船橋 浄勝寺 施餓鬼法要 説教席

本日は午前10時40分過ぎに自坊を車で出発して千葉県船橋へ向かった。

出発直前にNAVIをセットに行く右後輪がとパンク気味のようなので違う車で、、

気が付いてヨカッタ、、 高速道路でパンク騒ぎになると遅刻する可能性も、、、

本日は大学時代からの同期の友人が兼務住職を務める浄勝寺のお施餓鬼法要での説教席を頂戴していた。

彼とは傳宗傳戒道場も同行。 もう半世紀のお付き合い。
法要のお説教席にはもう何年お邪魔しているだろうか、、、

戦後様々な事情で一時期「単立」の寺院だったが住職がご苦労され3年程前に「浄土宗」に復帰した。

お盆連休明けの連休の土曜日で混雑しているかと思ったがそれほどでは無く高速道路は神田橋入路から箱崎ジャンクションだけがいつも並の渋滞だった、、、

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しかしその後はスムースで正午前には到着できた。


到着した浄勝寺境内

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本年は関東甲信越は観測史上一番速い6月9日が梅雨明けだった。

お盆中も真夏日の猛暑が続いたが昨日と本日は最高気温が30度C以下の爽やかなお天気。

 

浄勝時は信州・善光寺の別院にもなっており18年ほど前に善光寺様式のご本堂を再建された。

早すぎて境内は車は少なかったが私はお説教のみで法要には出仕しないので入り口付近に毎年駐車させて頂いている。
おいとまする時にはお檀家様の車で満車になっているので、、、

まずはご本堂向拝からお詣り。

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向拝の柱には四年前に単立から戻られ増上寺八木御法主台下ご揮毫の「聯」が、、

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書院玄関の標札
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信州 善光寺大本願別院とある。

交通の不便だった江戸時代から日本全国に多くの善光寺別院が建立された。

 

早速、御本堂で御本尊様へご挨拶
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内陣は折り上げの格天井で御厨子も立派

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本堂再建までは脇陣に奉安されていた阿弥陀三尊さまだが厨子も修復され御本尊様として中央へ。

善光寺様式の一光三尊の阿弥陀様は書院二階の座敷に祀られている。

 

外陣の施餓鬼壇(五如来壇)

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私のお説教後、午後2時からお施餓鬼の法要

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友人である住職は7年前3月に仲間では一番早く僧階が「正僧正 じょうそうじょう」に昇進して「緋」の衣を被着出来るようになった。

 

お施餓鬼の主旨を述べる「表白」の奉読

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私は法要の最初の写真を撮らせて頂きおいとま、、

 

帰路も高速7号小松川線はスムースで都心環状線は若干渋滞したが午後3時頃には帰寺出来た。

 

お陰様の一日

 

PS

帰寺してから近江高校(滋賀)と金足農高(秋田)の試合を観戦。

 

本日の友人住職も秋田の出身で私も知り合いが多く応援(^o^)

サヨナラ、、、勝ち

 


町田市 養運寺 大施餓鬼会 説教席

本日、午前中に自坊を出発して町田へ、、

以前、高速道路が一時無料化になり3時間45分ほどかかったトラウマでネットの首都高交通情報を綿密にチェックしていたがそれほどの渋滞も無いので午前10時5分頃に車で出発。

 

お陰様で首都高3号線の下りは渋谷近辺で若干の渋滞があったが東名高速・横浜青葉から246号経由でスムースだったが町田方面へ曲がる交差点を間違えとんでもない遠回りをしてしまった。

しかし迷ってしまったが午前11寺50分頃には無事到着。

 

養運寺の御住職は一年お若いが大学時代からのお付き合いと青年会活動を通じて既に半世紀以上のお付き合い。

若い頃は結婚披露宴の司会も仰せつかったりカンボジアの難民救済も一緒に、、、

 

養運寺は二年がかりで一昨年5月8日に御本堂や観音堂、書院の一部の再建工事が終わり落慶式が厳修された。

 

本堂裏の駐車場に登れる道も整備されているのだが私はあえて毎回参道下の駐車場へ、、、

 

写真を撮ったり境内の様子を拝見する為に。

養運寺には既に二十年近く法話でお邪魔をしているが雨が降ったのは初めてでは、、、

昨日までの猛暑とは打って変わり凌ぎやすかった。

 

私の先代も布教をしていたが説教師は自坊(自分の寺)を出る時から説教師であれ。

到着したら境内の様子や堂内の設えに目を配り御住職方のご配慮を受け止めろ。

ご本尊様にお詣りをして堂内の荘厳等にも目を配れ、、

説教が終わったらご寺族のご迷惑にならぬようすぐにおいとまを、、

口癖だった。

 

その為、泊まりがけの地方でのご依頼以外私服で出かけた事が無い。

事前に御住職に例年の法要とは何か違うか、お伝えしたい事が有るかお聞きすることも有る。

法要の主旨は勿論だが境内整備や御本堂の印象など感じた事をお伝えする場合も、、

 

ブログでも境内や御本堂の様子をお伝えしているが自分自身の日記、、

来年お邪魔をする時の参考になる。

 

参道入り口の公道に面した駐車場に、、

掲示板には私の名前もお知らせを下さってあった。

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参道の階段を登ると山門が、、

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養運寺の「山号」は「鶏足山」

奥には一昨年5月に落慶したご本堂が、、、、

 

観音様もお出迎え。

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この階段を上るアプローチが楽しみで本堂裏にも駐車場が完備されているが山門下に駐車して階段を上る。

でもこの石段をいつまで元気に上がる事が出来るかな?と思う年齢になってしまった、、、、

 

樹木の手入れを拝見するのも楽しみ、、、

 

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再建の御本堂は伝統的な入母屋造の屋根と唐破風の向拝、。

立派!!

