謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。

澤蔵司稲荷の大晦日「越年大護摩供」も無事に滞りなく厳修することが出来きました。

澤蔵司稲荷は傳通院や小石川の鎮守として江戸時代から地元はもとより東は神田・上野方面の商売をしている旦那衆や町屋の商売繁盛、あるいは板橋・練馬方面の五穀豊穣を願う農家の方々の御信者様が多かった。

現在のように電車や地下鉄は終夜運転、車でお詣りの方々も多いので午前3時頃には一段落をするが昔は「越年護摩」終了後は多くの御信者様が書院でいくつものコタツでお酒を飲んだり仮眠をして朝の始発電車まで座敷で過ごされていた。

昨晩の大晦日、恒例の越年・新年護摩お待ち受けの為境内のライトアップ

1

 

ライトアップされた本堂向拝の唐破風

2

一昨年の本堂改修修復工事でくすんでいた向拝の彫刻等には白色の顔料で復元され漆喰壁と共に綺麗だった。

 

午後11時50分過ぎから澤蔵司稲荷本堂では「越年の護摩供」
まず108打の太鼓での越年。

その後、新年護摩修行


本堂は御信者様で満堂。

12

 

11

 

13

 

参道お詣り

 

本年初めて霊窟(お穴さま)までライトアップを試みた。

14

午前2時半頃までお詣りの方々が続いた。

その後、ライトアップを落として仮眠。

 

明けて早朝の朝勤行を済ませ午前9時からは本坊傳通院で修正会の法要へ。


我が家は四角い切り餅を焼いたお雑煮。急いで頂かないと行事に間に合わない、、、


1


書院玄関
2


山内寺院住職が集まり修正会(新年の別時法要)

3

 

その後、山門前の大黒天(福聚院)さんへ

10

 

大黒天(福聚院)

11

 

6

大黒天様
大黒天
御尊像は60日毎の「甲子祭」と新春のみ御開帳。
尊像は文京区の指定文化財にもなっている。

4

御住職から特別に許可を頂き撮影。


大黒天(福聚院)は傳通院正面の鎮守。

 

12

法要後、「屠蘇」のご接待を頂き自坊の傳通院鎮守・澤蔵司稲荷へ

 

13

 

澤蔵司稲荷稲荷での御祈願後に山内寺院の「修正会」はお開きとなった。

 


その後は澤蔵司稲荷での御信者様の初詣のお詣りが続き午後5時半頃向拝の結界を閉じた。

 

多忙で境内の元旦の様子等は写真に収める事が出来なかった。

 

ご参拝各位の本年のご多幸ご健勝、心願成就を祈念、

 

 

 


今晩は越年大護摩厳修

この時間になり今晩 大晦日の越年大護摩や新年のお待ち受けの準備・設えも整った。

 

毎年のご報告より遅くなりましたので写真のみで恐縮ですがアップさせて頂きます。

 

1

 

松飾りは上部の三本の竹は節目から水平の寸胴ではなく斜めにした「へぎ」と呼ばれる飾り。

2

 

手水舎にも新しい注連縄。

3

 

江戸町火消「な組」木遣り塚

4

 

5

 

本堂内の木遣不動尊前に奉安してある元・な組(現在の江戸消防記念会第四区二番組)の纏にも二寸の輪飾りが、、

6

午前中に筒先・道具中がすす払いをして飾って下さった。

来春6日の東京消防庁出初め式では第四区が中心に生放送されるようでこの纏も出陣予定。

NHKで午前11時から放映予定。

お見逃し無く!

 

木遣不動尊

7

 

御本尊前も護摩壇はまだだったが一枚撮影

8

 

今晩の大晦日は午後11時45分頃から百八の太鼓を叩きその後、越年護摩厳修予定。

 

お札様、お守り様等の準備は完了しておりますのでお護摩後にお受け取り頂きますようお願い申し上げます。

 

本年も稚拙なブログにお付き合い下さり有り難うございました。

 

皆様方におかれましては素晴らしい新年をお迎えになられますよう祈念申し上げます。

 


大晦日 越年大護摩厳修のお知らせ

師走は副住職は大本山増上寺での傳宗傳戒道場の道場係で本日まで3週間泊まり込みで不在。

 

様々な準備が遅くなってしまった。

 

昨日、例年の越年大護摩厳修のお知らせをを御信者様には送りしました。

10

お札様、お守り様等例年通りの御信者様には事前にご用意させて頂き大護摩供で御祈願させて頂き御授与できます。

 

元旦以降の初詣ではご希望で御授与出来ますので御本堂でお申し出下さい。

 

尚、元旦は午前九時から傳通院で修正会のお詣りがあり大黒天のあと戻る予定ですので一時間半ほど私のみ不在となります。

 

諸行事は例年通りですのでご遠慮なくお詣り下さい。

佳いお年をお迎え下さい。


東京教区豊島組礫川部 お別時&部会

以前からお伝えしているように浄土宗東京教区には島嶼部を含み430余ヶ寺の寺院が所属している。
島嶼部を除き10の組に分かれ豊島組は70ヶ寺。

更に6の部に分かれ慈眼院は礫川部に所属して10ヶ寺で構成されている。 
礫川部は毎月25日(浄土宗宗祖法然上人の御忌日)前後に所属寺院輪番で部会が開かれる。

今晩は本年最後の部会で会所(会場)は傳通院

1

本年最後の部会はお別時会と納会も有るので午後5時集合。

 

書院玄関

2


まず、午後5時から「お別時」の法要。

3

丈内の僧侶と共に御忌日とお別時のお勤め。

 

終了後の御本堂

本尊阿弥陀如来様

3

 

左脇侍には法然様

4

 

右脇侍には善導大師さま、壽経寺開山聖冏上人(繊月禅師)像と一番右は

於大の方「傳通院殿蓉誉光岳智光大禅定尼」のお位牌

5

 

お別時前に書院で恒例の部会。

部会後には本堂下の講堂での一年間の慰労の納会でご馳走になり午後8時頃に散会となった。

 

滞りなく本年最後の部会も終わった。

 


第32回 「深大寺そばを味わう集い」

澤蔵司稲荷とはお蕎麦に繋がるご縁で毎年クリスマスイヴの12月24日には調布 深大寺で開催される「深大寺そばを味わう集い」に御案内を頂いている。
深大寺(天台宗)貫首は大学時代の一年後輩だが様々なご縁をいただき毎年お邪魔をしている楽しく美味しい集い。

これは境内門前の蕎麦屋さんが主催する集いでは無く深大寺に所属する「一味会」が毎年様々なご苦労で我々に提供して下さっている集い。

本年で32回目。


午前11時半から蕎麦献納法要開始の御案内だったので午前9時40分頃に本郷・本駒込方面の仲間と南北線「後楽園駅」ホームで待ち合わせ11時少し前に深大寺に到着。

市ヶ谷駅で京王線直通に乗り換え調布駅(本日はつつじヶ丘駅)まで遠いようだが乗車時間は40分足らず、、、

山門前の参道。 門前の多くの蕎麦屋さんもまだ準備中だった。

1

 

深大寺山門

2

 

お蕎麦屋さんも蕎麦まんじゅう等のお土産の準備で多忙、、、

3

暖かそうな湯気が、、、


御本堂

5

 

