防犯パトロール

昨晩、書斎に居たら拍子木の音が、、

 

地元・表町町会有志に寄る「防犯パトロール」

曜日・時間帯は存じ上げているが防犯パトロールなので、、、

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ここのところ多忙でお会いできなかった。

昨晩は久しぶりにお出迎え、、、 ヘルメット着用になったとの事。

自坊には山門が無く夜も自由にお参りできるので気が付いたときは境内でお出迎えしている。

せめてもの恩返し。

 

年末、「火の用心」のパトロールを実施している町会は多いが地元・表町町会は一年を通して、、

 

この拍子木の音を聞き心して戸締りや火の元を確認したりお独り住まいで足のご不自由な方も安心されているのでは、、。

有難いことだ。


お陰様でお盆の棚経も、、、

全国的にはお盆は8月。

お施餓鬼法要は教義的に日時の決まりがないので一年中いつ厳修してもかまわないがお盆に関しては旧暦の7月15日前後。

 

東京だけは様々な理由でこの7月13日がお盆の入りで迎え火を、、

 

私も今月に入ってからはこのお盆中に棚経でお詣りできないちょっと遠距離にお住まいの檀信徒様のお宅にはお邪魔をしていた。

13日からは副住職共々本格的に、、

 

九州福岡・大分県や一昨日は愛知・岐阜県でも記録的な豪雨が、、

その為、まだ梅雨明けの宣言は気象庁から発表されていないが都内は連日猛暑。

本日も多忙で分からないが32~33度になったのでは?

 

福岡・大分県では地元をはじめ近隣の県からの警察・消防の方々、全国から自衛隊の隊員の方々も猛暑の中で制服姿で救命・救援に携わって下さっている。

何故、メディアはもっと取り上げないのだろうか?

 

 

お陰様でなんとか無事にお盆の棚経は勤められた。

 

とんでもないセキュリティー完備のマンションのお宅や昔ながらの盆棚(精霊棚)を設えたお宅。

ご高齢のお一人住まいでエアコンが有るのにお使いにならず熱中症の心配で水分補給ね!転んで怪我をしないでね!とお伝えするお宅も、、、

 

本日は新盆を迎えたお宅二軒も、、 最初のお宅は暑いのに全員喪服、お孫さん達は学校の制服でお待ち下さっていた。お孫さんのお一人は私の中学・高校の後輩で盛り上がってしまった、、

 

特にご高齢の方は以前は頻繁にお詣り下さっていたが90歳を越えるとなかなか難しい。

久しぶりにお会いする方も、、、

やはり棚経でお伺いする事も大事だなと改めて実感、、、、

 

私も約半世紀、棚経にお邪魔しているのでお位牌を拝見すると既に先代・先々代とお浄土に旅立たれたお宅も。

 

夕方、副住職と帰寺。

境内では蝉の声が、、

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現在、再建中の霊窟お堂の工事もお盆休み。

手前参道の両脇の四角く囲まれた場所には鳥居が、、

近々、一本が建ったら写真を撮り9月の 澤蔵司稲荷  秋季例大祭のご案内と共に鳥居の勧進のお願いも予定。

 

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昨日初めて聞いたが啼きだした蝉はいきなりアブラ蝉とミンミン蝉、、、

昔は最初はニイニイ蝉、次がアブラ蝉、ミンミン蝉、、、オーシーツクだったのだが、、

温暖化のせいか??  ニイニイ蝉はほとんど聞く事が無い、、

かわって南方や西日本にしか生息していなかったクマ蝉も啼くようになった。

 

PS

この22日・23日は第32回文京 朝顔・ほおずき市開催

明日でも改めて詳しくご紹介予定。

 

 

 

 


お盆の棚経も本日からは本格的に、、

お盆の行事はお釈迦様のお弟子であった木蓮尊者の求母の伝説により伝わり日本では旧暦の7月15日に厳修されるようになった。
旧暦の7月15日は現在のカレンダーでは8月中旬頃。
しかし東京だけは7月の15日前後がお盆となり本日が「お盆の入り」

