも白の顔料で塗り替えた。

 

昨年2月2日のブログ

  http://blog.takuzousuinari.com/?day=20170202

        この手水舎や常夜灯のご説明もある。

 

それほど大きな手水舎では無いがゆっくりご覧頂きたい。

 

 


「板碑」の備忘

明日、午前10時から地元・表町町会主催の「ムクノキ」祭りを開催予定。

澤蔵司稲荷ご本堂で護摩祈願のあと「椋の木」にご挨拶。

境内には屋台も、、、

 

以下、一昨年に境内整備の折に発見された「板碑」(いたび)の備忘。

 

=============================

 

一昨年4月に 澤蔵司稲荷  本堂修復工事が一段落して境内整備の時に偶然確認された二基の「板碑 いたび」

文化財的には「板碑」のジャンルになるようだが「板石塔婆」

 

一基は本堂東側の鎮守の杜の地蔵様の台座、もう一基は普段お詣りを頂いている禊ぎ観音様の直ぐ後ろの地面に刺さった状態で、、、

どちらも鎮守の杜に守られ昭和20年5月25日の空襲の火災は免れた。

 

職方から「どうしましょう?」と尋ねられ本堂脇に立てかけて貰った。

たまたまこの「板碑」等に詳しい方がお詣り来られ「貴重なものですから」と仰り教育委員会文化財係にご連絡。

翌日、学芸員の方が来られて「本物です!」と鑑定にお持ち帰りに、、、

 

ただ近隣の再開発の場所での発掘調査で大変お忙しく鑑定結果は昨年1月下旬に持ち越された。

 

果たして古い方の一基は南北朝時代の北朝「暦應4年 1341年)、もう一基は室町初期の「永享10年 1439年」と判明。

 

板碑は鎌倉時代、南北朝、室町時代の戦乱の時代に武士の間で戦で亡くなった仲間の追善や自身を含め家族の安泰を祈念して奉納されたものと伝わる。

 

鑑定結果と共にお持ちになった学芸員の方からは古い物なので風化防止、盗難防止の為に室内保存をとの御進言。

 

1

 

将来、記録として発刊される区内文化財の書籍に記載されるようだが、、

 

簡易の鑑定書

2

 

3

 

ご説明では 澤蔵司稲荷 の東の低地には千川(谷端川)に沿って街道が有り間違いなくこの境内に奉納されたと、、

ただ江戸の大火や空襲等の火災で昔の姿で現存する物は文京区では少ないと、、

 

不思議な事に古い方は浄土宗第七祖聖冏上人がお生まれになった年。

 

二基目の板碑は太田道灌公が永享4年(1432年)にお生まれになった7年後の永享10年(1439年)

 

太田道灌公は「山吹の里」でも有名だが江戸城の前身である千代田城築城を長禄元年(1457年)に始められ築城中に乾(北西)の方角に光をご覧になり稲荷を建立したとある(現在の武道館付近)。

 澤蔵司稲荷 の御神殿・お厨子には太田道灌公の念持仏と伝わる十一面観音菩薩像も奉安されている(秘仏・非公開)

 

この二基の板碑はあの戦国の時代、聖冏上人が小石川談所、後の壽経寺の開創、お弟子の第八祖聖聡上人の増上寺建立を目撃された。

 

 

 

===============================

 

2017年2月22日のブログ

 

昨年4月に境内の整備中に発見され1月末に区の教育委員会文化財係の学芸員の方が鑑定書と共に自坊に戻ってきた「板碑」

 

板碑

包装された紙にも拡大した鑑定結果が添付されていたので本堂でご覧いただいた。

 

右は「暦應4年」(1341年)北朝時代(南北朝時代)

左は「永享10年」(1439年)室町時代初期の造立と判明。

            室町時代は應永(1394年)から、、、

            その後、応仁の乱も始まりまさに戦国時代へ、、

 

不思議なご縁で暦應四年(1341年)は浄土宗第七祖聖冏上人がお生まれの年。

 

聖冏上人は浄土宗が東国では「遇宗」「不庸宗」と呼ばれ我こそはと群雄割拠の時代に現在の浄土宗の宗脈・戒脈を整えられ五重相伝も確立された。

應永22年(1415年)現在の播磨坂付近の極楽水に傳通院の前身である壽経寺を建立する前に既に「小石川談所」として草案を建立。

小石川談所は壽経寺の建立の10年以上前にさかのぼる、、

 

現在の大本山・増上寺を明徳4年(1393年)建立された聖聡上人はお弟子様。

増上寺に現存する聖聡上人直筆の小石川談所の署名がある木版本「阿弥陀経本」にも、、、

 

今回、慈眼院・澤蔵司稲荷から見つかった二基の「板碑」は小石川談所、壽経寺建立、増上寺建立とあの時代を全て見守っている、、

 

670年ほど前の戦乱の時代に建立され鎮守の杜に守られ江戸の大火、関東大震災、昭和20年の空襲でも焼けずに残ったことに感謝。

 

申し訳無いが学芸員の方からも境内では風化や盗難等の事もありしばらくは非公開なのでご了承願いたい。

 

 


江戸町火消 元・六番組 定式(月例会)