昨年3月に寺宝の白鳳時代の釈迦如来像が国宝に指定された。

 

境内参道脇の手水舎

6

初詣に備え階段もスロープに、、、

 

会場となる書院玄関

7


数年前から御本堂で御本尊前にお蕎麦をお供えする「献蕎麦」の法要もお勤めになられ参列。

8

 

打ち立てのお蕎麦の御奉納

9

 

献蕎麦作法

10

 

11


朱色に塗られたお三宝にはお蕎麦
献蕎麦

 

御本尊様

9


「献蕎麦」法要後、正午前から深大寺書院で「深大寺そばを味わう集い」開宴。

真っ昼間から蕎麦前の一献、、、  ごめんなさい、、

12

毎年、ご苦労されている「深大寺 一味会」による先付けは岩魚の燻製、いくらのおろし、カボチャの天麩羅。

漬物も自家製。

新酒「浮岳」は深大寺の山号に因み命名され一味会会員の臼井正樹氏による埼玉の蔵元での非売品。

13

 

地元の名士を始め様々な方の楽しいスピーチも、、

昔、私も突然のご指名を頂いた事が有った。

 

書院と続いている厨房をのぞかせて頂いたら大変なご苦労が、、、

16

お蕎麦を出すタイミングを合わせ総動員、,本当に有り難うございました。

 

14

もう一枚のお蕎麦は福島県川内村の新蕎麦でこれも美味しかった。

 

毎年の事だが楽しい時間を過ごさせて頂いた。
本日のクリスマスイヴも真っ昼間から深大寺書院で一献かたむけながらの蕎麦三昧、、、
 

毎年最後の恒例行事、、、、、ご馳走様でした!!! 堪能!! 

 

有り難いご縁、、 

私は一年に果たして何杯お蕎麦を手繰らせて頂いているのか、、 感謝
 


冬至

境内のモミジもやっと本格的に色づいた。

本日は小雨も降ったが綺麗なので思わず、、

1

本年、都心部は昼夜の寒暖の差があまりなく紅葉前に枯れてしまうかと思っていた。

今頃の紅葉なのでこのまま年越しの可能性も、、、、

 

本日は二十四節季の「冬至」

今晩は柚子湯に入られたお宅も多かったのでは、、

 

お陰様で我が家でも毎年。

1

 

先ほどお風呂に、、

私は若い頃から冬至の晩の柚子風呂では湯船に入っている柚子をグチャグチャにして身体(肌)がヒリヒリするほど堪能した。

勿論、香りも、、、

 

最近まで続いていたが数年前からお風呂が汚れると禁止命令が、、、、

 

果たして、、袋に入った柚子がたった一個(^_^;)

3

しかし先ほど柚子湯を堪能。

 

普段、私は烏の行水で短時間の入浴なのだが今晩は少し長めに、、、

 

でも内緒で絞った、、(^_^)

 


「住職の独り言」ブログを開設して丸13年

今月でこの「住職の独り言」と題する稚拙なブログを開設して丸13年が経過した。

 

思い起こせばあの頃に私と同じ団塊の世代が退職を迎え出した頃。

同時にネット環境も一般化してデジタルカメラも普及。

散歩・散策の方々も増えご自身で散歩記録をブログにアップしだした頃だった。

自坊の寺院名や稲荷名で検索をするとかなりヒットして失礼ながら若干的外れのコメントも目につきだした、、

 

ちょうどその年に江戸時代に構築され緩みが生じ危険な状態になった公道に面する石垣の緊急解体修復の工事が始まった時。

 

その進捗状況や自坊や地域からの発信をしようと開設したブログだった。

 

石垣解体修復工事の支障になる樹木の伐採から日々解体され再び積まれていく工程は変化に富み毎日のようにアップをした。

 

その後も様々な修復工事や関係ご寺院での法要や行事、御縁のある方の慶事、弔事、お説教席も頂いていたので続けることが出来た。

たまには趣味や友人達との懇談や食事の席での話題で脱線することもあったが、、、

また宗祖法然上人の800年御遠忌大法要、東日本大震災、大きな水害や地震、、 大切な方とのお別れ、、

13年はあっという間、、 開設したときは還暦前だった。

 

このブログをアップする前に管理者ページで確認するとアップした数は13年で3588件、使用した写真は12133枚超。

お陰様でご覧頂いている皆様の応援で続けられた。

日々の閲覧数を見ると驚くことも、、、

 

最初のテーマはお伝えしたように石垣工事。

11

終わってみれば元通りの工事。

確か1500個ほどの間知石(四角錐の石)を解体して再度組み直した。

上部の玉垣は国産小松石で新しくした。

 

江戸時代構築の証。レリーフは空襲で火を被らなかったので石工さんが苦労して新しい玉垣に組み込んでくれた。

12

延岡藩寄進の階段脇の玉垣に組み込まれたお狐さんのレリーフ。

当時、延岡の教育委員会に寄進者のお名前が刻まれていたので問い合わせをしたが同じ名前の方が家系に何人かいらっしゃるとの事で年代は特定出来なかった。

 

本堂も3年ほど前に修復・耐震工事を、、

19

築60年ほど経っていたので大変な作業になってしまった。

回り廊下や高欄は無垢の檜材で、、

屋根瓦も葺き替え天井裏や床下には耐震の工事も。

 

同時に参道手水舎も、

14

昭和20年の山手大空襲でも焼けなかったので基礎部分を強化。

水舎も瓦屋根は葺き替え腐食部分は新しく補修した。

 

一昨年、ご縁が有る江戸町火消「な組」の木遣塚も、、

15

昨年、塚の真棒の両脇に観音菩薩・地蔵菩薩も建立された。

 

鎮守の杜(保護樹林内)のお穴様の朽ちていた霊窟のお堂、鳥居も新設。

崖地も整備。

17

 

18

 

再び参道に戻るがユニークな石仏

16

「寛文九年 1669年」と刻まれているので多分、庚申塔では、、

近くには「天和三年 1683年」の観音菩薩を主尊とする庚申塔もある。

江戸時代、350年ほど前は一番庚申信仰が盛んだったとされる頃。

 

昨年の本堂改修修復工事と共に境内の整備をしたが大変貴重な「板碑」も見つかった。

 

===============================

昨年8月14日のブログより

 

板碑は鎌倉時代、南北朝、室町時代の戦乱の時代に武士の間で戦で亡くなった仲間の追善や自身を含め家族の安泰を祈念して奉納されたものと伝わる。

 

様々な御縁で教育委員会の学芸員の方がお持ち帰りになり本年1月下旬に鑑定結果がでた。

 

鑑定結果と共にお持ちになった学芸員の方からは古い物なので風化防止、盗難防止の為に室内保存をとの御進言。

 

1

 

将来、記録として発刊される区内文化財の書籍に記載されるようだが、、

 

簡易の鑑定書

2

 

3

 

ご説明では 澤蔵司稲荷 の東の低地には千川(谷端川)に沿って街道が有り間違いなくこの境内に奉納されたと、、

ただ江戸の大火や空襲等の火災で昔の姿で現存する物は文京区では少ないと、、

 

不思議な事に古い方は浄土宗第七祖聖冏上人がお生まれになった年。

 

二基目の板碑は太田道灌公が永享4年(1432年)にお生まれになった7年後の永享10年(1439年)

 