都内の多くの寺院の御住職方は本日から本格的にお檀家様のお宅に出かけお仏壇の
前でお盆のご回向。

私も副住職の運転でお詣り。
午前8時に出発して日本橋→深川→本所→向島→浅草→鳥越→御徒町→駒込→地元と
午後2時過ぎまでお檀家様のお宅へ、、

東京地方はここ数日は30度を超えるも真夏日が続き本日も31度ほどになったのでは、、


押上・現在の東京スカイツリー駅付近、、
棚経
この時間帯はちょっと雲が多かった。


午後2時過ぎに一旦帰寺。

遅い昼食後は目白方面へ、、、

目白のお宅では玄関に到着すると既に「迎え火」が、、
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お檀家様の仏間。
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毎年13日の夕方には迎え火も済まされ曜日に関係なくご家族・ご親族10名様ほどとご一緒にお詣り。

盆提灯は沢山お飾りしてあるが実際にはこの倍ほど有るとお聞きした。
全部お飾りすると広い仏間だがご家族やご親戚が座る場所が無くなる、、
もう40年ほど先代住職に替わり伺っているがいつも設えは一緒。


帰寺してから我が家でも「迎え火」
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我が家では玄関先でご先祖様が早く戻られるようにと迎え火を焚く素焼きの「焙烙」の
傍にはお馬さんを置く。

今晩は外孫が作ったキュウリのお馬さんも、、、

キュウリのお馬さんには大きなお目めも、、(^^♪


送り火の時には牛さんを、、、、

お仏壇前の盆棚の設えや迎え火の習慣は日本各地で様々、、、、
明日も棚経が続く。


霊窟(お穴)のお堂工事 足場を撤去

一昨日お伝えしたように霊窟のお堂再建工事も順調に、、

午前中はまだ足場がかかり作業中だった。

 

昼頃の仕事が終わり午後お穴へ

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既に足場が取り払われ全貌が、、、

鈴を鳴らす鈴紐も、、

 

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木工や板金工事もほぼ完了。

 

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正面の鏡石の周りは墨石なので手前側両脇の二本づつの柱で支える構造。

 

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唐破風の下に設置された雲形や蛙股の下の雲形にも稲荷紋の素晴らしい金具も、、

 

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完全に再建の工事だったが棟梁や大工さんの心意気で唯一古いお堂で不朽せずに残った雲形を削り再利用。

 

今後は垂木の小口や蛙股、雲形に白色の塗装や電気工事も、、

 

お堂の内部には小田原提灯の形に似た真鍮製の飾りも備え付けられる。

 

窪地に有り上部は大木に覆われている環境なので屋根の材質や雨水の始末にも気を遣い様々な配慮が有った。

 

工事中にも多くの参拝の方や史跡巡りの方々にご不自由をおかけしたがもう一息。

 

お盆明けには参道に鳥居も建てられ徐々に霊窟のお詣りの場所が蘇ると思慮。関係の方々にも感謝。

本日もお陰様の一日。

 

明日からは本格的にお盆の棚経が始まる。

 

 

 


世田谷区喜多見 慶元寺 施餓鬼法要説教席

本日は世田谷区喜多見の慶元寺のお施餓鬼法要の説教(法話)席を頂いていた。
梅雨の中休みか正午前に出かける頃には既に30度超。  連日猛暑。

高速道路もお陰様でガラガラだったが首都高3号線は渋谷の先で中央環状線が完備されたので東名高速への下りは大崎JCTで合流がある為にこの区間だけ渋滞が発生するようになった。

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3号下りはあまり都心部からは関係ないが東北道や湾岸線への表示が、、、

逆に上りは中央環状線経由で湾岸や東北道へ都心環状線を利用せず行けるようになった。

その為、自坊に帰るときには都心環状線、谷町JCTへの渋滞は激減した。

 

用賀出口付近
用賀

予定よりも早く45分ほどで到着。
時間に余裕が有ったので境内のお詣り。

慶元寺参道。
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世田谷の古刹なので境内も広大、、 暑かったが木陰でちょっと涼しげ、、、

 

参道横の江戸太郎重長公にもお詣り
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江戸氏は慶元寺の開基とされ太田道灌公の時代に活躍。

江戸時代に江戸家から喜多見家に改姓された。

江戸の地名(名称)の原点となったお名前。

 

開創された頃は天台宗だったが江戸時代に改宗され三代将軍家光公から朱印状を拝命された古刹。


山門

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参道の中間なので昔は「中門」だったか、?
宝暦5年(1763年)建立と伝わる。250年ほど前の建立、、

額には山号の「永劫山」と刻まれていた。

 

