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光圓寺 十夜法要 説教席

本日は自坊からほど近い光圓寺様へ。

しかし同じ東京教区豊島組でも部が異なる。

 

先代住職も長い事お説教にお邪魔していた光圓寺様のお十夜法要。

私も毎年、午後一時からの説教席を頂戴している。

 

境内には学校法人として明照幼稚園が併設されている。

何を隠そう私もこの幼稚園の卒園生。

私の3人の子供達もお世話になり当時私は足かけ10年ほどPTAの会長も務めさせて頂き楽しかった思い出が、、、、

 

山門を入ると新園舎が、、

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本日は土曜日で幼稚園は休園日。

 

私の子供達がお世話になっていた当時の新園舎も健在!

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子供達が在園中はバザー等でも賑わった懐かしい園舎。

 

光圓寺の歴史(寺歴)は古い。

 

江戸時代の「文政寺社書上」では奈良時代の天平13年に行基上人が東国巡錫の時にこの地で自ら彫った薬師如来をご本尊に堂宇を建立して開山したと記されている。

その後、真言宗の寺となり浄土宗の第七祖聖冏上人が中興し浄土宗に改宗して光圓寺になったとも記されている。

ただすぐ近くの播磨坂・極楽水に壽経寺を開山したのは応永22年(1415年)

光圓寺様の歴史では応永年間とあるだけなのでどちらが先だったか私は不知。

既にこの極楽水には応永15年(1408年)に小石川談所(学問所)が存在していた事は分かっている。

どちらにしてもおよそ600年前、壽経寺とどちらが古いか興味が有るところ。

 

その行基上人が開山した時にお手植えされたとされる「公孫樹」(いちょう)は上記の文政寺社書上でもとても大きな樹齢1000年を超す立派な公孫樹(いちょう)が境内にそびえると記されている。

戦前の小石川区史でも同様に記されている老樹。

その為、光圓寺は通称「イチョウ寺」とも呼ばれていた。

 

残念ながら昭和20年5月の山手大空襲で堂宇共々焼失、、、

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大変な巨木、、、現在は危険が無いように養生されているが、、

しかしその脇から新しいイチョウも元気に成長している。

 

幹の後ろ側

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70数年前とは言え未だに生々しく焼けたあとが残っている。

中が空洞なので私も幼稚園時代はその中に入って遊んだ思い出が、、、

現在は竹垣で入れなくなっている。

 

御本堂

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右手前は書院・庫裏を兼ねた「和順庵」

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法然上人の大師号からお付けになった?

大正時代開園の明照幼稚園の名称は間違いない、、、

 

本堂脇には園児達がキュウリやトマトを育てる畑も冬に向けて休耕中、、、

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御本尊様へご挨拶

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私の席のあと午後二時からお十夜の法要が、、

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私は法要開始を見届けおいとま、、

 

幼稚園でも寺院関係でも親子三代に亘る有り難いご縁。

もうすぐ孫が入園させて頂くと四代、、、、(外孫がお世話になっているので既に四代だが、)


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