太田道灌公は「山吹の里」でも有名だが江戸城の前身である千代田城築城を長禄元年(1457年)に始められ築城中に乾(北西)の方角に光をご覧になり稲荷を建立したとある(現在の武道館付近)。

 澤蔵司稲荷 の御神殿・お厨子には太田道灌公の念持仏と伝わる十一面観音菩薩像も奉安されている(秘仏・非公開)

 

この二基の板碑はあの戦国の時代、聖冏上人が小石川談所、後の壽経寺の開創、お弟子の第八祖聖聡上人の増上寺建立を目撃された。

 

 

太田道灌公に纏わる境内・手水舎と以前の板碑のブログをご紹介。

 

===============================

 

2017年2月22日のブログ

 

昨年4月に境内の整備中に発見され1月末に区の教育委員会文化財係の学芸員の方が鑑定書と共に自坊に戻ってきた「板碑」

 

板碑

包装された紙にも拡大した鑑定結果が添付されていたので本堂でご覧いただいた。

 

右は「暦應4年」(1341年)北朝時代(南北朝時代)

左は「永享10年」(1439年)室町時代初期の造立と判明。

            室町時代は應永(1394年)から、、、

            その後、応仁の乱も終わりまさに戦国時代へ、、

 

不思議なご縁で暦應四年(1341年)は浄土宗第七祖聖冏上人がお生まれの年。

 

聖冏上人は浄土宗が東国では「遇宗」「不庸宗」と呼ばれ我こそはと群雄割拠の時代に現在の浄土宗の宗脈・戒脈を整えられ五重相伝も確立された。

應永22年(1415年)現在の播磨坂付近の極楽水に傳通院の前身である壽経寺を建立する前に既に「小石川談所」として草案を建立。

小石川談所は壽経寺の建立の10年以上前にさかのぼる、、

 

今回、慈眼院・澤蔵司稲荷から見つかった二基の「板碑」は小石川談所、壽経寺建立、増上寺建立とあの時代を全て見守っている、、

 

670年ほど前の戦乱の時代に建立され鎮守の杜に守られ江戸の大火、関東大震災、昭和20年の空襲でも焼けずに残ったことに感謝。

 

申し訳無いが学芸員の方からも境内では風化や盗難等の事もありしばらくは非公開なのでご了承願いたい。

 


 江戸消防 第四区「新年の式」「大盃の儀」 稽古

昨晩から江戸消防記念会第四区の新年の「大盃の儀」の稽古が自坊で始まった。

 

本日、新年10日の椿山荘でのご案内も頂いた。

 

本番さながらに第四区に伝わる輪島塗の酒器を使い稽古。

 

稽古前にご無理を申し上げ写真を撮らせて頂いた。

 

1

 

2

 

3

 

4

 

5

 

6

 

稽古前のリハーサル

7

 

====================================

以下は本年1月10日、椿山荘 錦水での「新年の式」「大盃の儀」のブログ

 

本来は我々の修行の密室道場のような儀式で公開していないのだが毎年我が儘を申してブログにアップさせて頂いている。

感謝

 

 

本日は例年通り正午頃に目白の椿山荘に向かった。

日頃、お心遣いを頂いている江戸消防記念会第四区の頭取「新年の式」「大盃(おおさかずき)の儀」が「椿山荘」で挙行された。
毎年御案内を頂き出席させて頂いている。

椿山荘で唯一和室の大広間がある庭園内の料亭「錦水」が会場。

建物の廊下経由でも錦水には行けるが晴天だったが風の冷たかった庭園内を散策して。

庭園内の三重塔。
大正14年に藤田平太郎氏が広島県・竹林寺から三重塔を移築した。
現在は国の有形文化財に指定されている。
周りの樹木は「雪釣り」の冬の姿だった。

1

雪景色の時にも是非訪れてみたい。


椿山荘は江戸時代には久留里藩黒田家の下屋敷だった。
明治10年山縣有朋公爵が屋敷として元々の「つばきやま」を「椿山荘」と命名した。
 

会場の錦水近くにある「椿山荘の碑」
4

 

庚申塔

2

説明板を読んだら自坊境内の庚申塔と同じ寛文9年(1669年)で同い年だった。

ちょうど庚申信仰の盛んだった頃。

 

お隣は羅漢石

3

大正14年に京都伏見の石峰寺から移設安置されたようだ。


椿山荘 庭園内 料亭「錦水」の玄関

5

毎年だが年番(本日、担当する)の筒先・道具中が寒い中お出迎え。

今年の年番は三番組・八番組とお聞きした。

 

ご来賓で第四区管内、消防庁第五方面消防本部長や小石川、本郷、池袋、神田、豊島消防署長等々もお見えになっていた。

勿論、毎年国会議員・都会議員の顧問の先生方も、、、

第四区は様々な神社仏閣ともご縁が有るのに毎年私だけにご案内を頂いている事に感謝。

午後1時から錦水 大広間で開式の「口上」と「大盃 おおさかずき」の振る舞い。

この儀式は畳敷きの大広間でなくては出来ない。
6
まずは年番(第四区は10組有るので輪番でその年の担当が決まっている)からの口上に続き「大盃」(おおさかずき)が振る舞われた。

 

7

まずは小宮江戸消防記念会名誉会長(元 消防総監)と第四区高柳総代に大盃が、、

8

 

続いて来賓から下座へ

9


実はこの儀式は一般公開もなく門外不出の新年の習わし。

江戸時代にはいざ火事の場合は組頭に忠誠を誓う作法(儀式)として始まった。

 

神聖な儀式であるがこの江戸時代から続くしきたりを是非ご紹介したく毎年、自席から撮影させて頂いている。

 

若い衆の緊張した凛々しさに次世代を期待!

右側は一番組から五番組、左側は六番組から十番組の頭取中が組頭から順番に並んでいる。

大盃が上座から一巡したあと一旦大盃は納められ祝いの「白扇」が、、
10

我々、浄土宗での慶事の時には「朱扇」を携えて行くので二本になってしまった。

式中のご挨拶では持参した朱扇を持つ。

その後、祝いの木遣りの奉唱
11


「新年の式」「大盃の儀」のご挨拶が第四区総代から。

12

床の間には昨年新調され 澤蔵司稲荷 で入魂式を厳修した第四区の「大旗」も飾られ輝いていた。

 

小宮江戸消防記念会名誉会長(元・消防総監)から祝辞

13

 

ご来賓で記念会第四区管内、消防庁第五方面消防本部長や小石川、本郷、池袋、神田、豊島消防署長等々もお見えになっていた。

代表して消防庁第五方面消防本部長の祝辞

14
 

顧問の先生方に続き私も新年の改めてのお祝いと御礼を申し述べさせて頂いた。

 

その後、納めの大盃が下座から逆に振る舞われた。

15

被着している年番(本年担当)の筒先中の袢纏は「大四」の文様。

各組にはそれぞれデザインの異なった総型袢纏もあるが多分この袢纏はこの式の時だけかも、、、

左右、同じ所作で同時に進行しなければならないので静まりかえった座敷で畳に足と膝が擦れる音と三宝に大盃を戻される時の小さな音のみが頼りで大盃の儀が進行する。

さぞ緊張することだろう。

 