 

本堂脇の観音堂も再建。

以前の観音堂は入母屋の屋根だったが本堂とは逆に方形のお屋根に、、、

住職の拘りか、、、

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現・住職がお建てになった鐘楼堂

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何年前だったか、、、

私の寺の御信者様がそばにお住まい大晦日には年越しの除夜の鐘を毎年楽しみにしているとお聞きした事がある。

 

本堂向拝は唐破風、、

 

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黒い部分の紅梁の間の蛙股や唐破風の飾りの彫刻は以前の御本堂の彫刻を再利用。

200年前の本堂を解体した時に保存して再利用。

素晴らしい、、、

 

虹梁の彫刻も素晴らしい、、

木鼻の獅子も、、

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お説教席には若干早く到着したので境内で楽しませて頂いた。

 

本堂内陣

正面の弥陀三尊様は400年以上前(室町期)に造立され町田市の有形文化財にも指定されている。

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住職・副住職の希望で一尺以上の丸柱や内陣の紅梁、欄間は200年以上前の建造でもったいないので再利用を希望したようだ。

多分、設計段階では全部新材の方が楽だったと思慮。

解体作業も慎重に進めなくてはならず大変だったのでは、、、

 

歴史のある古材は絶対使うべきだ、、、

何百年の歴史(年齢)がある、、、

 

内陣、天井は格式がある折り上げ格天井に、、、

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堂内の斗組・欄間も素晴らしい!以前の御本堂の名残、、、

 

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午後1時からお説教席 お檀家様と共に空調の効いた御本堂で気持ちが良かった、、、


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この左脇にもお座敷があり50人ほどのお檀家様で満堂(満室)だった。

 

副住職に私のアップでない写真をお願いしてカメラを託した、、、、VY TNX!!!

 

午後2時からは組内御寺院の御住職方随喜のもとお施餓鬼法要開始

 

御住職の施餓鬼壇(五如来壇)前での「表白」の奉読

本日のお施餓鬼法要の主旨を述べられる。

 

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私の仕事はこの前で終わっていたので写真を撮らせて頂きおいとま。。。

 

朝方の雨はほとんどやんでいたがお檀家の皆様はお墓参りのあとご自宅に戻られる迄は雨は降らないようにと心配しながら自坊に向かった。

 

帰路は国道246も東名高速、首都高速もまあまあスムースで1間40分程で帰寺出来た。

 

お陰様の一日だった、、、

 

ご参考に以前の御本堂

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このご本堂でも長年お説教をさせて頂いた。

あるいは先代御住職の表葬儀、現・住職の晋山式等々懐かしい思い出の御本堂。

 

 


月例 大護摩厳修

澤蔵司稲荷では毎月一日(ついたち)午前6時から大護摩を厳修。

 

毎日御奉納される護摩木をお炊き上げする。

 

今夏は6月29日には観測を始めた戦後から一番早い「梅雨明け」だった。

7月には35度Cを越える猛暑日が6日もあった。

昨日までも東京地方は六日間の30度C越えの真夏日が続いていた。

気象庁の発表によると東日本の7月の最高気温の平均は観測史上第1位だったようだ。

 

今朝も午前5時半頃に既に28度以上、、、、

大護摩厳修の午前6時には29度Cを越えていた。

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大汗をかかせて頂いた。

 

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初午や節分追儺式、春秋の例大祭での大護摩では御信者様が多くお詣りなので内陣までお入り頂けないが例月大護摩では燃えさかる炎のそばにお近づき頂くことが出来る。

 

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ご挨拶後の護摩の釜

普段は本尊壇のみだが修行の時は六壇焚くので護摩壇の釜の直下には水を入れたすり鉢を置いた。

現在は釜が直接護摩壇に触れないように厚さ1冂の耐熱のシートを施してある。

直接だと真鍮プレートの下の木製護摩壇が高熱で炭化してしまう。

 

毎月、護摩後の午前中はご近所の御信者様の会社やご自宅へお詣りに、

昼前には35度Cを超す猛暑日になっていた。


孫の一歳の誕生日&一升餅

お陰さまで内孫が一歳の誕生日を本日迎えました。

 

ささやかな祝膳の時に一升餅を背負わせました(^o^)

 

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立派な鯛は料理屋さんのお心遣い、、、

 

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名前の入った一升餅。

 

もう数週間で一人で歩けるようになりそうですがまだつかまり立ち。

 

しかし一升餅を嫌がらずに背負いました。

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元気で怪我もせず育つよう祈念。

 

私も一歳の時に背負ったようですが全く記憶に無し、、 当たり前ですが、、、

 

地方によっては一升分の餅米をつかずに袋に入れて背負わせたりのし餅を細かくして一升分背負わせてご近所にお配りしたりと様々な風習があるようです。


第33回 文京 朝顔・ほおずき市も最終日

昨日から始まった既に33回を迎えた文京 朝顔・ほおずき市も本日が最終日。

 

毎年の事だが澤蔵司稲荷境内も「さわやか憩いの広場」として解放して多くの方々で賑わっていた。

本日は関係寺院でお施餓鬼の法要はなかったが兼務寺で年会法要の為に午前中は不在だった。

 

午後1時過ぎに帰寺。

 

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キッチンカーに置いてあった温度計を見ると外気温43.1度C、、、

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若干、日向だったのでは、、、、

 

憩いの広場のプログラムでは午前中から大道芸やコンサートも有ったが出かけていたので残念ながら見逃し、、、

 

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近隣の尚美ミュージックカレッジの楓花さんの演奏中だった、

日向は暑いのでお聞きの方は大イチョウの木陰で、、、

地面が濡れているのはどなたかの打ち水では、、、

 

担当の南戸崎町の方々の出店による射的

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正規の場所から前に出て至近距離で打っているのは我が家の外孫、、、

未就学児にはこのようなサービスも有るようだった、、、 

超至近距離!!   お陰様。

 

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ヨーヨーすくい、

祭りでのテキ屋さんの屋台とは違いすくいカギをつけた紙も丈夫(^_^)

 

お陰様で境内では事故も無く二日間の日程も終了した模様。

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実行委員会や携わられた各町会、ボランティアの皆様も暑い中お疲れ様でした。


本日から第33回 文京朝顔・ほおずき市 開催

既に33回を迎えた文京朝顔・ほおずき市が本日から澤蔵司稲荷を中心に始まった。

傳通院境内の朝顔市、こんにゃく閻魔のほおずき市会場の中間に澤蔵司稲荷は位置をするので毎年「さわやか憩いの広場」として提供をしている。

 

お盆前から猛暑が続き本日も都内は35度Cに達する予報も出ていた。

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本年は境内にキッチンカーも、、

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私は本日も関係寺院でのお施餓鬼法要の為にお昼過ぎに出発。

 

午後4時頃に帰寺。

 

境内は風通しも良くチビちゃん達も大勢、、

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関係町会の方々が様々な出店を出店。

 

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写真を撮りに行くと町会長さんから生ビールの差し入れも、、ご馳走様でした!

