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参道「手水舎」

先ほどもお伝えしたが明日は表町町会主催のムクノキ祭り。

境内にも屋台が出店されるとのことで参道の「手水舎」を改めてご紹介。

 

以前にもお伝えしたが 澤蔵司稲荷  参道右手の手水舎。

 

実は傳通院の十一間四面の本堂は明治41年12月3日夕方出火。

当時の新聞では第四消防署(現在の小石川消防署)や二番組消防手により懸命な消火に努めたが残念ながら本堂は全焼、庫裏の大半も焼失。無事だったのは山門・鐘楼のみで有ったと報じられている。

 

その後、 澤蔵司稲荷 に一人の宮大工が現れ「酒と飯」を毎日提供するならば傳通院本堂の火を被ったが焼け残った木材(欅材)で手水舎を建てるとの申し出が、、

二年間を費やし明治43年に完成と伝わる。

確かに手水舎の水盤には明治43年と刻されている。

 

傳通院 本堂は享保年間に二回大火に遭っている。(伝通院HPより)

明治41年までの本堂は享保10年(1725年)に再建された。

現在の水舎の欅材は292年前の建築当時の建材。

 

01

お陰様で昭和20年5月の大空襲でも焼けずに現存。

ただ7年前の東日本大地震で各部に緩みが、、

屋根も傷んでいたので先年の本堂改修工事の時に合わせて屋根瓦を全部取り払い正面の広小舞(見切り)や破風部分等は木材も新調して修復。

ご覧になりにくいが庇(ひさし)小舞の下の二層垂木(たるき)の間隔も遊び心満点。

 

屋根の重さに比べ4本の柱が細いのでジャッキアップをして耐震性を高めるために基礎工事も、、

柱下部には正面を除き同じく欅材で補強。

 

先日から正面左右に、、、

1

 

2

 

手拭いの名前や纏からどなたの奉納かは直ぐに分かった。

粋な計らいに感謝。

(5月20日 追記)

 先程、二番組(な組)の頭(副組頭)がお出でになったのでお聞きしたら正式には「招き手拭い」と称する奉納手拭いとの事。

 御殿町組頭が永楽家(三区)と下町(六区)の組頭と共に染め上げたとの事。

 

 

手水舎正面虹梁の上の蛙股部分には特殊な彫刻が、、

3

 

太田道灌公が鷹狩りに出かけ強い雨に、、

近くの農家を訪ね「箕傘」の提供を依頼すると農家には「箕傘」が無く娘さんが替わりに「山吹の花」を。

歌と共に、、  「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき」

その場面の彫刻が、、

 

実は当稲荷には太田道灌公の念持仏とされる十一面観音様が御神殿のお厨子に安置されている(非公開)。

 

当時、建築に携わった宮大工さんはご存じでこの彫刻を、、、

よくご覧頂くとその情景がおわかり頂けると思う。

 

また手水舎の他の三面にも獅子が牡丹の花と戯れている彫刻が、、

 

北側(左側)

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東側(裏側)

7

 

南側(右側)

8

 

四方の木鼻

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固い欅材に細かい彫刻まで、、、 

本当に宮大工さん、お一人の作業だったのか、、

 

修復の時に全て水洗いをして面取りも白の顔料で塗り替えた。

 

昨年2月2日のブログ

  http://blog.takuzousuinari.com/?day=20170202

        この手水舎や常夜灯のご説明もある。

 

それほど大きな手水舎では無いがゆっくりご覧頂きたい。

 

 


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