ちょうど境内の慶元寺幼稚園の降園時間と重なりチビちゃん達も、、、

広大な墓所の奥には立派な三重塔
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境内に10年ほど前に新築された「薬師堂」
薬師堂
斎場等にも使われる多目的の御堂と以前お聞きした。

 

境内にはお盆の14日・15日に開催されるみたま祭り盆踊りの櫓も、、

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櫓の最上部は太鼓で下はチビちゃん達も浴衣姿で上り踊りがご披露できるようだ。

 

その脇の鐘楼堂

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こちらも約250年前に山門と同じく建造された。


慶元寺ご本堂
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享保元年(1716年)の建立されたと伝わる世田谷区では最古の木造建築。
ちょうど300年ほど前。

慶元寺さまには飛び地の喜多見不動尊の冬至に厳修される「星祭り」の護摩修行には昭和50年頃から30年以上お招きを頂き太鼓を叩いていた。

およそ25年ほど前に再建された書院。
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落慶式の時には御案内頂きお祝いにお邪魔をした書院の玄関、 立派。

午後1時半から一時間の時間を頂きお説教(法話)。
ご本堂には詠唱の方々も多く喜多見不動尊の護摩供(星祭り)でお会いした懐かしいお顔も有った。

午後3時頃においとましたが帰路も高速道路は渋滞もなく50分ほどで帰寺出来た。

ただ表通りに出るまでは難しい複雑な小道、、、

毎回、ナビの案内が異なる、、、、

3年ぶりのお説教席を頂戴したが無事にお伝えできお陰様の一日だった。

PS

帰寺して霊窟のお堂を見に行くと様々な飾り具等々も設置作業が終わっていた。

明日ご報告予定、、、
 


お社再建工事もいよいよ佳境、、、

霊窟お社再建工事も昨日もお伝えしたが木工工事(建方)はいよいよ佳境。

 

今朝から大工さんは唐破風に雲形の板(飾り板)を取り付ける作業

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昼過ぎの様子

微妙なカーブに会わせるので結構時間がかかったようだ。

 

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唐破風中央、四本の飾り釘の下に、、、

 

6月7日に立柱式

柱が立ち上がり全貌が予想できるようになったのが6月16日、

6月16日のブログ  http://blog.takuzousuinari.com/?day=20170616 

 

まるまる一ヶ月が経過したので新しく彫刻された雲形の飾りは柱や蛙股等と比べても真新しい、、

 

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一般の住宅のように細かい設計図や完成図がないので日々の変化が楽しみになっていた。

独立したお堂ではなく自然の崖地を背負っているので現場合わせのような場面も、、、

 

この微妙な曲線に合わせて作業場で作り搬入されるのか不思議、、、、

 

明日も楽しみ、、、

 

 

都内は本日も気温30度を超え32度ほどに、、、

数日前に花屋さんから頂戴したハイビスカスの一種、ボレアスイエローも満開

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暑中見舞いで、、

 

ハイビスカスは一日限りの花のようだが数日間咲いているとお聞きした。

ハワイや南国の花と思っていたが品種改良は欧州のようだ。

夏場の日中は少し日陰の方が良いとも、、明日から気をつけよう。

寺の玄関がイタリアンやハワイアンレストランのようになるのは好みでないので家族が出入りする庫裏の玄関で楽しませて頂いている。

これはあくまで私の好みですので、、、、


霊窟 お社 再建工事のご報告

昨日夕方は来客でアップ出来なかったので本日ご報告。 

 

ご報告の通り一両日は大工さんのお堂工事は小休止で本堂回り廊下の補修作業だった。

気がつかなかったが屋根の板金工事の職方もお出でになっていたようだ。

 

昨日、午後4時頃に本堂の方から覗くと、、、

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すっかり屋根の板金作業が終了していた。

腐食に強いステンレス製の板にこのような色合いの焼き付け塗装がされた物で、、、

小型のお堂でかつ唐破風なので屋根の湾曲がきつい為に片側8枚の若干幅が狭い

一枚板で、、、

 

屋根中央には最後の棟木も乗せられていた。

 

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細かい仕上げはまだのようだがこの棟木にも屋根と同様のステンレス板で覆い飾り物が正面に設置される。

以前と同様の唐破風の屋根だが入母屋にしなくてヨカッタ、、、

やはり風格はこの姿の方が趣と重厚さがある。

古の人はよくこのようなデザインを考えたと思う。

入母屋よりも木工での野地板の設置や板金作業も手間が大変だが、、、

 