 

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懐かしい射的も、、

 

お馴染みの江戸大神楽の演技もちょうど始まっていた。

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明日も同様に開催される。

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明日も猛暑になりそうですのでお気をつけてお楽しみ下さい。

 


深川 良信院施餓鬼説教  明日は第33回文京朝顔・ほおずき市

本日は学生時代から同期の友人が住職をしている深川・良信院のお施餓鬼法要のお説教へ、

彼とは浄土宗の僧侶となるべく傳宗傳戒道場も同行。しかも同じ班だった。

既に学生時代からは半世紀に及ぶお付き合い。


隅田川(大川)は私の大好きな清洲橋(吊り橋構造)を渡り深川へ、いつものコース

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数ヶ月前にライトアップもバージョンアップしたと聞いたが夜はまだ出かけていない。

 

良信院山門

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13年前に木造の旧本堂から新しい本堂・書院が落慶した。

説教席は古い本堂の頃からなので既に20年近くか、、、、

本年はお盆前から35度c超の猛暑が続いているがあの頃はエアコンも無く暑かった、、、、

私もお檀家様も座布団に座っての説教席で目の前にお檀家様がいらっしゃるので見かねて団扇で扇いで下さった思い出も、、、


六地蔵様もお出迎え。
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13年前の本堂・書院等の新築の時に地元の方々が昭和20年3月10日の大空襲で犠牲になられた方々への慰霊のために安置された。

こちらの町内でも多くの方々が犠牲になられたとお聞きしている。

やはりお玄関の傍のお地蔵様。

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右の平和地蔵尊はやはり昭和20年3月10日の大空襲で多くの犠牲者がでた為に御先代住職が建立。
左は新築された時に現御住職が建立された水子地蔵尊。

早めに到着したので御本尊様へ御挨拶。

一昨年ご縁が有り千葉県から遷座された台座から光背まで2辰鯆兇肯派な阿弥陀様。

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右側は善導大師、左側は法然上人のお像。

 

左の位牌壇中央阿弥陀さま

昔は説教所に安置されていたとお聞きした。

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お厨子の扉の内側には観音菩薩・勢至菩薩、更に善導大師・法然上人が描かれた珍しいお厨子に入られている。

 

本堂外陣の施餓鬼壇(五如来壇)

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本堂再建の計画段階から施餓鬼壇奥の額も心に描いていたようだ。

 

私の法話の前に住職から最近の出来事やお檀家様へのご報告も、、
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午後1時から私の説教席

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あまりアップは好まないので全体をと近くのお寺の住職さんにお願いしたが結構アップが、、

この写真の私が一番小さかったので、、、

住職さん 写真有り難う。

 

既に本堂はお昼の「お斎 おとき」を召し上がったお檀家様で満堂だった。

本堂内にお入りになれず廊下や書院のモニターテレビでご覧のお檀家様も、、

良信院は昔は7月22日がお施餓鬼の法要だったが7月20日が「海の日」で休日に制定されたので本堂再建後は本日に変更、、
しかし、その後、祝日法が変更になり必ずしも7月20日が海の日にはならなくなった。

本年は15日の日曜の次の日、16日だった。

海の日に拘る方々は憤慨しているようだが、、、、、
 

午後2時からお施餓鬼の法要開始。

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5年前に友人の住職は僧階が「正僧正」に叙任され仲間では一番早く「緋」の衣を被着出来るようになった。

外陣飾りの施餓鬼壇前で「表白 ひょうびゃく」の奉読。
お施餓鬼法要の趣旨を述べる作法。

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私はここまででおいとま。

 

明日もお施餓鬼の法要が続く、、、、、、

 

PS

お伝えしたように明日から第33回文京 朝顔・ほおずき市が始まる。

 

澤蔵司稲荷稲荷境内も「さわやか憩いの広場」として解放。

様々なイベント(大道芸やコンサート)や屋台、キッチンカーも出店予定。

 

猛暑の予報も出ているようなので体調にお気をつけてお楽しみ頂きたい。

 

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練馬区光が丘 仲台寺 施餓鬼会説教席 

本日は練馬区光が丘公園の近くの仲台寺へ

仲台寺は戦後までは田端の近くに有ったが都市計画等の為に現在の場所に移転した。

東京教区豊島組は文京区、板橋区、豊島区、北区等に70ヶ寺が集中してるが仲台寺は練馬区に移転しても自坊と同じ豊島組に所属している。

我々、東京教区の地域割りでは練馬区は城北組になる。 教区内にも移転に伴い同様なケースが何ヶ寺かある。

 

自坊の先代住職も移転前の昭和33年から平成4年(85歳)まで35年間ほどお施餓鬼やお彼岸の説教にお邪魔をしていたお寺。

私も先代ご住職からも御教導賜ったが現御住職は一年先輩だが大学時代から半世紀以上のお付き合い。

ご先代御住職は本年が三十三回忌だった。年が経つのが本当に早い。

 

仲台寺山門

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都内23区では一番暑くなると言われている練馬区。

向かう途中の車の外気温計は39度を示していた。

 

山門を入った左手には庚申塔

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主尊は如意輪観音さまで左側には「寛文八年」(1668年)と刻まれている。

江戸時代一番、庚申信仰が盛んな頃。

 

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台石には庚申塔独特の「三猿」の彫刻も施されている。

田端からの移転の時に移されこの場所に奉安されたのでは、、

江戸時代、御府内から少し外れた文京区の一部や豊島区、板橋区には多くの庚申塔が残っている。

 

本日は文京区の自坊を午前11時20分頃に出発したが意外と川越街道下りもスムースで正午過ぎには到着できたので境内を撮影させて頂いた。

 

墓所との境の塀に沿って石仏や碑が、、

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御本堂

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参道には宗祖法然上人八百年遠忌記念に建立された永代供養塔

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経年で傷みが発見され京都の仏師の元で修復作業後、一昨年無事にお戻りになられた本尊様。

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金ぴかになり戻られるかと案じていたが「古代仕上げ」(古色仕上げ)の落ち着いた感じで本日も有りがたくお詣りさせて頂いた。

ちょっと施餓鬼法要の設えでご覧になりにくいが、、

 

私は落語の清興のあと午後1時からのお取り次ぎをしておいとま。

 

玄関を出るとちょうど法要中の御住職が堂外に建てられた卒塔婆の水向けの最中だった。

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帰路の川越街道もまあまあスムースで予定通り帰寺出来た。

 