滞りなく名誉会長と第四区総代に大盃が納められた。

16

我々も新年の大盃と納めの大盃と二回頂くことになる。
 

この儀は江戸時代から続きいざ火事の場合は組頭に命を預け忠誠を誓う神聖な儀式。

 

10

 

立派な輪島塗の酒器

30

 

33

大盃を修める三宝にはそれぞれ一番組から五番組、六番組から十番組の纏が描かれている。

 

大盃の儀も無事、円上。

 

一度退席して控え室へ。

祝膳の支度が調ったところで再び大広間へ、

 

池袋消防署長の祝辞と乾杯の音頭

17

 

乾杯のあと祝膳を頂戴した。
18
 

19


20
祝宴では私の左には名誉会長(元、消防総監)、右は神田消防署長さんと同席でいろいろとお話しを伺う事が出来た。


和やかな中に目出度く3時半過ぎに木遣親聲会会長の謝辞と手締めでお開きとなった。
21

 

本年の江戸消防記念会のご活躍と地域の安全を祈念。

特に本年は江戸町火消創設300年と明治になり市部消防組結成150年の勝縁の年。


尚、来る1月21日には澤蔵司稲荷本堂で「筒先中・道具中」の「大盃」の儀が予定されている。
昨年のブログ   
http://blog.takuzousuinari.com/?day=20170114


「筒先・道具中」は各組の「小頭」より若い衆。
江戸消防記念会では準会員になるが澤蔵司稲荷御本堂で護摩供後に「大盃の儀」が執行されるが御信者様でもご覧頂く事は出来ない。
ご了承を、、、、
 


浄土宗東京教区豊島組「別時念仏会」

浄土宗東京教区(約430ヶ寺)の豊島組(70ヶ寺)では毎年6回ほどご縁の有るお寺を会所(会場)にして教化分団が企画をして別時念仏会を開催している。

 

特に宗祖法然上人の八百年大遠忌記念五重相伝や授戒会のあとはご縁の有る方が多く参加されるようになった。

 

平成三十年の最後のお別時会の会所は傳通院で午後3時から開催。

 

その後、本年は澤蔵司稲荷別当寺である当院で護摩供のリクエストがあった。

 

傳通院でのお別時の念仏会のあと午後3時半過ぎに参加の皆様が澤蔵司稲荷本堂に、、、

この本堂では普段一切年会法要のような御法事はせず祈祷道場。

 

本日は二十四節季の大雪で暗くなるのも早くなったので護摩の準備をしてお待ち受けをした。

 

御到着後すぐに護摩供を厳修。

1

 

副住職は増上寺での傳宗傳戒道場の道場係で出かけているので太鼓は八木分団長にお願いをした。

ぶっつけ本番。

 

参列の皆様も用意された般若心経をご覧になりながら護摩と太鼓に合わせ読誦下さった。

 

2

 

普段はお念仏なので間近に護摩供を体験された方はお一人も、、、

 

護摩供のあと別当寺の存在や先年発見された板碑、稲荷蕎麦萬盛さんからの奉納のお蕎麦のご説明。

江戸名所図絵をご覧頂き伝通院の江戸時代の寺領・塔頭寺院、学寮の説明等も、、

3

 

薄暗くなり始めたので境内やおあな様の霊窟等を急いでご案内した。

4

 

ご参加の皆様、教化分団の役員様もお疲れさまでした。

 

 


江戸町火消「元六番組」「元六睦」月例会

毎月、お伝えしているが江戸時代に江戸町火消し「六番組」であった「元六番組」「元六睦」の月例会。

六にちなみ毎月六日に澤蔵司稲荷書院で開催されている。

本日は生憎の雨模様だったが午前9時半の開式だった。

 

所属、元・六番組の頭取中(組頭・副組頭・小頭) が集まる。


江戸時代の町火消しの組織「いろは四十八組、本所深川十六組」は明治時代になり明治5年に「市部消防組」として改編。

その後、近代消防に移行したことに伴い江戸時代の火消しの文化・伝統等を継承する為に江戸消防記念会の前身組織が明治後期に組織された。
現在の「一般社団法人 江戸消防記念会」は 全体で11の区で組織されている。

 

 

小石川の地元は現在、江戸消防記念会第四区で二番組だが江戸時代には六番組「な組」として町火消しを担っていた。
その江戸時代の「六番組」はその組織を継承するために現在でも「元六番組」「元六睦」として現在の江戸消防記念会第四区とは所属がダブる組とダブらない組もあるが受け継がれている。
第四区では「な組」(現・二番組)「む組」(現・七番組)「う組」(現・二番組)が所属。
第三区と第九区の一部が近年復活して組頭・副組頭・小頭等30名ほどの頭取中がお集まりになるので書院も手狭、、、
 

我々は会議での開式・閉式はお十念だが頭取中は開式は「お手がしら拝借」の一本締めで開始される。

本日は平成30年の納会とのことで全員で木遣りを奉唱して一本締め。

1

 

一ヶ月間の報告や御礼、昇進のお祝い等が、、、

その後、会長から先月25日に盛大に開宴された「江戸町火消創設300年記念式典」の御礼や慰労の挨拶等が、

2

 

一本締めで閉式。

3

 

その後、各区が集合する目黒・祐天寺へ向かった。

4

 

5

袢纏の腰の部分の白抜きの本数で何区か識別できる。

第四区は四本、第三区は三本、第九区は九本。
奇数の区は直線で偶数の区は曲線で波打っている。

 

毎月お疲れ様です。

 

先月の江戸町火消創設300年記念式典のブログ  http://blog.takuzousuinari.com/?day=20181126


電気ブロアー 出動

師走に入り自坊やその他の行事で多忙な為に境内の落ち葉の掃除もままならず、

 

毎朝、勤行の頃に篤信の御信者様数名の方が参道の落ち葉の掃除をして下さっている。

本当に有り難いと感謝。

 

昨日、日本各地では12月に25度Cを越える夏日を記録したと報じられていた。

都内でも24度Cほどの暖かさだった。

 

しかし南風も強く午後の庭掃除は出来なかった。

南風だったのでケヤキや椋の木の枯れ葉は北側のお宅にも飛びご迷惑をおかけしたのでは、、

 

本日午後、少し時間が出来たので電気ブロアーで植え込みの中の落ち葉を掃除。

1

 

20年ほど前から植え込みの中は竹箒で掃くと苔を痛めるので電気ブロアーで落ち葉を吹き飛ばしている。

その為に境内の庭園灯には全て100Vの電源が取れる外部コンセントを設置して利用している。

春の桜や紅葉のライトアップ、木遣り親聲会の梯子乗り稽古の照明にも便利に使っている。

エンジン式のブロアーもあるのだが音がうるさくメンテも大変なのでこの電気式のブロアーを愛用。

既に3台目か、、、

 

昨年のブログを見たが既に今頃はモミジの紅葉が綺麗でライトアップをしていた。

本年は都内の昼夜の寒暖差があまりないようで紅葉もまだまだ、、、

うっかりすると茶色に枯れて落葉してしまうかも、、

一部は綺麗に赤く染まっているのだが。

 

もう2〜3日様子を見たいと思う。


江戸町火消 創設三百年記念式典

昨日は午後3時から芝のプリンスパークタワー東京で江戸消防町火消 創設三百年記念の祝宴が開催された。

 