毎月、お伝えしているが江戸町火消し「六番組」であった「元六番組」「元六睦」の月例会。

六にちなみ毎月六日に澤蔵司稲荷書院で開催されている。

 

所属、元・六番組の頭取中(組頭・副組頭・小頭) が集まる。


江戸時代の町火消しの組織「いろは四十八組、本所深川十六組」は明治時代になり明治5年に「市部消防組」として改編。

その後、近代消防に移行したことに伴い江戸時代の火消しの文化・伝統等を継承する為に江戸消防記念会の前身組織が明治後期に組織された。
現在の「一般社団法人 江戸消防記念会」は 全体で11の区で組織されている。

 

 

小石川の地元は現在、江戸消防記念会第四区で二番組だが江戸時代には六番組「な組」として町火消しを担っていた。
その江戸時代の「六番組」はその組織を継承するために現在でも「元六番組」「元六睦」として現在の江戸消防記念会第四区とは所属がダブる組とダブらない組もあるが受け継がれている。
第四区では「な組」(現・二番組)「む組」(現・七番組)「う組」(現・二番組)が所属。
第三区と第九区の一部が近年復活して組頭・副組頭・小頭等30名ほどの頭取中がお集まりになるので書院も手狭、、、
 

1

我々は会議での開式・閉式はお十念だが頭取中は開式は「お手がしら拝借」の一本締めで開始される。

閉式も同様。

 

一ヶ月間の報告や御礼、昇進のお祝い等が、、、

本年は江戸町火消が制定されて三百年の年に当たり先日の3日(日曜)には東京ビッグサイトでの「東京国際消防防災展2018」にも出陣して木遣や梯子乗りのお披露目もあった。

 

先日のブログ        http://blog.takuzousuinari.com/?day=20180603

 

一本締めで閉式後、本日は各区が集合する向島・三囲神社へ向かった。

本日は正午頃に気象庁から関東も梅雨入りとの発表があったが朝から小雨が降っていた。


2

袢纏の腰の部分の白抜きの本数で何区か識別できる。
第四区は四本、第三区は三本、第九区は九本。
奇数の区は直線で偶数の区は曲線で波打っている。
 

役袢纏の白抜き四本は第四区の頭取中


3

 

毎月お疲れ様です。

 


東京国産消防防災展2018 & 施餓鬼法要

昨日お伝えしたように東京ビッグサイトで「東京国際消防防災展2018」が開催されており本日が最終日。

1

 

今朝は5時半過ぎに地元・江戸消防記念会第四区の総代、組頭、筒先・道具中が境内に集合して本梯子・纏を車に積み東京ビッグサイトに向け出陣。

会場での梯子や木遣りの演技はプログラムでは10時から開始。

 

お昼前には境内に凱旋。

総代から労いの言葉と親聲会会長からも挨拶があり一本締めで無事お開きに、

1

 

纏もトラックで凱旋。

車に同乗していた本梯子は既に境内奥の倉庫へしまわれていた。

2

 

 

総代・組頭から記念品のおみやげを、、、

3

手拭いは本日一日だけ限定との事。

江戸町火消誕生300年を記念して制作された。

早速、本堂の木遣不動尊前にお供えをさせて頂いた。

 

「江戸消防」のパンフレットも、、

木遣り・梯子乗りを紹介したページ

5

 

6

 

袢纏等を紹介のページ

7

 

昨日のブログ  http://blog.takuzousuinari.com/?day=20180602

 

 

午後1時前には法類寺院 真珠院のお施餓鬼法要へ

4

晴天に恵まれ多くのお檀家様がお詣り下さっていた。


東京国際消防防災展2018

現在、東京ビッグサイトで開催されている「東京国際消防防災展2018」

1

 

明日は最終日で江戸消防記念会の演技も披露される。

 

先日から書院で木遣りの稽古や境内では梯子乗りの稽古も行われていた。

 

夕方、仕事が終了した第四区木遣親聲会の筒先・道具中は境内に集合して裏の倉庫から東京消防庁新年出初め式でも披露される三間半の本梯子の締め直し作業。

2

 

3

 

4月の稽古の始めの時にも締め直しがあったがやはり湿気等で緩むので今回も、、

4

 

プログラムを拝見すると明日は会場で午前10時からの演技のようで境内に午前6時頃に集合して出陣するようだ。

 

是非、日頃の稽古の成果を見事に演じて貰いたい。

 

 


月例 大護摩厳修

澤蔵司稲荷では毎月一日(ついたち)午前6時から大護摩を厳修。

 

毎日御奉納される護摩木をお炊き上げする。

1

初午や節分追儺式、春秋の例大祭での大護摩では御信者様が多くお詣りなので内陣までお入り頂けないが例月大護摩では燃えさかる炎のそばにお近づき頂くことが出来る。

 

2

ご挨拶後の護摩の釜

普段は本尊壇のみだが修行の時は六壇焚くので護摩壇の釜の直下には水を入れたすり鉢を置いた。

現在は釜が直接護摩壇に触れないように厚さ1冂の耐熱のシートを施してある。

直接だと真鍮プレートの下の木製護摩壇が高熱で炭化してしまう。

 