本当に猛暑の一日だった。

お檀家さまの無事のご帰宅を念じ上げる。暑い中お疲れ様でした。

 

PS お説教後、退堂して廊下で作相をしていたらお檀家様のご婦人が御本堂から来られ私のブログをご覧になられていると、、

  恐縮、、、、


本日から本格的にお盆の棚経

お盆の行事はお釈迦様のお弟子であった木蓮尊者の求母の伝説により伝わり日本では旧暦の7月15日に厳修されるようになったと言われている。
旧暦の7月15日は毎年異なり本年は8月25日。

その為に明治以降は8月15日に慣例として統一されたようだ。
しかし東京だけは7月の15日前後がお盆となり本日が「お盆の入り」

東京やその近郊で7月になった理由は諸説有るがここでは省かせて頂く。

都内の多くの寺院の御住職方は本日から本格的にお檀家様のお宅に出かけお仏壇の
前でお盆のご回向。

私も副住職の運転でお詣り。
先ずは午前8時に出発して日本橋→深川→本所→向島→浅草→鳥越→御徒町→駒込→地元と
午後2時過ぎまでお檀家様のお宅へ、、


東京地方はここ数日は30度を超える真夏日が続き本日も33度ほどになったのでは、、

先週末の平成30年7月豪雨での被災者の方々、救援、ボランティアの方々も暑さに追い打ちをかけられご苦労なさったのでは、、、


押上の東京スカイツリー駅付近、、
棚経
この時間帯はちょっと雲が多かったが猛暑。


午後2時過ぎに一旦帰寺。

遅い昼食後は目白方面へ、、、

目白のお宅では玄関に到着すると既に「迎え火」が、、
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このお檀家様の仏間。
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毎年13日の我々が到着する午後4時頃には迎え火も済まされ曜日に関係なくご家族・ご親族10名様ほどとご一緒にお詣り。

盆提灯は沢山お飾りしてあるが実際にはこの倍ほど有るとお聞きした。
全部お飾りすると広い仏間だがご家族やご親戚が座る場所が無くなる、、
もう45年ほど先代住職に替わり伺っているがいつも設えは一緒。

その間に先々代、御内室、ご先代様もお見送りをさせて頂いた。

年月が流れるのが早い。

この部屋は普段はどのようにお使いかと聞くとお孫さん(副住職の高校時代の後輩)が茶道をたしなみお茶会にも使われているようで話が盛り上がってしまった。

 

様々なお宅にお邪魔をさせて頂いたが体調がお悪かったりおみ足がご不自由になり普段お目にかかれないご年配の方々にもお会いでした。

お盆のお詣りでお邪魔をする有り難さを感じた。

帰寺してから我が家でも「迎え火」
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我が家では玄関先でご先祖様が早く戻られるようにと迎え火を焚く素焼きの「焙烙」の
傍にはお馬さんを置く。


送り火の時には牛さんを、、、、

お仏壇前の盆棚の設えや迎え火の習慣は日本各地で様々、、、、
明日も棚経が続く。


御信者さまからのメッセージ

御信者様の奥様がご母堂様のご実家、秋田県大仙市 強首温泉「樅峰苑」(しょうほうえん)を訪ねられたようで写真付きのメッセージが届いた。

「樅峰苑」の建物は立派で由緒があり登録有形文化財にも指定されている。

 

その折に酒田市にある写真家 土門拳記念館を訪ねられたようだった。

 

土門拳氏は「古寺巡礼」でも有名な写真家。

仏像の写真でも光の陰影を大事にした写真家としても知られている。

たまたま館内では土門拳・林忠彦の特別展がおこなわれており澤蔵司稲荷にもご縁が有る幸田文先生の写真を発見したと、、

 

澤蔵司稲荷の隣(公道からは二軒お隣)に幸田露伴(別号 蝸牛庵)・幸田文先生の旧居が現在も有る。

幸田文先生には若い頃から可愛がって頂きご自宅前のムクノキの落ち葉の掃除の時にはよくお会いして立ち話も、、、

書斎の蝸牛庵にもお誘いを頂いた事も、、

 

その幸田文先生の写真が記念館に飾られていたとメッセージと共に写真が、

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この写真は澤蔵司稲荷境内の霊窟がある「お穴」のケヤキの大木の前で。

 

懐かしいお姿、、、

 

 

その娘さんでもある青木玉先生も現在お住まいでやはり和服姿でお出かけの時にお会いしたりムクノキの落ち葉の掃除や雪かきの時にも文先生と同様に、、

 

以前の「樅峰苑」(しょうほうえん)のブログ

   http://blog.takuzousuinari.com/?day=20141029

   

ありがとうございました!!


昨年の東京新聞の記事

九州から中四国、近畿、中部地方の広範囲に亘る豪雨。

 

本日は多忙で昼のニュースを見ることが出来なかったが大変な被害と多くの犠牲者の方が、、、

お見舞い申し上げます。

これ以上、被害が拡大しないことを願うばかりです。

 

昨年のFBでの思い出を見たら東京新聞に小石川の紹介が有った。

すっかり忘れていたのでペーストして以下にアップ致します。

 

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今朝の東京新聞に「小石川散歩」のご紹介が、、

今朝、私は不在だったが新聞配達の方が東京新聞の朝刊を数部お届け下さった。

 

7月8日付けの東京新聞最終ページには「東京どんぶらこ」と呼ばれる連載の都内お散歩コースで「小石川」が全面で。

 

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東京新聞は「したまち支局」が浅草雷門にあり様々な行事等でも取材を頂く身近な存在。

今回は取材はお受けしなかったがもうお判りなのだろう、、

電話番号の記載が無くてヨカッタ!