浄土宗大本山増上寺八木御法主台下にも御隣席賜るとお聞きしていたのでお出迎えの為に午後1時半頃に自坊を出発。

 

江戸町火消はちょうど300年前、享保三年 八代将軍𠮷宗公の時代 時の町奉行 大岡越前守忠相公により火災の多かった御府内の自衛・自治の為に「江戸町火消」が制定された。

よくお聞きすることがお有りと思うが「いろは四十八組」 

翌年には本所・深川方面に十六組が生まれた。

 

祝宴は御来賓を含め1300名を越える大パーティーだった。

 

午後3時開宴

木遣りにより特別来賓のご入場

1

 

都知事が公務で遅くなられた為に会長の開式、主催者挨拶のあとは徳川家とご縁が深い増上寺八木御法主台下が御祝辞

2

 

祝宴半ばで小池都知事の祝辞

3

 

木遣り奉唱

4

 

清興の新内

5

 

花魁道中

6

 

7

 

廊下には江戸時代の火消しの道具等が、、、

8

 

纏振り

9

見慣れた第四区二番組(な組)の纏も、、

 

天井が高いので出初め式でも使う三間半の本梯子六基で演技

10

第四区(だいしく)の梯子

 

11

 

中〆  木遣りのあと一本締め

12

頭取中は役袢纏を被着の為に直ぐに見分けがついたが筒先・道具中はそれぞれの所属組独特(デザインがまちまち)の総型袢纏の為に探すのが大変だった。

 

指揮を執る総代方は前日から泊まり込み。

地元(第四区)の筒先・道具中は自坊境内に午前6時に集合して纏や本梯子を車に積み込み出陣。

 

広い会場の設営やリハーサル等でお疲れになられたのでは、、、

素晴らしい祝宴だった。

ご苦労様でした。

 


江戸消防第四区木遣親聲会 梯子乗り・木遣り稽古 千秋楽

11月16日に始まった江戸消防記念会第四区木遣親聲会の梯子乗りと木遣りの稽古も今晩千秋楽を迎えた。

 

例年は来春の東京消防庁出初め式に向けて本日頃に稽古が始まるのだが明後日25日に芝パークタワー東京での江戸町火消三百年の記念式典でのお披露目も兼ね一週間ほど早く始まった。

 

先日のブログ  http://blog.takuzousuinari.com/?day=20181116

 

本日は新嘗祭(勤労感謝の日)で満月。

2

 

午後7時過ぎには足場パイプで固定された稽古梯子でウォーミングアップ

1

 

その後、稽古の成果を頭取中(組頭・副組頭・小頭)に披露

3

 

お月様は雲に、、、、

 

4

 

5

 

その後、本堂で木遣りの奉唱

6

 

怪我もなく無事に千秋楽を迎えられた事に安堵。

 

25日の江戸消防発足300年の記念式典が楽しみ。


今晩から江戸消防第四区 木遣親聲会の梯子乗りと木遣りの稽古

今晩から(一般社団法人)江戸消防記念会 第四区木遣親声会の来春の東京消防庁
「出初め式」に向けての梯子乗りと木遣りの稽古が始まった。 

澤蔵司稲荷では4月下旬と11月下旬にそれぞれ十日間程の稽古がおこなわれている。

 

本年は11月25日に芝のプリンスパークタワー東京で「江戸町火消 三百年」の記念行事が開催予定で例年より早まった。

筒先・道具中が中心にまず三間半の出初め式でも使う本梯子の締め直し

2

緩むので稽古のたびに締め直しをする。

 

3

新春、東京消防庁出初め式には新調される。

この本梯子は今回の稽古の後は短くして稽古梯子として使われる。

 

頭取中に稽古始めのお披露目をする前に足場パイプに固定された低い梯子で稽古が、、
高さは2暖召3団の高さ。

2

 

 


12人の筒先・道具中が「長鍵」(鳶口)で本梯子を立ち上げ稽古の安全を祈願して御神酒や塩でお清め。

4


頭取中が見守る中で本梯子で稽古始めのお披露目。
5

多分、来春の東京消防庁出初め式で梯子に乗る若い衆か?

 

6

 

7

 

頭取中から稽古の安全と町火消三百年の記念の年の稽古との激励が、、

8

 

会長の激励のあと手締め、、
9


初日と千秋楽は澤蔵司稲荷ご本堂本尊前と木遣不動尊の前で木遣りの奉唱。
10

 

稽古は今月23日が千秋楽。


江戸消防記念会は十一区有るが小石川の地元、第四区は木遣りを含め素晴らしい指導者に恵まれピカイチだと思う。

稽古は危険を伴うので安全とその成果を祈念。
今晩からは粋な木遣りの声を居ながらにして毎晩聞く事が出来る。

 

11月25日の江戸消防記念会主催のプリンスパークタワー東京での三百年の記念式典には私もご案内頂いている。

来賓を含め1360人ほどとの事。

式典では6本の3間半の本梯子でお披露目もあるとの事。

素晴らしい木遣の声も響き渡るのでは、、、

 


東京歯科大学「解剖慰霊祭」

本日午後からは千代田区三崎町(水道橋)へ向かった。 東京歯科大学へ

歯科医の勉強をして歯科医師としての資格を取得するには医科大学と同様に人体に触れその組織を見る解剖学の授業も必須。

毎年、東京歯科大学では解剖のために献体された方々やそのご遺族、解剖に携わった学生さんによる大学が施主となった「解剖諸霊位の法要」が営まれる。

部内・法類の真珠院にはその慰霊塔が建立されている。

そのご縁で僧侶の資格を取った20歳代前半、先々代御住職の頃から出仕(手伝い)をさせて頂いている。
もう49年ほど前から、、、

東京歯科大学は明治23年に高山紀斎教授により「高山歯科医学院」として創立され明治34年には血脇守之助教授に寄り神田三崎町に「東京歯科医学院」としてその礎を築いた。

昭和40年代の若い頃には昭和4年に建造された石造りの重厚な建物で私の大好きな講堂がありそこで慰霊祭が、、
まさに鹿鳴館を彷彿とされる講堂だった。

その後、現在の本校舎(水道橋駅の目の前)に建て替えられ4年前まで慰霊祭が行われていた。

水道橋交差点から望める中央の大きな建物が現在の水道橋校舎本館。

10


3年ほど前から本校舎からちょと神保町よりに水道橋校舎新館が完成して法要場所が代わった。

二棟左側のガラス張りのビル


新校舎

2階からの白山通り。

11

 

12


建物二階の法要会場の名称はやはり「血脇記念ホール」


1

 

「慰霊祭」法要は午後二時半開式


2

 

法要中に学長先生の「祭文」奉読後に教授の先生方、続いて解剖の授業に携わった代表の学生さんの献花。

3

以前は学生さんは全員献花をしたが長時間になるので代表献花の時は学生さんは立礼。

そのあと遺族・関係者の方々の献花が続いた。


以前の本校舎では床面がフラットの会場だったが本格的な音楽ホールのような会場。

16

学長先生、大学関係者、ご遺族、解剖に携わった学生さんで満席になる。

 

17

昔は少なかったが近年は女学生が大変増えた。


法要中の写真は関係の方に無理矢理お願いした、、、

 