午前中は朝食後、近隣の御信者様の会社、店舗、ご自宅等へお詣り。

 

昼前に戻ったが既に気温は26度C程に上昇していたが湿度が低く楽だった。

 

作務衣に着替え緑の濃くなった境内へ。

4

 

「お穴さま」

3

この霊窟の御堂や鳥居、周りの江戸時代からの崖地も昨年御信者様のご協力で整備された。

老木の太い枝にも強剪定をかけたので日差しが入るようになった。

 

鳥居の御奉納はまだ場所があるので受け付けは継続中です。

 

4

 

昭和20年5月25日は都内では最後の山手大空襲。

大変な焼失面積を出した山手大空襲でもこの鎮守の杜に守られ境内の半分は焼失を免れた。

この場所に立つと体感温度は日向と比べ遙かに低い。

 

この霊窟の崖地は江戸時代に富士山の墨石(火山岩)で整備され明治時代にも整備された記録が玉垣等から読み取れる。

その崖地を昨年整備。

崖部分にあった朽ちた大木も危険防止の為に抜根。

その時に見つかった焼けただれた根。

8

多分、この大木はあの空襲での延焼をくい止めた最後の砦と思慮。

植木屋さんにはこの部分だけ処分せず残して貰い本堂脇に置いてある。

73年前の証言者。

 

毎年、5月25日が来ると境内の緑はどの程度茂っていたか見る癖が付いている。

 

6

 

5

 

7

 

梅雨入り間近の貴重な晴天。


本駒込 天栄寺 施餓鬼法要説教席

本日は文京区本駒込へ

 

自坊と同じ東京教区豊島組西部 天栄寺様へ(所属の部は異なるが、)


午後1時からのお施餓鬼法要前のお説教の席を頂戴していた。

今朝の天気予報では東京地方は二十五度Cを越える越える夏日になり蒸し暑くなるとの予報も、、雨の心配も有った。

天栄寺山門
1

 

2

山門横には文京区史跡文化財「駒込土物店(だな)跡」の石柱も建つ。

 

教育委員会の説明板

2

山門を入ると右手に昭和38年11月に先々代住職がこの地にあった「駒込辻のやっちゃば」「駒込の土物店(だな)」の由来(縁起)を刻された石碑を建立。

3


銘
この地は江戸の元和年間(約400年前)に江戸の神田・千住の野菜市場(やっちゃば)と共に江戸幕府公認の三大市場として栄えた場所。
元和年間は御府内に多くの浄土宗寺院が創設された頃でもある。

昭和12年に「中央卸売市場法」の改正によりこの地から現在の巣鴨に在る青果市場に移転された。
存じ上げているので毎年興味深く拝見している。
駒込土物店(市場)の由来、経緯等が詳しくこの石碑に刻まれている。

 

市場(やっちゃ場)の起源は天栄寺境内にそびえていた「サイカチ」の大木の下で旧・岩槻街道や中山道から御府内に運び込まれる野菜をお百姓さんや人夫の人々が休憩をする

場所になっていたようだ。

その新鮮な土の付いたままの野菜を求め地元の人々も集まり自然発生的に市場が、、

後に幕府公認の「江戸三大市場」となった。

 

そのサイカチの木も石碑の横に、、

3

大木のサイカチの老樹は空襲で焼失し戦後植えられたとも、、

 

昭和12年3月25日に「中央卸売市場法」が改正され現在の巣鴨中央卸売市場青果市場に移転。

 

天栄寺様では毎年春季彼岸明け頃の3月25日には石碑の前に「土物」野菜をお供えして法要が営まれている。


天栄寺境内とご本堂

4
ご本堂の屋根は六枚の蓮の花びらを模したような独特のデザイン。
雨水はどのように排水しているのか??

御本尊様へお説教前の御挨拶。

5
脇侍の善導大師様や法然上人のお像も数年前から明るく照明が、、、

 

外陣飾りの施餓鬼壇

6

午後1時からお施餓鬼法要に先立ちお説教席を頂戴した。

 

いつものお説教の席では慈眼院先代住職のお袈裟を被着するのだが本日は天栄寺先々代御住職の33回忌の時に頂いた夏衣の「如法衣」(お袈裟)を毎年被着してお説教をさせて頂いている。

私の寺の先代住職(実父)も平成4年、84歳までこの御本堂でお施餓鬼法要前のお説教をさせて頂いていた。
有り難い仏縁を頂いている。

私のお説教の後、お施餓鬼法要法要が部内・関係寺院御住職と共に、、

7
本日もお陰様の一日だった。

 

お暇する頃にポツポツと雨が降り出したがお檀家様は濡れずにご自宅にお戻り出来たか、、


西巣鴨(庚申塚) 西方寺 施餓鬼法要説教席

本日は正午頃に出発して豊島区西巣鴨(庚申塚)近くの西方寺へ向かった。

拙寺副住職とお隣の善光寺副住職さんは3年ほど前から毎月、西方寺御本堂で「法話とお念仏の会」を開催している。

来月、「帰敬式」開きたいようでその説明に出かけるとの事で副住職さんの運転する車で、、

 