 澤蔵司稲荷 御信者様の和菓子・岡埜栄泉、料亭・岡埜荘のご紹介も、、、

 

記事の「今昔記」にはお隣の露伴邸にお住まいだった幸田文先生の事も、、

浴衣姿で玄関先やムクノキ側の歩道を竹箒で、、、 良く立ち話をさせて頂いた。

青木玉先生も同様、、お掃除や雪かきの姿も文先生とダブってしまう。

 

お伝えしているようにブログではフォトのアプリで横幅500ピクセルに縮小しないとアップ出来ないのでご了承を。

そのうちバージョンアップされると思うのだが、、

足かけ13年のブログでサービスが始まった直後の契約だったので広告が入らないサービスは無料で、、、

現在、新規契約は有料だが、、、

 

また昨日、今月22日・23日に開催される第32回文京朝顔・ほおずき市もポスターやパンフレットが実行委員会の方がお届け下さった。

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お盆が明け市が近づいたら境内の催し物のタイムテーブル等はご紹介予定。


江戸町火消「元六番組」「元六睦」月例会(定式)

毎月、お伝えしているが江戸時代に江戸町火消し「六番組」であった「元六番組」「元六睦」の月例会。

六にちなみ毎月六日に澤蔵司稲荷書院で開催されている。

本日は午前9時半の開式だった。

 

所属、元・六番組の頭取中(組頭・副組頭・小頭) が集まる。


江戸時代の町火消しの組織「いろは四十八組、本所深川十六組」は明治時代になり明治5年に「市部消防組」として改編。

その後、近代消防に移行したことに伴い江戸時代の火消しの文化・伝統等を継承する為に江戸消防記念会の前身組織が明治後期に組織された。
現在の「一般社団法人 江戸消防記念会」は 全体で11の区で組織されている。

 

 

小石川の地元は現在、江戸消防記念会第四区で二番組だが江戸時代には六番組「な組」として町火消しを担っていた。
その江戸時代の「六番組」はその組織を継承するために現在でも「元六番組」「元六睦」として現在の江戸消防記念会第四区とは所属がダブる組とダブらない組もあるが受け継がれている。
第四区では「な組」(現・二番組)「む組」(現・七番組)「う組」(現・二番組)が所属。
第三区と第九区の一部が近年復活して組頭・副組頭・小頭等30名ほどの頭取中がお集まりになるので書院も手狭、、、
 

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我々は会議での開式・閉式はお十念だが頭取中は開式は「お手がしら拝借」の一本締めで開始される。

閉式も同様。

 

一ヶ月間の報告や御礼、昇進のお祝い等が、、、

本年は江戸町火消が制定されて三百年の年に当たり6月3日(日曜)には東京ビッグサイトでの「東京国際消防防災展2018」にも出陣して木遣や梯子乗りのお披露目もあった。

 

先日のブログ        http://blog.takuzousuinari.com/?day=20180603

 

一本締めで閉式後、本日は各区が集合する目黒・祐天寺へ向かった。

 

本年東京地方は観測史上、一番早い梅雨入りの発表が先月下旬に、、、

本日は九州から近畿、中部,北関東地方にも大雨洪水警報・注意報が発令されている。


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袢纏の腰の部分の白抜きの本数で何区か識別できる。
第四区は四本、第三区は三本、第九区は九本。
奇数の区は直線で偶数の区は曲線で波打っている。
 

役袢纏の白抜き四本は第四区の頭取中



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毎月お疲れ様です。

 


法類寺院 西岸寺大施餓鬼法要

本日は自坊と法類関係の春日・西岸寺の例年のお施餓鬼法要。

午前中から副住職と共に出仕。

 

西岸寺 山門  

既にお檀家様はお玄関から書院へお入りになられている時間帯
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午前11時半からは諸仏にお食事を召し上がって頂く「半斎供養」
その後、ご参列のお檀家様も書院で「お齋 おとき」(お弁当)のお食事

東京地方は一週間以上30度Cを越す真夏日の連続。

 

出かける頃より気温は既に30度を超す天候のようだったが御本堂は満席、

 

午後1時からは同じく法類寺院住職・浄心寺佐藤上人のお説教(法話)

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午後2時からお施餓鬼法要厳修。
御住職による「表白」(ひょうびゃく)の奉読

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本日のお施餓鬼法要の趣旨を述べる。


西岸寺では法要中の施餓鬼作法の後、お経(阿弥陀経)を読誦をしながら行道の散華作法。

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滞りなく午後3時に無事に円上。

お檀家様も長時間お疲れ様でした。

これから東京地方は七月のお施餓鬼法要とお盆の季節に、、、、、

 


今朝は例月大護摩厳修

澤蔵司稲荷では毎月一日(ついたち)午前6時から大護摩を厳修。

 

毎日御奉納される護摩木をお炊き上げする。

1

6月29日には観測を始めた戦後から一番早い「梅雨明け」だった。

昨日までも東京地方は六日間の30度C越えの真夏日が続いていた。

 

今朝も午前5時半頃に既に27度以上、、、、

大汗をかかせて頂いた。

 

2

初午や節分追儺式、春秋の例大祭での大護摩では御信者様が多くお詣りなので内陣までお入り頂けないが例月大護摩では燃えさかる炎のそばにお近づき頂くことが出来る。

 

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ご挨拶後の護摩の釜

普段は本尊壇のみだが修行の時は六壇焚くので護摩壇の釜の直下には水を入れたすり鉢を置いた。

現在は釜が直接護摩壇に触れないように厚さ1冂の耐熱のシートを施してある。

直接だと真鍮プレートの下の木製護摩壇が高熱で炭化してしまう。

 

毎月、護摩後の午前中はご近所の御信者様の会社やご自宅へお詣りに出かけるが本日は日曜日なのでお休みも多く明日に、、、

その積もりで午前中はご法事もお受けしており汗の為に午前中だけで二回下着を取り替えた。

 

作務衣に着替え緑の濃くなった境内へ。

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まだ蝉は啼きだしていないが清々しい空気が、、

 

本日も連日の真夏日を更新。

 


梅雨明け、、

お昼のニュースを見ていたら関東地方は梅雨明けとの報道が、、、

戦後、観測統計を取り始めてから一番早い梅雨明けと報じられていた。

 

確かに本日まで東京地方は30度cを超す真夏日が四日間続き一昨日からは湿った熱い南風が続いていた。

境内の古木の枯れ枝も毎朝沢山参道にも落ちていた、、、

 

この強風で成田空港等でも着陸に困難を極めたようだ。

午後の仕事の前に空港アプリを覗いたら旋回(ホールディング)をしている航空機が多数、、、

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また友人や御信者様から山形のサクランボが、、

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早速、御本尊前にお供えをさせて頂いた。ありがとうございます。

 

また地元・小石川の夏の風物詩でもある第33回の「朝顔・ほおずき市」のポスターやチラシが実行委員会から届いた。

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例年通り境内でも様々なアトラクションや模擬店が出店される。

詳しい内容は近づいたらお知らせ予定。

開催日は7月21日(土)、22日(日)


雨模様

天気予報通り東京は今朝から本降りの雨。

 