江戸町火消「元六番組」「元六睦」月例会

毎月、お伝えしているが江戸時代に江戸町火消し「六番組」であった「元六番組」「元六睦」の月例会。

六にちなみ毎月六日に澤蔵司稲荷書院で開催されている。

本日は午前9時半の開式だった。

 

所属、元・六番組の頭取中(組頭・副組頭・小頭) が集まる。


江戸時代の町火消しの組織「いろは四十八組、本所深川十六組」は明治時代になり明治5年に「市部消防組」として改編。

その後、近代消防に移行したことに伴い江戸時代の火消しの文化・伝統等を継承する為に江戸消防記念会の前身組織が明治後期に組織された。
現在の「一般社団法人 江戸消防記念会」は 全体で11の区で組織されている。

 

 

小石川の地元は現在、江戸消防記念会第四区で二番組だが江戸時代には六番組「な組」として町火消しを担っていた。
その江戸時代の「六番組」はその組織を継承するために現在でも「元六番組」「元六睦」として現在の江戸消防記念会第四区とは所属がダブる組とダブらない組もあるが受け継がれている。
第四区では「な組」(現・二番組)「む組」(現・七番組)「う組」(現・二番組)が所属。
第三区と第九区の一部が近年復活して組頭・副組頭・小頭等30名ほどの頭取中がお集まりになるので書院も手狭、、、
 

我々は会議での開式・閉式はお十念だが頭取中は開式は「お手がしら拝借」の一本締めで開始される。

閉式も同様。

1

 

一ヶ月間の報告や御礼、昇進のお祝い等が、、、

2

 

本年は江戸町火消が制定されて三百年の年に当たり6月3日(日曜)には東京ビッグサイトでの「東京国際消防防災展2018」にも出陣して木遣や梯子乗りのお披露目もあった。

 

また今月25日には各界来賓を含め1300人の「江戸町火消し三百年記念」の祝賀会も予定されている。

 

一本締めで閉式後、本日は各区が集合する目黒・祐天寺へ向かった。

3

袢纏の腰の部分の白抜きの本数で何区か識別できる。

第四区は四本、第三区は三本、第九区は九本。
奇数の区は直線で偶数の区は曲線で波打っている。

 

4
 

毎月お疲れ様です。


回顧 「都電のある風景 2014」

本年も東京都交通局にお勤めの御信者様から「都電のある風景」第20弾(2014)のカレンダーを頂戴した。

毎年、私が楽しみにしているカレンダーの一つ、、、
そう言えばJR東海の「そうだ 京都行こう!」も本年が20周年、、、

都電カレンダー

毎年、カレンダーは古い当時の写真であったり切り絵であったり、、、、

本年のカレンダーは都内の都電が急激に廃線になる間近の昭和42年の都電のある風景だった、、、

高度成長のため都内の道路は車が増え渋滞が多くなり都電はどんどん廃線になった。

昭和42年、私は大学2年の頃、、、

カレンダーの9月の写真は「神保町」を走る35番の都電。
巣鴨から港区 内幸町までを往復していた。

神保町を走る35番の内幸町から巣鴨行きの都電
9月のカレンダーの写真
神保町
私の通っていた中学・高校の母校は港区芝の男子校だった。
降車する駅は港区の「御成門」。

登校の時に乗車する停留所は小石川の「柳町」電停。
ここには内幸町行きの35番と神田橋行きの18番、運が良ければ乗り換えなく行ける三田行きの2番が来た。


3月のカレンダーは懐かしい「御成門」停留所
御成門
 
地元の柳町電停からは運良く三田行きが来ればここまでストレートに乗り換えなく来ることが出来たが35番の内幸町行きの場合は日比谷か内幸町で目黒行きの5番に乗り換えて到着した。


5番は目黒駅と永代橋方面を結んでいた。
乗り換えで日比谷の停留所から5番に乗ると江東区方面からの学友と同乗できた、、

東京タワーもアンテナが少ないな、、、
写真には写っていないが左側には中華料理の「留園」も有った。


池袋東口、西武デパートからの折り返しの池袋停留所の俯瞰
池袋

前方にはまだサンシャイン60も無い、、 
17番は池袋と銀座の数寄屋橋を結び、地元、傳通院前から銀座へは便利だった。
ここは建物は全く変わったが雰囲気は、あまり変わらず、、街路樹は大きくなった、、


銀座、松坂屋前付近からの銀座4丁目
銀座
子供の頃に銀座では何を食べさせて貰ったか覚えていない、、
千疋屋くらい、、、
屋台で光るヨーヨーを買って貰った記憶が、、

学生時代も都電で出かけたか??? 既に車に乗っていた、、、


新宿・角筈方面の夕暮れ、、
新宿
右側は歌舞伎町
奥は淀橋浄水場でまだ高層ビルはない、、、大ガードに向かって渋滞中、、、

この線路の下は現在の「サブナード」の地下街、、、


今年も静岡 佐藤園の「太陽のいも」

季節限定で販売される静岡県の「佐藤園」に注文してあった自然食品「太陽のいも」が本年も届いた。

11月からの発売だが毎年「立冬」の頃に届く。

本年は早くも11月1日に届いた。

「太陽のいも」は毎年今頃に日記のようにお伝えしている。
もう15年以上続いている???


静岡・遠州灘を臨む地方では「切り干しいも」の名産地。

有機肥料で育てた切り出し芋を蒸し遠州灘の空っ風で乾かし一年近く蔵で寝かし天然完熟させた逸品!

自然の恵みと時間をたっぷりかけた「太陽のいも」が出来上がる。
この時期限定のおいも。

サツマイモのデンプンは蒸すことで麦芽糖に変わり一年以上蔵で寝かせその麦芽糖が白い粉となって吹き出るまで完熟させる。

焼かずにこのまま美味しく頂ける。折ると中は黄金色! 
3

孫達も大好き、、我が家の一歳3ヶ月の孫も食べたとのこと、、

 

毎年の恒例行事?なので同じような文章になってしまう、、、、写真も、、、、

4

毎年、同じ事が繰り返される事にも感謝!!

静岡の「佐藤園」さんも毎年、一年をかけ同じご苦労をして出荷している。

今年も「おいも」にご馳走様!!!! 

本年は立冬が11月7日、11月1日が「一の酉」、13日が「二の酉」、25日が「三の酉」

昔から三の酉まで有る時は火事が多いとも、、、

火の用心!