法要前、午後1時からの御説教の席を頂戴していた。

西方寺山門

1

まだお檀家様の一部は書院でお昼の「お齊 おとき」(お食事)中だったが堂内はほぼ満堂。

お説教を始める頃には  向拝の回り廊下にもお檀家様で溢れてしまう。

西方寺のお施餓鬼のお説教には慈眼院先代住職も昭和42年から平成2年(82歳)まで23年間お邪魔をしていた。
私も若い頃(昭和40年初頭)、東京教区豊島組の青年会が自主的に発足したその少し前に西方寺先々々代ご住職のお招きで西方寺を会所(会場)に法式(法要の作法)や大学の先生をお呼びしての講習会等を開いていた。
まさに豊島組青年会の原点のお寺だ。

先々代御住職も豊島組組長や宗議会議員等をお勤めになりご教導頂いた。

ご本堂の反対側には「一誠観音」さま
4

 

下の銘板には、、
5

先々代住職が戦時中に学徒出陣で昭和19年に海軍兵生教育部で初級将校、昭和20年6月に海軍少尉。兵学校当時に同期のお仲間と「海軍一誠会」を結成。
同期の戦没者六十有八名の追悼の為に昭和50年に永代供養塔として建立された。

御本堂では三味線・尺八・しの笛の清興
2

 

3


玄関、墓所への参道
4
いつも植木の手入れも行き届いていて清々しい、、、

私はお檀家様の前で午後1時から法要前の説教席。


毎年、本当に大勢のお檀家様がお詣りに来られる。

午後2時からはお施餓鬼の法要開始。
6

ご本堂も広いのだがお檀家様が大勢で向拝の周り廊下にもいらっしゃるので施餓鬼壇(五如来壇)は向拝側に設えることが出来ずに御本尊様の前に、、

お陰様で無事に一時間のお説教席を務めさせて頂き法要開始後においとま、、、

 


PS 昨年の控えの間(改めてのご報告)

一昨年、初めてご案内頂き驚いた応接間兼オーディオルーム
6

スピーカーの間や奥にある縦横の木製の棒は部屋の音響を整えるものだと、、、

 

スピーカーは懐かしいTANNOY!! 昭和20年代後半の箱!

火を入れて下さったが懐かしい真空管の明かりが、、、、

本日は少し早めに到着したのでご住職はクラシックとジャズのさわりを聞かせてくださった。

勿論、法要で多くの方がお隣の部屋にもいらっしゃるので小さな音だったがアンプもさることながらTANNOYのスピーカーからは繊細なピアノの高音のタッチや大胆なベースの音も、、、、

 

7

 

8

 

9

お好きな方はすぐお分かりのフルセット、、


御住職のご了解を頂いているのでアップ、、

 

本日はこの部屋では清興の女性の控えの間とのことで残念ながら拝見できなかった。

明日もお説教が続くので澤蔵司稲荷ご本堂のご相談はお休みとなる。ご了承ください。
 


本郷 昌清寺 施餓鬼説教席

本日は朝から快晴で爽やかなお天気。しかし夏日になるとの予報も、、、

本日は正午過ぎから文京区本郷に向かった。

毎年、5月27日は本郷壱岐坂の昌清寺様のお施餓鬼法要の説教席を頂戴している。

距離的にはそんなに遠くは無いのだが小石川台を下り後楽園から本郷台に登るので車で、、、


昌清寺様は自坊の先代住職(私にとっては師僧でもあり実父)も昭和31年から37年間、
85歳までお説教席にはお邪魔をさせて頂いていた。
まさに現・御住職や副住職さんを含め親子三代に亘るご縁、、、、

昌清寺は山門を入ると駐車場の脇に松尾芭蕉翁の「花見塚」の句碑が有る。
1

この「桜狩り きとくや 日々に五里六里」の句は貞享5年(1688年)に吉野で詠まれた句とされ寛政八年(1796年)に初代の「花見塚」が建立されたと伝わっている。
さすが芭蕉翁は健脚だった、、、

しかし塚は長年の風雪や昭和20年の空襲の被災で壊れてしまっていた。

先代御住職は句碑の記述がある「茗荷図絵」を東京大学の図書館で閲覧して昭和59年に復元、建立された。

その頃に所用でお邪魔をすると用件はすぐに終わったが先代様からよく苦労話を伺った。


先代御住職も苦労された句碑を自慢されていた。 笑顔が忘れられない。

2

慈眼院・澤蔵司稲荷の境内にも芭蕉翁の句碑が建立され現存しているのでいつも気になり一枚パチリ、、、

芭蕉翁は伊賀のご出身で昌清寺の近くの壱岐坂に戸田権大夫公のお屋敷が有り同郷という事で良くお出かけになられ自坊の境内の句碑「一時雨 礫や降って 小石川」をお詠みになったとも伝わっている。