本日は大安で外での御祈願事も有ったのだがお気の毒だった。

 

書院玄関前の藤の木。

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藤棚ではなく自立型の藤の木だが枝を支える竹が腐り昨日職方が防腐剤を塗布してある丸太で手直しをして下さった。

 

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本年4月には房の大きな花が沢山咲いて楽しませて貰った。

 

自坊には職方や私が剪定、植え替えをすると翌日は雨のジンクスがある、、、

 

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本堂回廊から、、

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若木のモミジは私が実生から育てたもの。

若葉が伸びてから大分、剪定したが雨の降る時に見ると剪定する枝がよく分かる。

枝振りは私同様、、、捻くれている、、、、、


TOKYO MX TV 「週末ハッピーライフ!お江戸に恋して」 放映

TOKYO MXテレビ番組「週末ハッピーライフ!お江戸に恋して」先月中旬、境内で撮影が有った朝比奈彩さんがMCを務めるコーナー「朝比奈彩の進め!江戸小町」が本日放映された。

 

一昨日のブログ  http://blog.takuzousuinari.com/?day=20180614

 

私は午前、午後共に仕事が有り録画をしてあったので先程見ることが出来た。

 

今週は文京区「春日界隈」のテーマで澤蔵司稲荷や毎日本堂へ開店前の初茹(初釜)の奉納が続く稲荷蕎麦萬盛の紹介も、、

 

勿論、春日界隈との事で地下鉄「春日 かすが」駅がスタート。

文京区役所や直ぐそばに建つ春日局(かすがのつぼね)の像の紹介も。

 

以下、録画画面にテロップでの紹介があるので写真のみを、、

 

「週末ハッピーライフ!お江戸に恋して」スタート

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私の稚拙なブログをご覧の方はご存じだろうがテレビ放映の影響で萬盛さんが混むと困るな、、、

 

撮影の時に朝比奈彩さんをスタッフからご紹介頂いたが私は名前もお顔も存ぜず、、

愚息に話したら驚いていた。

 

これからの朝比奈彩さんのご活躍や番組のご発展を祈念。

 


テレビ放映のお知らせ

明後日(土曜日)に江戸時代から開店前の初茹(初釜)のお蕎麦の奉納が続く傳通院前、稲荷蕎麦萬盛さんと澤蔵司稲荷の関係がTOKYO MXテレビで放映される。

 

番組は「週末ハッピーライフ!お江戸に恋して」の中での「朝比奈彩の進め!江戸小町」のコーナー(11:05頃〜)

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5月15日に番組コーナーMCの朝比奈彩さん、江戸の歴史を研究している堀口菜純さんが境内に来られ撮影は済んでいた。

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本日は萬盛さんの御本堂への奉納場面の撮影が有った。

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土曜日の午前11時頃はご法事等で忙しいことも多く私自身ほとんど見ていなかったが16日は録画予定。

 

企画書では春日界隈の歴史レポートと有ったので他に何処が紹介されるか、、、

 


ムクノキ祭り

澤蔵司稲荷境内の公道に面する善光寺坂に樹齢400年以上と言われる椋の木(ムクノキ)がある。

 

江戸時代には伝通院寺領、澤蔵司稲荷のご神木としても崇められていた。

 

5年前の平成25年3月に「文京区指定天然記念物 第1号」に指定された。

 

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善光寺坂と呼ばれるようになったのは明治中期以降。

 

江戸名所図会

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石垣に階段の澤蔵司稲荷境内は現在でもその面影を残す。

図絵中央左端には椋の木が描かれ周りにはお茶屋もありお参りの方々の憩いの場のようでムクノキはこの界隈のランドマークのような存在だったと思慮される。

 

地元・表町町会では天然記念物に指定された翌年からムクノキにちなみ6月9日前後の週末か日曜日にムクノキ祭りを開催して本年は5回目だった。

 

午前9時頃から町会の方は境内に屋台等の準備が始まり午前10時からご本堂で護摩祈願。

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本日、副住職は関係寺院での帰敬式のため不在で私一人で太鼓を含む護摩修行となった。

 

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湿気が多い為か内陣は結構煙が、、、、

 

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ご祈願後に椋の木ににまつわるお話をさせていただき椋の木にご挨拶。

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町会役員の方や町会会員の方も御神酒を振る舞った。

 

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その後、境内ではムクノキにまつわる紙芝居とポップコーンや綿菓子のプレゼント。

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町内には新しいマンションも建設され新住民になられた方もこのような活動を通じでこの町が故郷と感じていただける日が来ると確信。

 

役員の皆様、ご苦労様でした。


参道「手水舎」

先ほどもお伝えしたが明日は表町町会主催のムクノキ祭り。

境内にも屋台が出店されるとのことで参道の「手水舎」を改めてご紹介。

 

以前にもお伝えしたが 澤蔵司稲荷  参道右手の手水舎。

 

実は傳通院の十一間四面の本堂は明治41年12月3日夕方出火。

当時の新聞では第四消防署(現在の小石川消防署)や二番組消防手により懸命な消火に努めたが残念ながら本堂は全焼、庫裏の大半も焼失。無事だったのは山門・鐘楼のみで有ったと報じられている。

 

その後、 澤蔵司稲荷 に一人の宮大工が現れ「酒と飯」を毎日提供するならば傳通院本堂の火を被ったが焼け残った木材(欅材)で手水舎を建てるとの申し出が、、

二年間を費やし明治43年に完成と伝わる。

確かに手水舎の水盤には明治43年と刻されている。

 

傳通院 本堂は享保年間に二回大火に遭っている。(伝通院HPより)

明治41年までの本堂は享保10年(1725年)に再建された。

現在の水舎の欅材は292年前の建築当時の建材。

 

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お陰様で昭和20年5月の大空襲でも焼けずに現存。

ただ7年前の東日本大地震で各部に緩みが、、

屋根も傷んでいたので先年の本堂改修工事の時に合わせて屋根瓦を全部取り払い正面の広小舞(見切り)や破風部分等は木材も新調して修復。

ご覧になりにくいが庇(ひさし)小舞の下の二層垂木(たるき)の間隔も遊び心満点。

 

屋根の重さに比べ4本の柱が細いのでジャッキアップをして耐震性を高めるために基礎工事も、、

柱下部には正面を除き同じく欅材で補強。

 

先日から正面左右に、、、

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手拭いの名前や纏からどなたの奉納かは直ぐに分かった。

粋な計らいに感謝。

(5月20日 追記)