唐破風の板の中央にも雲形に彫刻された飾りがつく。

完成後の全体像が掴めるようになった。

 

不朽したお堂を解体したのは5月だった。

 5月12日の解体祈願のブログ http://blog.takuzousuinari.com/?day=20170512

 

もうすぐ二ヶ月、、、

 

PS

既にお盆の棚経のお詣りも開始。

16日のお盆明けからも浄土宗ではお施餓鬼法要が連日のように厳修されお説教席にも出かけ不在が多い。

 澤蔵司稲荷 ご本堂でのご相談もお休みがち、、

お電話でご確認頂きたい。

 

 

 


今朝の東京新聞に「小石川散歩」のご紹介が、、

今朝、私は不在だったが新聞配達の方が東京新聞の朝刊を数部お届け下さった。

 

7月8日付けの東京新聞最終ページには「東京どんぶらこ」と呼ばれる連載の都内お散歩コースで「小石川」が全面で。

 

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東京新聞は「したまち支局」が浅草雷門にあり様々な行事等でも取材を頂く身近な存在。

今回は取材はお受けしなかったがもうお判りなのだろう、、

電話番号の記載が無くてヨカッタ!

 澤蔵司稲荷 御信者様の和菓子・岡埜栄泉、料亭・岡埜荘のご紹介も、、、

 

記事の「今昔記」にはお隣の露伴邸にお住まいだった幸田文先生の事も、、

浴衣姿で玄関先やムクノキ側の歩道を竹箒で、、、 良く立ち話をさせて頂いた。

青木玉先生も同様、、お掃除や雪かきの姿も文先生とダブってしまう。

 

お伝えしているようにブログではフォトのアプリで横幅500ピクセルに縮小しないとアップ出来ないのでご了承を。

そのうちバージョンアップされると思うのだが、、

足かけ13年のブログでサービスが始まった直後の契約だったので広告が入らないサービスは無料で、、、

現在、新規契約は有料だが、、、

 

また昨日、今月22日・23日に開催される第32回文京朝顔・ほおずき市もポスターやパンフレットが実行委員会の方がお届け下さった。

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お盆が明け市が近づいたら境内の催し物のタイムテーブル等はご紹介予定。


二十四節季「小暑」&七夕

本日は暦の上では二十四節季の「小暑」と「七夕」が重なった。

今晩はどんな夜空に、、、、

 

日頃お世話になっている地元の二番組「御殿町」組頭から有難いお中元。

ガーゼ地のハンドタオル。

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皆様も必携品だろうが私も着物の時は袂に汗拭きのハンドタオルや食事等でのひざ掛け用に手ぬぐいを入れてる。

 

このハンドタオルは汗を吸い取りやすいガーゼ地で粋なデザイン。

「輪つなぎ」のデザインは江戸町火消「な組」を象徴する。

役半纏ではなく「な組」の総形半纏には必ず描かれている。

 

新年に頂く「手ぬぐい」もご紹介。(以前にもご紹介したが、、)

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下は御殿町組頭から頂いた今年の手ぬぐい。 毎年デザインが違う。

上は江戸消防記念会の手ぬぐい。

右上から横に加盟11区、各組の纏(まとい)のデザインが、、

右から左、二段目は左から右の順。

二段目の真ん中あたりに第四区二番組(御殿町 な組)の纏も、、、

 

早稲田実業の斎藤佑樹投手が甲子園で決勝戦を二回戦い優勝したことがあったがマウンドでポケットから青いハンカチを取り出し顔をぬぐいハンカチ王子と騒がれたことが、、

あの頃、電車のホームで御殿町さんから頂戴した紺色の手ぬぐいを着物の袂から取り出し顔の汗を拭いていたらそばの女学生からニヤニヤと見られたことも、、

 

日頃、重宝に使わせていただいている。

 

 

お穴のお社の工事は本日は小休止。

大工さんは本堂の周り廊下の補修。

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周り廊下は約一寸五分の総檜(ひのき)無垢の一枚板。

特に雨が吹き込み翌日に日が差し込む場所の板には隙間が、、、

 

その隙間を埋める作業

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5ミリ以上隙間ができた部分に、、、

 

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経年変化と冬場の乾燥でもまた縮む可能性もあるが自然木なので仕方がない。