時間があったので墓所もお詣り、、
墓所中央の合祀墓「倶会堂」

右わきには歴代墓があり先週の日曜日(20日)には先代様の23回忌の法要も務まり私もお詣りをさせて頂いたばかり。

4

まだ一週前に建立の真新しいお塔婆が、、


3年前に「昌清寺 開創400年」と浄土宗宗祖法然上人の「800年大遠忌」を記念して建てられた書院新玄関
3

お説教は午後1時からだがお檀家様は正午前にはお集まりになり「お齊 おとき おしのぎ」のお食事中なので境内は静か、、

ご本堂で御本尊様に御挨拶
5

徳川家康公の念持佛とも伝わる身丈三尺の素敵な阿弥陀様。


外陣飾りの餓鬼壇。「五如来壇」とも呼ばれている。
逆光で申し訳ございません。
6

「三界萬霊」のお位牌と共に「戦争 戦災 地震」等で亡くなられた諸々霊位のお位牌も、、


一番右側は400年続くお檀家様の「過去帳」

7

元和元年の開創以来の過去帳。

副住職にお聞きするとこれは複写(書き写し)した過去帳で現存する本物の過去帳は大切に金庫に保管されているとの事。

昭和20年5月の山手大空襲でもご本尊様と共に墓所中央の合祀墓に先代ご住職が納め被災を免れた。

 

先日の先代23回忌法要の時に話題になった善導大師さまと法然様の額。

ご本堂内と裏堂との境の出入り口頭上に掲げられてある。

 

昭和50年代に先代住職が日本橋高島屋の地下での骨董市に出かけ法然様のお姿が描かれたこの額を見つけられた。

8

ご先代様は必ず対でもう一つあるはずだから探してほしいとお願いしたがその時は見つからず。

 

後日、連絡があり高島屋に出かけると善導様のこの額が、、

9

高祖善導様と宗祖法然様の二祖様が揃われたとお喜びになられたことは当然。

この二つの額を近づけると「二祖対面」のお姿。

素晴らしい仏縁で昌清寺さまに奉安されることに、、

このお話もお檀家様にご紹介することが出来た。

 

午後1時から法要までの約50分間ほどお説教の席でお話をさせて頂いた。

準備していたお話よりもアドリブが多くなりすぎたか、、、
満堂のお檀家様も熱心にお聞きくださり感激。


昌清寺は武蔵野台地の東端の本郷台、後楽園のドーム球場を挟み西側の自坊の高台は小石川台。
昔は後楽園方面に高い建物も無く自坊境内からは昌清寺様方面はまる見えだった、、
しかし坂道だらけなので帰りはTAXIで、、、、 

 

お陰様の一日。


小石川 傳通院 大施餓鬼法要

本日は傳通院でのお施餓鬼の法要に出仕。
傳通院は5月の第四土曜日に厳修。

 

都内ではお施餓鬼法要が特に5月に厳修され私も連日法要前のお説教席を頂戴して出かけている。

ただ毎年同じ日にちに厳修する寺院が多いのだが曜日で毎年厳修日は異なるお寺も、、、

私は生憎重なってしまった場合は日にちの決まっている寺院を優先している。

 

その為、ここ数年は副住職に出仕を依頼していた。

本年は有り難い事に私は本日に限り説教席のご依頼が無く逆に副住職が別のお寺での説教席へ。

本坊で有る傳通院への私の出仕は実に4年ぶりだった。


傳通院山門
山門
吹き流しが真横に、、、、
あまり感じなかったが結構風が、、、
すぐ手前にマンションがあるのでビル風?

山門から望む傳通院参道
2


参道左には「佛足石」が、、
佛足石
ちょっとご覧になりにくいがお釈迦様の足の裏を刻してある。

子供の頃から馴染みのある佛足石。
よく登ってしまった思い出も有る。
明治時代に造営されたと伝わるが浅い彫りなので少し風化か?

お施餓鬼法要は滞りなく厳修された。

実は上の「佛足石」は50年以上前に慈眼院の先代住職が拓本に採った。
佛足石2
向きは横だがそのまま拓本を「屏風一双」にして書院の部屋の間仕切り(結界)に使っている。
この石が昔の姿だが境内整備で場所を変え設置の折に少し石を削り形を整えたようだ。
だいぶ石の形が違う。

 

御本堂ではお説教の真っ最中

3

 

法要中は随喜をしているので撮影が出来ず法要終了後に、、

御本尊様

4

 

外陣飾りの施餓鬼壇(五如来壇)

5

 

明日からまた30日まで法要での説教席を頂戴している為、不在が続くので稲荷のご相談の場合はお電話でご遠慮なくお問い合わせ頂きたい。


武蔵野市吉祥寺 光専寺 お施餓鬼法要説教席

本日は午後3 時からお施餓鬼法要会が厳修される武蔵野市吉祥寺にある光専寺に向かった。

依頼されている説教席(法話)は午後2時なのだが遅刻は出来ないので正午頃に自坊を車で出発。


以前は東京メトロと中央線でお邪魔をしていたのだが御住職から駐車場のご用意が有るとの事で三年前からは車でお邪魔をしている。

私は説教席のみで法要には随喜せずおいとまするので駐車場は出やすいようにとのご配慮も、、
 

昼時でもあり一般道も高速道路もスムースで40分足らずで到着してしまった。


光専寺

1

 

山門

2

御本堂
3

ご本堂は昭和初期の建造で数年前に耐震工事を済ませた。

 