 

あっという間に師走になりそう、、、


妙定院展 2018

港区芝の妙定院では毎年、「東京文化財ウィーク」に協賛して文化の日をはさみ特別公開事業として戦災で焼失しなかった寺宝等を特別公開している。

 

住職は同じ歳で若い頃から様々な活動を共にしてきた仲。

 

本年は月僊と円山応挙の書画を中心として展示。

同時に戦災で奇跡的に中の所蔵物と共に焼け残った熊野堂(国登録有形文化財)の公開。

 

画僧・月僊は、増上寺の大僧正で妙定院開山である定月上人に師事することで、その画才を開花させ、江戸を離れてからは伊勢・尾張地方を中心に広く活躍した。

月僊は絵によって得た資金で、民衆を助けることに尽力したことから、福祉活動の先駆者とも言われている。

妙定院には、江戸では稀に、そうした月僊の作品を所蔵。

また月僊は、京都にいた頃、円山応挙の門をたたき妙定院には応挙の仏画としては稀有な『出山釈迦図』(港区指定文化財)が伝来している

本年は、月僊と応挙にスポットライトを当てて、両者の作品群を紹介展示。

 

1

 

2

 

3

愚息は毎年朝からお手伝いだが午後4時までの展示中は内部は撮影が出来ないので私は午後3時半頃に到着。

 

熊野蔵

4

 

こちらは本年は公開されなかった浄土蔵(上土蔵)

5

どちらも国登録有形文化財

十年ほど前に本堂等が再建されたときに昔の技法で復元された。

 

浄土蔵にも素敵な阿弥陀様が沢山いらっしゃるのだが本年公開された熊野蔵の内部。

午後4時過ぎに一般の方がお帰りになられてから撮影。

 

6

内陣壁紙等も忠実に復元

 

7

 

壁紙の葵のご紋は保存の良かった部分(右下)を再建後に張り直しあとは復元。

8

 

書院建物には法然堂と呼ばれる多目的ホール

中央には宗祖法然上人のお像が奉安されている。

9

建築時にこのような展示会の為に照明を工夫して建てられた。

 

10

 

11

 

12

 

13

 

14

 

素晴らしかった。

明日午後4時まで公開される。

 

ここまでは御住職の特別な許可を頂き撮影。

 

PS 

お暇するときの記念撮影

15

住職とは年齢も同じ、副住職同士も同様、孫達もほぼ同い年、、、

ご先代様からなので親子四代のお付き合いになる。 我が家も来年1月に孫が一人増える。

有り難いご縁。

 

この写真は無断で、、、、

 


月例大護摩 厳修

澤蔵司稲荷では毎月一日(ついたち)は午前6時から月例の大護摩を厳修している。

 

早いもので霜月11月。

本当の旧暦では9月23日。

本日は「一の酉」で本年は三の酉まで、、

 

向拝でも御奉納を受けつけている護摩木でお炊き上げも兼ね厳修。

10

春秋の例大祭や初午祭等での護摩供の時は御信者様も多く内陣護摩壇の近くまでお入り頂けないが例月大護摩ではお詣りを頂ける。

 

今朝は今秋一番の冷え込みで汗をかかずに厳修が出来た。

 

ご挨拶後の護摩の釜

11

普段は本尊壇のみだが修行の時は六壇焚くので護摩壇の釜の直下には水を入れたすり鉢を置いた。

現在は釜が直接護摩壇に触れないように厚さ1冂の耐熱のシートを施してある。

直接だと真鍮プレートの下の木製護摩壇が高熱で炭化してしまう。

 

その後、午前中はご近所の御信者様の会社やご自宅へお詣りに、

本年も残すところ二ヶ月に、、、、

 

 


ハロウィン 蕎麦クッキー

毎日、営業日には開店前の初茹でのお蕎麦の奉納がある稲荷蕎麦「萬盛」さん

江戸時代から続いていると記録に残されている。

 

毎月、晦日には蕎麦クッキーも、、、

お店でもお客様にも差し上げているとの事。

 

本日はハロウィンと言う事で特別にお蕎麦と共にハロウィンのクッキーが、、、

1

 

そば粉をミックスして焼いたクッキー

2

 

蕎麦の香りがする美味しいクッキー!

お客様も喜ばれたのでは、、、 ご馳走様でした!

 

 


光圓寺 十夜法要 説教席

本日は自坊からほど近い光圓寺様へ。

しかし同じ東京教区豊島組でも部が異なる。

 

先代住職も長い事お説教にお邪魔していた光圓寺様のお十夜法要。

私も毎年、午後一時からの説教席を頂戴している。

 

境内には学校法人として明照幼稚園が併設されている。

何を隠そう私もこの幼稚園の卒園生。

私の3人の子供達もお世話になり当時私は足かけ10年ほどPTAの会長も務めさせて頂き楽しかった思い出が、、、、

 

山門を入ると新園舎が、、

1

本日は土曜日で幼稚園は休園日。

 

私の子供達がお世話になっていた当時の新園舎も健在!

2

子供達が在園中はバザー等でも賑わった懐かしい園舎。

 

光圓寺の歴史(寺歴)は古い。

 

江戸時代の「文政寺社書上」では奈良時代の天平13年に行基上人が東国巡錫の時にこの地で自ら彫った薬師如来をご本尊に堂宇を建立して開山したと記されている。

その後、真言宗の寺となり浄土宗の第七祖聖冏上人が中興し浄土宗に改宗して光圓寺になったとも記されている。

ただすぐ近くの播磨坂・極楽水に壽経寺を開山したのは応永22年(1415年)

光圓寺様の歴史では応永年間とあるだけなのでどちらが先だったか私は不知。

既にこの極楽水には応永15年(1408年)に小石川談所(学問所)が存在していた事は分かっている。

どちらにしてもおよそ600年前、壽経寺とどちらが古いか興味が有るところ。

 

その行基上人が開山した時にお手植えされたとされる「公孫樹」(いちょう)は上記の文政寺社書上でもとても大きな樹齢1000年を超す立派な公孫樹(いちょう)が境内にそびえると記されている。

戦前の小石川区史でも同様に記されている老樹。

その為、光圓寺は通称「イチョウ寺」とも呼ばれていた。

 

残念ながら昭和20年5月の山手大空襲で堂宇共々焼失、、、

4

大変な巨木、、、現在は危険が無いように養生されているが、、

しかしその脇から新しいイチョウも元気に成長している。

 

幹の後ろ側

5

70数年前とは言え未だに生々しく焼けたあとが残っている。

中が空洞なので私も幼稚園時代はその中に入って遊んだ思い出が、、、

現在は竹垣で入れなくなっている。

 

御本堂

6

 

右手前は書院・庫裏を兼ねた「和順庵」

3

 

法然上人の大師号からお付けになった?

大正時代開園の明照幼稚園の名称は間違いない、、、

 

本堂脇には園児達がキュウリやトマトを育てる畑も冬に向けて休耕中、、、

7

 

御本尊様へご挨拶

8

 

私の席のあと午後二時からお十夜の法要が、、

9

 

10

 

私は法要開始を見届けおいとま、、

 

幼稚園でも寺院関係でも親子三代に亘る有り難いご縁。

もうすぐ孫が入園させて頂くと四代、、、、(外孫がお世話になっているので既に四代だが、)


深川 長専院十夜法要

本日は午前9時半過ぎに自坊を出発して江東区深川 長専院不動寺へ、、


文京区から深川へは大川(隅田川)を渡らなければならない。
 

1

大川(隅田川)に架かる橋では一番大好きな「清洲橋」

 

しかし今回は久し振りに渡るとさび止め?や塗装、ライトアップの工事中で足場が組まれていた。

1

 

50年以上前の大学時代からお付き合いの有る御住職は昨年のお十夜法要に先駆け副住職さんに住職を継承した。

昨年は盛大に祝賀会も開かれた。

 

2

 

前住職とは学生時代の道場や浄土宗の傳宗傳戒道場・璽書道場も含め同行。
前住職は少し先輩だが昭和50年にそれぞれの寺で護摩を焚かなくてはならないので
一緒に21ヶ座の護摩修行もした。
40年近く毎年「正五九」の祈祷月の17日には不動護摩供が厳修されお手伝い(太鼓)に出仕させて頂いていた。
近年は正月の17日のみだが、、

長専院ご本堂

3

 