木造建築はこの繰り返しで趣が増す。

 


江戸町火消「元六番組」「元六睦」月例会

いつもお伝えしているが毎月六日澤蔵司稲荷書院で江戸町火消し「六番組」であった「元六番組」「元六睦」の月例会。

「定式」(じょうしき)とも呼ばれているようだ。

毎月、所属の頭取中(組頭・副組頭・小頭) が集まる。
「六番組」にちなみ毎月六の日に例会が開かれる。

江戸時代の町火消しの組織「いろは四十八組、本所深川十六組」は明治時代になり近代消防に移行したことに伴い火消しの文化・伝統等を継承する為に江戸消防記念会として組織された。
現在の「一般社団法人 江戸消防記念会」 全体で11の区で組織されている。

小石川の地元は現在、第四区で二番組だが江戸時代には六番組「な組」として町火消しを担っていた。
その江戸時代の「六番組」はその組織を継承するために現在でも「元六番組」「元六睦」として現在の江戸消防記念会第四区とは所属がダブる組とダブらない組もあるが受け継がれている。
第四区では「な組」(現・二番組)「む組」(現・七番組)「う組」(現・二番組)が所属。


傳通院の本堂や庫裏の火災が明治41年に勃発したがその消火活動に当たったのも二番組だった。
二番組(御殿町)とは様々なご縁を頂いている。

 

今朝は午前10時前に開式。

我々の会議の開式と閉式は「同唱十念」だが頭取中は御手頭(おてがしら)拝借の一本締め、、、

 

今朝は来客と重なり書院での例会の模様は写真に収められなかった。

先月の例会の写真でご勘弁を、、
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来客もお帰りなり月例会もお開きで目黒・祐天寺境内の殉職者慰霊塔へのお参りに出かけるところだった。

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お伝えしているように江戸時代の町火消六番組は明治以降に再編成された江戸消防記念会第四区のみでなく近隣の区所属の組も、、

役半纏の腰の染め抜きは9本なので第九区。

二番・三番・四番の頭中。 腰の染め抜きは奇数の区は横に一直線。

 

第四区と第三区の頭取

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第四区の腰の染め抜きは四本で偶数の区は波を打っている。

各区の頭取中がお集りの席でも一目瞭然。

 

本来ならば江戸時代の各組独特なデザインの総形半纏と思うが役半纏で、、、

総形半纏も粋。 

冬場はこの役半纏の下に重ね着をすることもある。

 

 

午後三時前にお穴様の御社の工事現場へ

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板金屋さんが作業中だった。

 

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東側の屋根は鱗(うろこ)と呼ばれる板もほぼ完成。

銅板よりも腐食に強いステンレス板に雰囲気に合う色合いの焼き付け塗装の板で、、

折り込み部分等の仕上げはまだだったが、、、

 

最上部には棟柱が載り板金作業。

破風部分も仕上げられると屋根も完成か、、

 

この場所はカンカン照りでも大木に覆われ木漏れ日程度。

道路や境内の日向に比べると格段に涼しい。


霊窟 お社 「棟札」奉安

一昨年、 澤蔵司稲荷 本堂内陣に一滴の雨水(雨漏り)が見つかり素人判断では瓦を4、5枚交換すれば大丈夫かと思い始まった屋根の修理工事。

 

昭和33年上棟、同36年に落慶式を厳修した本堂は一度も修理をした事が無かった。

木造建築は丈夫だと自慢をしていた。

 

ところが職方が庇の屋根瓦を剥がすとあちらこちらに腐食が発見され本堂の鬼瓦を含む屋根瓦をほとんど剥がさなくてはならない大工事に、、

 

屋根を支える垂木や野地板も広範囲に腐食が、、

ついでと言ってはなんだが天井裏・床下の耐震工事、耐震壁の設置等、大変な修復工事になってしまった。

書院や庫裏の屋根にも不都合が見つかり修復、境内整備はお穴に大量の水が流れ込まない排水工事迄で金銭的に無理なので停止していた。

 

とても霊窟の整備までは無理だった。

 

今春、日頃お穴様までお詣り頂いている御信者様が霊窟のお社の姿をご覧になり再建の一助と有り難いお申し出が、、

私も心を痛めていたが当初はとても無理で諦めていた。

 

再建工事を始めるに当たっての解体祈願の時のお社。

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倒壊防止の養生でこのような姿だった。

 