書院玄関も立派

4


時間が有ったのでお玄関に御邪魔をする前に境内を拝観参拝、、

墓地に向かう参道の地蔵尊
5


先代御住職の御発願で建立された水子地蔵尊もお詣り。
6

 

光専寺歴代御住職のお墓も、

7

若い頃に御教導賜り私の寺の先代住職(実父)も30年近くお説教にお呼びくださった御先代住職の23回忌の角塔婆も、、

昨年厳修された。

角塔婆の裏の年月日を確認したら私の誕生日だった。

 

歴代御住職の墓誌

8

ちょっとご覧になりにくいが御先代上人のご命日は四月二十七日で私の誕生日と同じ日にちが刻されている。

三つ葉葵は善光寺様式だと気づいたがお聞きするのを忘れた、、


御本堂内陣 御本尊様。
10

お説教には一時間ほど前だったが堂内には「お斎 おとき」(お食事)を済まされたお檀家様も既にお座りになられていた。

 

堂内には今春、僧階が「正僧正」(じょうそうじょう)に叙任された額と緋の衣を被着する事が許された書状の額も、、、

9

僧侶には僧階・学階、教階等があるが一般寺院の住職では正僧正が最高位。

大僧正は総・大本山の御法主のみ。

 

法話の中でもご紹介をさせて頂いた。

左脇陣には「箪笥 たんす 地蔵尊」
11

以前、御住職からお聞きしたが御厨子のお地蔵様を手前の箪笥のような箱に収めまさに和箪笥のように鍵手が着いており駕籠(かご)のように担いで「出開帳」をしていたとの事。

私の師僧(実父)も記録によると平成元年(82歳)まで光専寺様のお施餓鬼会やお十夜法要のお説教席に御邪魔をしていたと有るので師僧の愛用していた「如意」や「お袈裟」(遺具)を着けさせて頂きお説教をさせて頂いた。

現御住職とは大学時代からのお付き合いで御内室とも結婚前から存じ上げている。
有り難い「ご縁」

お陰様で帰路もスムースで午後3時過ぎに出発したが4時前には帰寺出来た。

 

今日も有り難い一日。感謝
 


小日向 深光寺 大施餓鬼会法要 説教席

本日は正午頃に文京区小日向(東京メトロ 茗荷谷駅近く)の深光寺に向かった。

昨日の深川での施餓鬼法要会は五月晴れの良いお天気だったが生憎昼前から予報通り小雨が降り出してしまった。

毎年5月23日にお施餓鬼の法要が厳修される。
住職は同じ中学・高校の先輩だが浄土宗の僧侶になる最後の行である傳宗傳戒道場は同行。
先代御住職さまにも若い頃から御教導賜った。

深光寺墓所には江戸時代、「南総里見八犬伝」で有名な戯作者「滝沢馬琴翁」の墓が有る。
境内入り口の文京区教育員会の案内板。
1

 

2


小石川七福神の「えびす様」もお出迎え、、
3

文京区では史跡巡り・文学散歩のコースが設けられているが東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷駅」から後楽園、「本郷三丁目駅」にかけていくつもある。
慈眼院・澤蔵司稲荷境内にも史跡巡り、文学散歩、小石川七福神巡りの大勢の方々が訪れるがこちら深光寺さまがスタート地点か最終地点になる。

馬琴翁と奥様であるお百さんのお墓。
4

馬琴公は「蓑笠」(みのがさ)の別号が有るようにお墓にも「蓑笠」がのっている。

毎年のようにご紹介しているがお墓竿石の下の台石には家を形取った 馬琴翁の「蔵書印」が刻まれている。
蔵書印
いつも思うが江戸時代のデザイナーのセンスに驚く。

境内には滝澤家の歴代墓も、、
5

墓石の上にお地蔵様がのる珍しいお墓。

ご住職によるとこのお墓も馬琴翁の発願で自らデザインしたとのこと。
自筆のお墓の図面が残っているようだ。
よくご覧になるとわかるが墓(四角の胴体部分)の左後角が欠けているが建立の時に石工が境内に運び上げたときに誤って落とし欠けてしまったとの事。
それを見ていた馬琴公は「いいよ、、」と仰り角が欠けたまま建立されたようだ。
その時の経緯は古文書にも残っているとお聞きした。
馬琴翁はお心がお広かったようだ。