4
先々代御住職は関東大震災で本堂を焼失、、
再建したが昭和20年3月の大空襲で再度消失、ご苦労をされ現在の本堂の建立した。

 

前住職は5年ほど前に耐震工事を含め瓦屋根から銅板葺きに改修された。

 

まずはご本尊様へ御挨拶。

改装された本堂内陣

5

耐震工事のおりに内陣正面は長押から紅梁になり折り上げ格天井も施され立派な内陣の設えになった。

御本尊様は鎌倉末期の作と伝わる寄せ木造りの阿弥陀如来像。
平成14年にご縁があり長専院にお迎えした。私も遷座開眼式にも列席した。
平成21年に江東区の指定有形文化財(彫刻)の指定も受けた。
非常に保存状態が良いと認定されている。

戦前の御本尊様は先々代住職が町の役員をしており空襲による火災で町内の方々を清澄庭園へ避難誘導している内に火の海になり消失してしまったとお聞きしている。
先々代御住職の御内室(おばあちゃま)の発願もありお迎えすることが出来た。
本当に素敵な阿弥陀様。

 

戦後のご本尊様は脇陣の位牌壇へ

6


玄関には三年ほど前から「AED」が設置された。

7

私が東京教区豊島組の組長を仰せつかっていた頃には寺院はご年配の方がお集まりになる場所でもあり各寺にAEDの設置や震災、災害時の備蓄や準備を提言したが叶わなかった。

 

法要前の御説教

8

本日は茨城教区 阿弥陀寺御住職 古矢智照上人


法要での住職による十夜法要の趣旨を述べる「表白 ひょうびゃく」の奉読。


9
私は本日は御説教でもなく衣に着替えての出仕でもなく単なる受付等のお手伝い。

これもお施餓鬼法要を含め約50年間続いている、、

 

素晴らしいお天気に恵まれたお十夜法要だった。


お十夜法要シーズン 真っ最中

浄土宗では10月、11月は阿弥陀如来様のお慈悲と実りの秋に感謝するお十夜法要が各地のお寺で厳修されている。

 

本日は墨田区本所へ。

毎年の事だが中学から高校、大学と同期で浄土宗の僧侶になる3週間の傳宗傳戒道場も同行の友人が住職を勤める華厳寺の十夜法要のお説教席を頂いていた。
住職とは中学からだからもう59年ほど,,半世紀を超えるお付き合い、、、


本所の華厳寺までは傳通院前からは春日通りで本郷→湯島→上野御徒町→厩橋→本所と一直線。

ただ大江戸線は蔵前駅から大川の下を急カーブして両国方面へ行ってしまうので意外と不便で今まではTAXIだったが住職の計らいで私の車の駐車スペースを数年前から確保してくれて自分の運転で、、

 

東京地方も不純な天候が続いたが本日は爽やかな秋晴れ。

 

華厳寺山門

1


山門をくぐると正面ではいつもながら六地蔵様がお出迎え、

2

六地蔵様の手前左右には震災・戦災の犠牲になられた方々の慰霊のお地蔵様も、、
右側のお地蔵様の後ろ枝垂れサクラの手前のモミジは22年ほど前に私が境内のモミジを実生から育て先代住職の13回忌の時にプレゼントした。
大事に育ててくれている、嬉しい限り! 現在34歳!

運んだ時は乗用車の後席に乗る幹が親指ほどの小さなモミジだった。

 

先ずは歴代墓にお詣り。

墓所入り口のポスター

3

玄関を入ると住職自筆の「今月のことば」

4

 

達筆!!!
そう言えば昭和40年代、華厳寺では幼稚園も併設されていた。
現住職(当時は副住職)はガリ版刷りの「ガリ切り」の名手だった。
その後は和文タイプライターも導入、、
まだ専用のワープロやPCが普及する前で青年会等の案内状の原稿を良く依頼した。

 

仏間を兼ねた控えの間

5


ご本堂でご本尊様に御挨拶。

6


彼は「おもてなし」を非常に大事にしている。
法要中にお檀家様がお焼香をなさる「香炉」の灰も綺麗に、、、7使いっぱなしのお寺も結構多い。

私のお説教席の前は落語の高座も多いが今年は昨年と同様にミニコンサート。

8

 

本年は女性三人のハモニカトリオのミニライブ
9

本堂内に心地よく響いていた。
様々な場所で活躍されているとお聞きした。

演奏直後にはお説教開始なので残念ながら中座。

 

衣に着替える前に書院へ、
書院に隣接する彼の趣味の部屋を撮影。

10毎年少しずつ変わっているので毎回楽しみにしている。
住職が名付けた「曳舟庵」

 

11
私の寺の玄関に架かっていた江戸時代の戯画の掛け軸も大事に架けてくれてある。

 

私はその後、午後一時から約一時間のお説教の席を頂戴。

12
説教席では中学からの友人が住職との事も有り脱線ばかり、、、
毎年、お檀家様にお会いするのが楽しみ、、、

先ほど玄関にお邪魔をするとお檀家様から「お話し楽しみにお邪魔しました!」とお声をかけられびっくりするやら嬉しいやら、、

 

その後「十夜法要」

「表白」と呼ばれる十夜法要の趣旨を述べる巻物の奉読

13

 

礼讃による散華行道

14

お檀家様は黄色い経本をお持ち。
本日の式次第(差定)もお伝えしてあったのでお檀家様もお経本をご覧になりながら、、

 

ここで私はおいとました。

 

今晩は十三夜さん

綺麗なお月さまが拝めるのでは、、、、

 


西岸寺 十夜法要厳修

浄土宗では5月から7月の「お施餓鬼法要」と秋の「お十夜法要」は最も大切な行事。

本日は法類(寺院同士特別な関係の寺院)として 西岸寺のお十夜法要に出仕(お手伝い)

 

西岸寺は曜日に関係無く毎年10月9日に厳修される。

 

本日は7日の澤蔵司稲荷での江戸消防記念会 第四区木遣不動尊祭の真夏日とは打って変わって秋らしいお天気に恵まれた。


半齋供養(諸仏にお食事を召し上がって頂く作法)の為に11時前に到着。

西岸寺山門
1

 

御本尊 阿弥陀如来さまは恵心僧都作と伝わる素敵な阿弥陀さま。

2

 

午前11時半からは「半斎法要」
お檀家様のお食事「お斎」(おとき)の前に諸仏にお食事を召し上がって頂く
「半斎供養」

お檀家様もお斎(お食事)後、午後1時から西岸寺とは法類の浄心寺佐藤上人のお説教(法話)席

2

 

午後2時からはお十夜法要


雅楽の奏楽に迎えられ御部内御寺院住職方も随喜。

お十夜法要の主旨を述べる御住職の「表白」(ひょうびゃく)の奉読。
3

 

礼讃(声明)をお唱えしながら散華行道
4

右回りの行道は御本尊阿弥陀如来様への最高の御挨拶

 

5

昨日の体育の日までの3連休明けだったが多くのお檀家様がお詣りにお越し下さっていた。

 

 

一昨年法要では開創400年記念法要も併修された。

一昨年のブログ  /blog.takuzousuinari.com/?day=20161009


calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2019 >>
新着ブログ
ブログ内 検索
月別 過去ログ
最近のコメント
links
profile
others
mobile
qrcode