 先程、二番組(な組)の頭(副組頭)がお出でになったのでお聞きしたら正式には「招き手拭い」と称する奉納手拭いとの事。

 御殿町組頭が永楽家(三区)と下町(六区)の組頭と共に染め上げたとの事。

 

 

手水舎正面虹梁の上の蛙股部分には特殊な彫刻が、、

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太田道灌公が鷹狩りに出かけ強い雨に、、

近くの農家を訪ね「箕傘」の提供を依頼すると農家には「箕傘」が無く娘さんが替わりに「山吹の花」を。

歌と共に、、  「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき」

その場面の彫刻が、、

 

実は当稲荷には太田道灌公の念持仏とされる十一面観音様が御神殿のお厨子に安置されている(非公開)。

 

当時、建築に携わった宮大工さんはご存じでこの彫刻を、、、

よくご覧頂くとその情景がおわかり頂けると思う。

 

また手水舎の他の三面にも獅子が牡丹の花と戯れている彫刻が、、

 

北側(左側)

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東側(裏側)

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南側(右側)

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四方の木鼻

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固い欅材に細かい彫刻まで、、、 

本当に宮大工さん、お一人の作業だったのか、、

 

修復の時に全て水洗いをして面取りも白の顔料で塗り替えた。

 

昨年2月2日のブログ

  http://blog.takuzousuinari.com/?day=20170202

        この手水舎や常夜灯のご説明もある。

 

それほど大きな手水舎では無いがゆっくりご覧頂きたい。

 

 


「板碑」の備忘

明日、午前10時から地元・表町町会主催の「ムクノキ」祭りを開催予定。

澤蔵司稲荷ご本堂で護摩祈願のあと「椋の木」にご挨拶。

境内には屋台も、、、

 

以下、一昨年に境内整備の折に発見された「板碑」(いたび)の備忘。

 

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一昨年4月に 澤蔵司稲荷  本堂修復工事が一段落して境内整備の時に偶然確認された二基の「板碑 いたび」

文化財的には「板碑」のジャンルになるようだが「板石塔婆」

 

一基は本堂東側の鎮守の杜の地蔵様の台座、もう一基は普段お詣りを頂いている禊ぎ観音様の直ぐ後ろの地面に刺さった状態で、、、

どちらも鎮守の杜に守られ昭和20年5月25日の空襲の火災は免れた。

 

職方から「どうしましょう?」と尋ねられ本堂脇に立てかけて貰った。

たまたまこの「板碑」等に詳しい方がお詣り来られ「貴重なものですから」と仰り教育委員会文化財係にご連絡。

翌日、学芸員の方が来られて「本物です!」と鑑定にお持ち帰りに、、、

 

ただ近隣の再開発の場所での発掘調査で大変お忙しく鑑定結果は昨年1月下旬に持ち越された。

 

果たして古い方の一基は南北朝時代の北朝「暦應4年 1341年)、もう一基は室町初期の「永享10年 1439年」と判明。

 

板碑は鎌倉時代、南北朝、室町時代の戦乱の時代に武士の間で戦で亡くなった仲間の追善や自身を含め家族の安泰を祈念して奉納されたものと伝わる。

 

鑑定結果と共にお持ちになった学芸員の方からは古い物なので風化防止、盗難防止の為に室内保存をとの御進言。

 

1

 

将来、記録として発刊される区内文化財の書籍に記載されるようだが、、

 

簡易の鑑定書

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ご説明では 澤蔵司稲荷 の東の低地には千川(谷端川)に沿って街道が有り間違いなくこの境内に奉納されたと、、

ただ江戸の大火や空襲等の火災で昔の姿で現存する物は文京区では少ないと、、

 

不思議な事に古い方は浄土宗第七祖聖冏上人がお生まれになった年。

 

二基目の板碑は太田道灌公が永享4年(1432年)にお生まれになった7年後の永享10年(1439年)

 

太田道灌公は「山吹の里」でも有名だが江戸城の前身である千代田城築城を長禄元年(1457年)に始められ築城中に乾(北西)の方角に光をご覧になり稲荷を建立したとある(現在の武道館付近)。

 澤蔵司稲荷 の御神殿・お厨子には太田道灌公の念持仏と伝わる十一面観音菩薩像も奉安されている(秘仏・非公開)

 

この二基の板碑はあの戦国の時代、聖冏上人が小石川談所、後の壽経寺の開創、お弟子の第八祖聖聡上人の増上寺建立を目撃された。

 

 

 

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2017年2月22日のブログ

 

昨年4月に境内の整備中に発見され1月末に区の教育委員会文化財係の学芸員の方が鑑定書と共に自坊に戻ってきた「板碑」

 

板碑

包装された紙にも拡大した鑑定結果が添付されていたので本堂でご覧いただいた。

 

右は「暦應4年」(1341年)北朝時代(南北朝時代)

左は「永享10年」(1439年)室町時代初期の造立と判明。

            室町時代は應永(1394年)から、、、

            その後、応仁の乱も始まりまさに戦国時代へ、、

 

不思議なご縁で暦應四年(1341年)は浄土宗第七祖聖冏上人がお生まれの年。

 

聖冏上人は浄土宗が東国では「遇宗」「不庸宗」と呼ばれ我こそはと群雄割拠の時代に現在の浄土宗の宗脈・戒脈を整えられ五重相伝も確立された。

應永22年(1415年)現在の播磨坂付近の極楽水に傳通院の前身である壽経寺を建立する前に既に「小石川談所」として草案を建立。

小石川談所は壽経寺の建立の10年以上前にさかのぼる、、

 

現在の大本山・増上寺を明徳4年(1393年)建立された聖聡上人はお弟子様。

増上寺に現存する聖聡上人直筆の小石川談所の署名がある木版本「阿弥陀経本」にも、、、

 

今回、慈眼院・澤蔵司稲荷から見つかった二基の「板碑」は小石川談所、壽経寺建立、増上寺建立とあの時代を全て見守っている、、

 

670年ほど前の戦乱の時代に建立され鎮守の杜に守られ江戸の大火、関東大震災、昭和20年の空襲でも焼けずに残ったことに感謝。

 

申し訳無いが学芸員の方からも境内では風化や盗難等の事もありしばらくは非公開なのでご了承願いたい。

 

 


江戸町火消 元・六番組 定式(月例会)