寛政元年(1789年)に深光寺第八世上人が建立した「厄除観音塔」
6


まずは御本尊様へ御挨拶
7

昭和20年5月25日の山手大空襲では被災を免れた鎌倉期の素敵な阿弥陀様。


午後1時からお説教の席を頂いた。

その後、午後2時からご部内寺院御住職方と共に法要が、、、
私はお説教席のみで帰寺させて頂くので撮影させて頂いた。

本尊前から転座をして施餓鬼壇の前で御住職による「表白」の奉読
8

本日のお施餓鬼法要の趣旨を奉読される。
深光寺様の餓鬼壇(五如来壇)は古式に則り外陣の外の向拝に設えられている。

お施餓鬼法要はお檀家様のご先祖様の御回向だけではなく「三界萬霊」(有縁無縁を問わず御回向)にご功徳をおわけする法要でも


御住職は趣味で養蜂もなさっており毎回「蜂蜜」を頂戴する。
御住職曰く、先年分蜂に失敗して新しく女王蜂や働き蜂を購入したそうだが搬入され置く予定の場所でない所で巣を開き境内の違う場所に移動すると働き蜂はGPSが狂い近くても自分の巣に戻れなくなるようだ。
専門業者さんから届き箱を設置すると蜜蜂は体内のGPSを修正する為に巣箱の回りのみを飛ぶとの事。
その後、遠方まで花の蜜を採りに出発するようだ。
自坊の境内にも蜜蜂が飛んできているがもしかしたら深光寺からの出張かも、、、、、
住職曰く、蜂のGPSは凄いと、、、、、
箱は二段にして上段へは女王蜂が上がれないよう金網があり上の巣には卵が生めず蜜のみの巣が形成されるとのこと。(小さい働き蜂のみが通れる金網のようだ)
帰巣してハニカムの中に運び込んだ蜜は水分が多いので羽で風を起こし水分を飛ばすとの事、、、
凄い!!!


9

けなげで可愛いよ!と微笑まれていた。


頂いた蜂蜜の瓶詰め
ビンには「深光寺」のラベルが、、、、
まさに文京区産の蜂蜜。

頂くのが楽しみ!!
 

お陰様で本日も無事勤める事が出来た。
明日は吉祥寺の友人が住職を勤めるお寺でのお説教に出かける。


深川 長専院 お施餓鬼法要

本日は江東区 深川 長専院不動寺のお施餓鬼法要。

昨年本日のお施餓鬼法要では大学時代から公私ともにお付き合いがあった先輩である住職が副住職さんへ住職を継承すると表明した法要でもあった。

 

昨年秋のお十夜法要の時に新住職として継承した。

先輩である前住職とは傳宗傳戒道場も同行。


もう45年程、法要等の行事にはお邪魔をしている。
午前10時過ぎに車で自坊を出発。
東京地方は昨日の夏日に続き本日もかなり気温が上がる予報も、

深川へは文京区からは大川(隅田川)を渡らなくてはならず清洲橋通り経由で、、
隅田川にかかる橋では一番好きな清洲橋を渡る。
1

下流の勝鬨橋も好きだがあまり縁が無くなってしまっている。

 

お隣の霊巖寺境内に車を停めさせて頂き長専院へ

私の先代がご依頼を受け揮毫し字刻された石柱

2

 

境内の不動堂

3

近年は正月だけになってしまったが護摩の修行も同行で以前は正五九の護摩供には太鼓を叩きにお邪魔していた。

 

長専院本堂
4
長専院は関東大震災と昭和20年3月10日の空襲で消失し先々代住職は二回ご本堂を再建した。

先輩が住職時代の10年ほど前に瓦葺きの本堂を耐震も考慮して屋根は銅板葺きに。


空襲の時、先々代住職は町内の役員をされており清澄庭園へ町内の方々を避難誘導している最中に本堂が焼け御本尊様も消失してしまった。

本所・深川は関東大震災と空襲で灰燼ときし多くの犠牲者がでた。

先々代御住職が御遷化後に先々代御内室のご希望も叶い10数年前に鎌倉期造立の立像の阿弥陀様をお迎えできた。
その阿弥陀様は平成21年に江東区の指定有形文化財(彫刻)に指定された。

教育員会が境内に設置した説明板。
掲示板
掲示板には写真も、、
掲示板2

早速ご本尊様にご挨拶
5

本当に素敵な阿弥陀様。

 

先々代御住職がお迎えした終戦後のご本尊様は脇の位牌壇へ

6

午後1時半からお施餓鬼法要
昨年住職を拝命した新住職による施餓鬼法要の趣旨を述べる初めての「表白 ひょうびゃく」の奉読。
6

 

素晴らしいお天気に恵まれ多くのお檀家様がご参列だった。

 


本日は本所・華厳寺 お施餓鬼法要での説教席と関係寺院先代様の年会法要

東京地方はここの所夏日になったり嵐の雨が降ったりと不安定なお天気が続いていた。

昨日、最高気温が28度近くまで上がり「夏日」だった。

 

本日はまさに風薫る爽やかな晴天。


本来、我々僧侶は原則、夏衣への衣替えは6月1日から。

しかしあの東日本大震災での電力不足からクールビズも定着してお役所も企業でもノーネクタイや半袖でも。

我々も近年は前倒しで5月の法要も「夏衣」が多くなり助かっている。

衣と如法衣は絽ではなく一気に「紗」へ、、、

本日は浅草では「三社祭」一宮・二宮・三宮の本社御輿の町内渡御、、、、
早朝に「宮出し」、、、
本所までは自坊から春日通りで一直線。

しかし本社神輿の渡御に遭遇し交通渋滞の心配もあるので早めに出発。

本日お邪魔をした本所・華厳寺の住職とは中学・高校も港区の男子校で同期、大学も同期、浄土宗の僧侶の資格を頂く修行・傳宗傳戒道場も同行でしかも同じ班だった。
卒業しても友人として中学から既に59年の公私に亘るお付き合い。

