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文京区小日向 深光寺 施餓鬼法要

本日は自坊の納骨法要後、正午過ぎに文京区小日向(東京メトロ 茗荷谷駅近く)の深光寺に向かった。

毎年5月23日にお施餓鬼の法要が厳修される。
住職は同じ中学・高校の先輩だが浄土宗の僧侶になる最後の行である傳宗傳戒道場は同行。
先代御住職さまにも若い頃から御教導賜った。

深光寺墓所には江戸時代、「南総里見八犬伝」で有名な戯作者「滝沢馬琴翁」の墓が有る。
境内入り口の文京区教育員会の案内板。
教育委員会

小石川七福神の「えびす様」もお出迎え、、
ゴメンナサイ、、、
境内にお檀家様もいらして慌てて撮影したのでお顔が葉っぱで隠れてしまった、、、
恵比寿さま
文京区では史跡巡り・文学散歩のコースが設けられているが東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷駅」から後楽園、「本郷三丁目駅」にかけていくつもある。
慈眼院・澤蔵司稲荷境内にも史跡巡り、文学散歩、小石川七福神巡りの大勢の方々が訪れるがこちら深光寺さまがスタート地点か最終地点になる。

馬琴翁と奥様であるお百さんのお墓。
馬琴墓
馬琴公は「蓑笠」(みのがさ)の別号が有るようにお墓にも「蓑笠」がのっている。

毎年のようにご紹介しているがお墓竿石の下の台石には家を形取った 馬琴翁の「蔵書印」が刻まれている。
蔵書印
いつも思うが江戸時代のデザイナーのセンスに驚く。

境内には滝澤家の歴代墓も、、
瀧澤家
墓石の上にお地蔵様がのる珍しいお墓。

ご住職によるとこのお墓も馬琴翁の発願で自らデザインしたとのこと。
自筆のお墓の図面が残っているようだ。
よくご覧になるとわかるが墓(四角の胴体部分)の左後角が欠けているが建立の時に石工が境内に運び上げたときに誤って落とし欠けてしまったとの事。
それを見ていた馬琴公は「いいよ、、」と仰り角が欠けたまま建立されたようだ。
その時の経緯は古文書にも残っているとお聞きした。
馬琴翁はお心がお広かったようだ。

寛政元年(1789年)に深光寺第八世上人が建立した「厄除観音塔」
厄除け観音


まずは御本尊様へ御挨拶
御本尊

午後1時からお説教の席を頂いた。

その後、午後2時からご部内寺院御住職方と共に法要が、、、
法要
私はお説教席のみで帰寺させて頂くので撮影させて頂いた。

転座をして施餓鬼壇の前で御住職による「表白」の奉読
表白
本日のお施餓鬼法要の趣旨を奉読される。
深光寺様の餓鬼壇(五如来壇)は古式に則り外陣の外の向拝に設えられている。

お施餓鬼法要はお檀家様のご先祖様の御回向だけではなく「三界萬霊」(有縁無縁を問わず御回向)にご功徳をおわけする法要でもある。

帰寺後、お土産で頂戴した金沢の「芝寿し」を頂戴した。
芝寿し
大好物、、、
箱にはさまれていたお寿司の由来を読むと元和年間(1615年〜)に京都の本阿弥光悦が金沢城を訪れ藩主前田公と共にこのお寿しをめでたと書かれていた。
私の寺(自坊)は元和6年の開創、、、、いやいや、、、、


御住職は趣味で養蜂もなさっており毎回「蜂蜜」を頂戴する。
御住職曰く、先年分蜂に失敗して新しく女王蜂や働き蜂を購入したそうだが搬入され置く予定の場所でない所で巣を開き境内の違う場所に移動すると働き蜂はGPSが狂い近くても自分の巣に戻れなくなるようだ。
専門業者さんから届き箱を設置すると蜜蜂は体内のGPSを修正する為に巣箱の回りのみを飛ぶとの事。
その後、遠方まで花の蜜を採りに出発するようだ。
自坊の境内にも蜜蜂が飛んできているがもしかしたら深光寺からの出張かも、、、、、
住職曰く、蜂のGPSは凄いと、、、、、
箱は二段にして上段へは女王蜂が上がれないよう金網があり上の巣には卵が生めず蜜のみの巣が形成されるとのこと。(小さい働き蜂のみが通れる金網のようだ)
帰巣してハニカムの中に運び込んだ蜜は水分が多いので羽で風を起こし水分を飛ばすとの事、、、
凄い!!!

蜂蜜
けなげで可愛いよ!と微笑まれていた。
頂いた蜂蜜の瓶詰め
ビンには「深光寺」のラベルが、、、、
まさに文京区産の蜂蜜。
若干色が違うが右は昨年秋採取の蜂蜜で左は今月採取の蜂蜜との事。
頂くのが楽しみ!!
 