毎月、お伝えしているが江戸町火消し「六番組」であった「元六番組」「元六睦」の月例会。

六にちなみ毎月六日に澤蔵司稲荷書院で開催されている。

 

所属、元・六番組の頭取中(組頭・副組頭・小頭) が集まる。


江戸時代の町火消しの組織「いろは四十八組、本所深川十六組」は明治時代になり明治5年に「市部消防組」として改編。

その後、近代消防に移行したことに伴い江戸時代の火消しの文化・伝統等を継承する為に江戸消防記念会の前身組織が明治後期に組織された。
現在の「一般社団法人 江戸消防記念会」は 全体で11の区で組織されている。

 

 

小石川の地元は現在、江戸消防記念会第四区で二番組だが江戸時代には六番組「な組」として町火消しを担っていた。
その江戸時代の「六番組」はその組織を継承するために現在でも「元六番組」「元六睦」として現在の江戸消防記念会第四区とは所属がダブる組とダブらない組もあるが受け継がれている。
第四区では「な組」(現・二番組)「む組」(現・七番組)「う組」(現・二番組)が所属。
第三区と第九区の一部が近年復活して組頭・副組頭・小頭等30名ほどの頭取中がお集まりになるので書院も手狭、、、
 

1

我々は会議での開式・閉式はお十念だが頭取中は開式は「お手がしら拝借」の一本締めで開始される。

閉式も同様。

 

一ヶ月間の報告や御礼、昇進のお祝い等が、、、

本年は江戸町火消が制定されて三百年の年に当たり先日の3日(日曜)には東京ビッグサイトでの「東京国際消防防災展2018」にも出陣して木遣や梯子乗りのお披露目もあった。

 

先日のブログ        http://blog.takuzousuinari.com/?day=20180603

 

一本締めで閉式後、本日は各区が集合する向島・三囲神社へ向かった。

本日は正午頃に気象庁から関東も梅雨入りとの発表があったが朝から小雨が降っていた。


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袢纏の腰の部分の白抜きの本数で何区か識別できる。
第四区は四本、第三区は三本、第九区は九本。
奇数の区は直線で偶数の区は曲線で波打っている。
 

役袢纏の白抜き四本は第四区の頭取中


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毎月お疲れ様です。

 


東京国産消防防災展2018 & 施餓鬼法要

昨日お伝えしたように東京ビッグサイトで「東京国際消防防災展2018」が開催されており本日が最終日。

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今朝は5時半過ぎに地元・江戸消防記念会第四区の総代、組頭、筒先・道具中が境内に集合して本梯子・纏を車に積み東京ビッグサイトに向け出陣。

会場での梯子や木遣りの演技はプログラムでは10時から開始。

 

お昼前には境内に凱旋。

総代から労いの言葉と親聲会会長からも挨拶があり一本締めで無事お開きに、

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纏もトラックで凱旋。

車に同乗していた本梯子は既に境内奥の倉庫へしまわれていた。

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総代・組頭から記念品のおみやげを、、、

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手拭いは本日一日だけ限定との事。

江戸町火消誕生300年を記念して制作された。

早速、本堂の木遣不動尊前にお供えをさせて頂いた。

 

「江戸消防」のパンフレットも、、

木遣り・梯子乗りを紹介したページ

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袢纏等を紹介のページ

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昨日のブログ  http://blog.takuzousuinari.com/?day=20180602

 

 

午後1時前には法類寺院 真珠院のお施餓鬼法要へ

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晴天に恵まれ多くのお檀家様がお詣り下さっていた。


東京国際消防防災展2018

現在、東京ビッグサイトで開催されている「東京国際消防防災展2018」

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明日は最終日で江戸消防記念会の演技も披露される。

 

先日から書院で木遣りの稽古や境内では梯子乗りの稽古も行われていた。

 

夕方、仕事が終了した第四区木遣親聲会の筒先・道具中は境内に集合して裏の倉庫から東京消防庁新年出初め式でも披露される三間半の本梯子の締め直し作業。

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4月の稽古の始めの時にも締め直しがあったがやはり湿気等で緩むので今回も、、

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プログラムを拝見すると明日は会場で午前10時からの演技のようで境内に午前6時頃に集合して出陣するようだ。

 

是非、日頃の稽古の成果を見事に演じて貰いたい。

 

 


月例 大護摩厳修

澤蔵司稲荷では毎月一日(ついたち)午前6時から大護摩を厳修。

 

毎日御奉納される護摩木をお炊き上げする。

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初午や節分追儺式、春秋の例大祭での大護摩では御信者様が多くお詣りなので内陣までお入り頂けないが例月大護摩では燃えさかる炎のそばにお近づき頂くことが出来る。

 

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ご挨拶後の護摩の釜

普段は本尊壇のみだが修行の時は六壇焚くので護摩壇の釜の直下には水を入れたすり鉢を置いた。

現在は釜が直接護摩壇に触れないように厚さ1冂の耐熱のシートを施してある。

直接だと真鍮プレートの下の木製護摩壇が高熱で炭化してしまう。

 

午前中は朝食後、近隣の御信者様の会社、店舗、ご自宅等へお詣り。

 

昼前に戻ったが既に気温は26度C程に上昇していたが湿度が低く楽だった。

 

作務衣に着替え緑の濃くなった境内へ。

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「お穴さま」

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この霊窟の御堂や鳥居、周りの江戸時代からの崖地も昨年御信者様のご協力で整備された。

老木の太い枝にも強剪定をかけたので日差しが入るようになった。

 

鳥居の御奉納はまだ場所があるので受け付けは継続中です。

 

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昭和20年5月25日は都内では最後の山手大空襲。

大変な焼失面積を出した山手大空襲でもこの鎮守の杜に守られ境内の半分は焼失を免れた。

この場所に立つと体感温度は日向と比べ遙かに低い。

 

この霊窟の崖地は江戸時代に富士山の墨石(火山岩)で整備され明治時代にも整備された記録が玉垣等から読み取れる。

その崖地を昨年整備。

崖部分にあった朽ちた大木も危険防止の為に抜根。

その時に見つかった焼けただれた根。

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多分、この大木はあの空襲での延焼をくい止めた最後の砦と思慮。

植木屋さんにはこの部分だけ処分せず残して貰い本堂脇に置いてある。

73年前の証言者。

 

毎年、5月25日が来ると境内の緑はどの程度茂っていたか見る癖が付いている。

 

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梅雨入り間近の貴重な晴天。


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