お互い昨年は「古稀」を迎えた。

午後1時からのお施餓鬼法要前の説教席(法話)を依頼されていたが道路は何事も無く空いており早めに到着。

華厳寺山門

oo1

六地蔵様がお出迎え、、

2

本所は深川同様、関東大震災・昭和20年の大空襲では火災により多くの犠牲者が、、

その慰霊の為のお地蔵様も祀られている。

 

山門右手にはお閻魔様の御堂が有るがその前には立派な枝垂れ桜。
実はその前に植わっているモミジは若い頃にお世話になった華厳寺先代住職の13回忌の時に私の寺の境内から移植をした。
六地蔵様の横(右の白いお花の手前、「えんま堂」の掲示のうしろ)のモミジ。

前にもお伝えしているが慈眼院・澤蔵司稲荷にはモミジの古木が数本有り毎年紅葉と共に落ちたモミジの種から沢山の実生が育つ。
30数年ほど前は初夏に芽を吹く実生(双葉から本葉が二枚出た状態のチビちゃん)を一本ずつ植木鉢に移植して育てていた。数は数百本か、、、、
現在(今頃)も境内には無数の双葉が、、、
ちょうど30年前にモミジの実生を植え替えている時に一本の電話が、、、、
華厳寺御先代の御遷化の訃報だった。

しかし、なかなか育たないモミジもその年は8本ほどが元気に育った。
12年後の13回忌の時に現住職(友人)に「一本あげるよ」と持ちかけたら「是非!」と言うことで車で届けた。
彼も丹精を込め育ててくれてこんなに大きくなった。
今年33歳になる。  
澤蔵司稲荷境内のモミジ数本とは兄弟。
当時、運んだ時は乗用車に乗る親指ほどの幹の太さだった、、、

墓所入り口のお施餓鬼や十夜法要の時に楽しみにしている住職自作の案内ポスター

3

 

玄関先の掲示

4

達筆だな、、、、、
まだワープロも無かった時代に彼は「ガリ版」の原稿を切るのが得意で青年会時代は良くお願いした。
当時、寺内に幼稚園も有ったので和文タイプライターも導入したのでお世話になった、、、

 

早めに到着しお檀家様がお齊(お弁当)を召し上がっている時間なので御本尊様にもご挨拶。

6


12時半からは本堂で私の法話前に清興の落語。
高座は第6代目 柳亭左龍師匠。

10
師匠は下町にお住まいで控えの間では一年ぶりの再会で夏衣や三社祭の話題で盛り上がってしまった。

本堂で写真を撮らせて頂き施餓鬼壇(五如来壇)も、、
7

 

8

 

控えの間に戻る前に書院の住職の「趣味の間」を撮影
9

秋の十夜法要やこの時期のお施餓鬼法要に御邪魔する時は楽しみにしている。

壁の掛け軸の戯画は私の寺の玄関に掲げてあった軸。
私の母の通夜・葬儀にお手伝いに来てくれた時に気に入り彼がどうしても欲しいと言うことで華厳寺の本堂・庫裏の修復落慶法要の時にお祝いで差し上げた。

 

5

以前は古い雅楽の笙や龍笛、壺や茶器もあったが昨年模様替え、、

昭和のビデオデッキやフィルムの8ミリカメラも、、、

下段のSony F1のデッキは私も子供のお遊戯会や背負子で担ぎスキー場で大活躍した。

現在もベータのビデオの再生には使用している。

落語の高座のあと、午後1時から50分間ほどの説教席を頂戴してお檀家様の前でお話をさせて頂いた。
お施餓鬼の法話は勿論だが半世紀以上に亘る友人のが住職なので悪口ばかり、、、
素晴らしい彼の性格や人柄は当然お伝えしたが、、、、

私の役目はここまででお施餓鬼法要には毎年の事だが出仕(随喜)せず、、
たまにお十夜で太鼓を叩いた事も有ったが、、、

午後2時からはお施餓鬼法要が始まりご本堂での施餓鬼壇の前で法要の趣旨を述べる「表白 ひょうびゃく」の奉読をカメラに納めた。
11

 

関係寺院で4時からの先代御住職の年会法要があるので早々にお暇したが、生憎春日通りで三社祭の本社神輿の町内渡御に遭遇してしまい路線バス以外は通行止め、、、 遠回りで帰寺。

 

 

帰寺後、午後三時半前に本郷の昌清寺様へ

若い頃から大変御教導を賜った御先代御住職の23回忌法要のご案内を頂いていた。

12

御導師は東京教区豊島組 前組長上人。

 

法要後、墓参を済ませ書院で供養席。

大本山鎌倉光明寺柴田御法主台下も御隣席賜り御垂示と御親戚としてのご挨拶を頂き献杯。

13

 

御先代を偲び美味しく供養膳を頂戴した。

懐かしい久し振り方々にもお会い出来た。

 

昌清寺様には来週、お施餓鬼の説教席を頂いている。

 


calendar
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2018 >>
新着ブログ
ブログ内 検索
月別 過去ログ
最近のコメント
links
profile
others
mobile
qrcode