お陰様で本日も無事勤める事が出来た。
明日は吉祥寺の友人のお寺でのお説教に出かける。

コメント
伊藤様
有り難うございました。
「馬琴日記」存じ上げませんでした。
貴重な資料有り難うございました。
澤蔵司稲荷にお詣り頂いたり萬盛さんのお蕎麦も召し上がっていたんですね、、、
お十夜説教の時には是非ご紹介しようと思っております。
まさに現在の文京区史跡巡り・文学散歩のコース通りですね、、、、、
本当にありがとうございました。
  • 住職・別当
  • 2015/05/25 10:20 AM
初めてお便り差し上げます。常日頃、楽しく、お書きになられる文章、拝読させて戴いております。書かれる深光寺さんのお十夜の席、供される馬琴汁に触発されて、深光寺さんを訪ね、馬琴汁のお話しをご住職様にうかがった事が懐かしく想い出されます。また、萬世さんが内装をお変えになる少し前の事だったと記憶しますが、貴寺境内にて、貴殿をお見かけした事も御座います。馬琴が暮らした神田明神下の家から深光寺さんまでを、当時の道を探しつつ歩いてみた時だったかやに想いますが、お声をひと言かけられなかったのが残念でなりません。以下のこと、お伝えして、早々に。ご存じの事でしたらお許しくださいませ。現存する滝澤家の日記、通称『馬琴日記』に記載される貴寺に関する抜粋です。

文政12年10月12日
今朝4時前より、太郎を携、お百、宗伯おみち同道ニて出宅、小石川伝通院内沢蔵主稲荷へ参詣。疱瘡願かけの為也。太郎こと、5歳より7歳迄之内に疱瘡軽くいたし候様、年限を以、立願。右疱瘡仕舞候迄、祖母毎月参詣のつもり。如例、蕎麦供し候ニ付、寺門前そばやへ申付おく。尚又、深光寺へ一統墓参。
夫より、雑司ヶ谷鬼子母神へ参詣。神前へ庭中樹木のざくろを献じ候ニ付、寺僧にゆだね、渡し候と告。夕7時過、一統帰宅。

文政12年11月12日
8時過ぎより、お百、深光寺に墓参。先、伝通院寺内沢蔵主稲荷に参詣。夫より墓参いたし、薄暮帰宅

文政12年12月18日 薄晴風少しアリ
昼飯後、宗伯、深光寺へ墓参。明十九日より浄頓様祥月によって也。
先、伝通院寺内沢蔵主稲荷へ参詣。月参宿願、母の代拝也。如例、蕎麦供献。夫より深光寺へ参る。

天保1年5月12日
昼八時前より、お百、深光寺へ年始墓参。先、伝通院沢蔵主稲荷へ参詣。如例そば献供。夫より仏参。

天保2年3月12日
八時過、宗伯、小石川伝通院寺内沢蔵主稲荷へ参詣。子供両人疱瘡願賽そば五ツ、はつほ十二銅献備。夫より、深光寺へ墓参いたし、夕七時過帰宅。

天保5年5月27日
昼後八時過より、お百、太郎同道にて深光寺に墓参。伝通院沢蔵主いなりへ、もり蕎麦献供。薄暮帰宅。

天保5年7月26日
朝飯後早々、お百、深光寺墓参。盆中小恙(しょうよう)に付、不為参詣、即、今日に及ぶ。成正様御命日なれば也。伝通院内沢蔵主稲荷へも参詣。四半寺過帰宅。

天保5年8月12日
八時比より、お百、深光寺へ墓参。予名代として、太郎同道。帰路、茗荷谷辺にてお秀に遇候よし。お秀も墓参りのよし。伝通院沢蔵主稲荷へ、如例、蕎麦切献供。夕七時過帰宅。

天保5年9月25日
八時比より、お百&#24183;ニ太郎同道ニて深光寺へ参詣。且、沢蔵主稲荷、牛天神、本郷観音へも参詣、薄暮帰宅。

天保5年10月28日
朝飯後より、お百、深光寺へ墓(ママ)、唯祥様祥月忌によりて也。昼九時過帰宅。

天保5年11月27日
昼前より、お百、太郎同道ニて深光寺へ墓参。夕七時比帰宅。今夕、お百感冒にて、はやく就枕。

天保5年12月23日
昼時、清右衛門より、使ヲ以、如例年、為歳末祝儀として、鏡餅一飾、塩引鮭壱尾、指越之。右之使、浅草山田や吉兵衛方へ罷越候間、帰路、又立より可申ニて、帰去。昼後又来ル。‐(略)‐此方より深光寺へ遣し候、山本宗洪白米一升、銭百文、鏡もち一備(ママ)、ふろしきにつゝミ、清右衛門方へ頼ミ遣ス。清右衛門、山本宗洪と一緒ニ深光寺へ可遣ため也。又、沢蔵主稲荷へ献供そば代、十一月、十二月分、三十二文、尚又清右衛門方へたのミ遣ス。





  • 伊藤 茂
  • 2015/05/24 12:47 PM
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