解体祈願のブログ http://blog.takuzousuinari.com/?day=20170512

 

 

お陰様で5月に再建・復元工事が始まり連日ご報告の通り順調に作業は続いている。

 

本日は完成間近のお社の天井裏に「棟札」の奉安。

 

まずはご本堂で御祈願。

本日の「棟札」

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ご寄進の方のお名前はお社の柱にプレートをお付けしようと思ったがご辞退。

お名前は棟札にはお載せをさせて頂いた。

この棟札は監督者である眩蔚酋 高柳氏(二番組 組頭)がお書き下さった。

達筆、 墨ではなくエナメルでお書きになったとの事。

 

一般住宅建設の棟上げ式に棟札を書くのは監督者のお役目との事。

 

私も上棟式の御祈願を依頼される事も有るが一般住宅での棟札は拝見した事が無い。

自坊の庫裏新築の時には天井裏の束柱には当稲荷の水引のお札様は大工さんに奉安して貰ったが、、

 

寺院本堂の棟上げ式等での棟札は住職が書くが有り難いご配慮だった。

ご参考に先年の本堂修復工事の時に一旦天井裏(屋根組)から下ろした棟札

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先代住職別当の書。

 

今回は霊窟のお社なので失礼ながら深く考えていなかった。

 

御祈願後にお社へ

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唐破風前面の野地板の隙間から、、

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本堂等大きな建物では棟柱を支える束柱に麻紐等で垂直に奉安する事が多いが天井裏のスペースが狭いので蛙股上部の天井裏を支える柱の上に奉安。

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末永く密閉されてしまうので私はもう二度とお目にかかる事は無いだろう。

 

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唐破風上部の野地板も留められた。

 

その後は屋根を葺く板金工事。

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銅板よりも耐久性があるステンレス板に古代食を焼き付けたようだ。

 

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西側の屋根はまだ二段目、、 上は防水シート。

仕上がりが楽しみ、、、

お陰様の毎日。


本日のお社工事の模様

昨日は午前中から関係寺院でのお施餓鬼法要の出仕と帰寺後は直ぐにお通夜へ、

境内お社の工事は全く見る事が出来なかった。

 

本日、お葬儀から戻り境内へ

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一昨日、作業中だった屋根を形作る立派な檜材で張られていた野地板の作業は終わり防水の為のシートが乗せられ見る事は出来なかった。  残念、、、

 

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台風三号の影響で車の運転中もパラパラと降っていたがタイミングは良かったかも、、

 

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蛙股の裏側にはあえて板を当てずこの位置からも杉板の天井がスッキリとみる事が出来る。

 

明日は台風が心配だが屋根のステンレス(古代仕上げ)が葺かれる前に唐破風上部の屋根との隙間から「棟札」をお納めする予定。


西岸寺 お施餓鬼法要厳修

本日は午前中から慈眼院と法類寺院の西岸寺へ副住職と共に出仕。

 

西岸寺 山門 既にお檀家様はお玄関から書院へお入りになられている時間帯
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午前11時半からは諸仏にお食事を召し上がって頂く「半斎供養」
その後、ご参列のお檀家様も書院で「お齋 おとき」のお食事

出かける頃より気温は既に三十度を超す天候のようだったが御本堂は満席、
午後1時からは同じく法類寺院住職・浄心寺佐藤上人のお説教(法話)

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午後2時からお施餓鬼法要厳修。
御住職による「表白」(ひょうびゃく)の奉読

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本日のお施餓鬼法要の趣旨を述べる。

お経(阿弥陀経)を読誦をしながら行道の散華作法後、外陣飾りの施餓鬼壇へ

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お経(阿弥陀経)を読誦をしながらの散華作法は西岸寺様独自の施餓鬼会・十夜法要会の昔からの作法。

これから東京地方は七月のお施餓鬼法要とお盆の季節に、、、、、

 

本日は午後3時に法要は終了。

4時過ぎに帰寺、その後お通夜に出かけ先ほど戻った。


庫裏玄関前の石榴の剪定

昔はこのあたりのお屋敷の門や玄関の脇に植えられていた石榴(ざくろ)

 

6月頃から長期間に亘り花が咲いては沢山の実をつける。

その為に子孫繁栄を願い植えられていた。

 

庫裏玄関前の石榴の木。

昨日、植木屋さんの作業が早めに終わったので石榴の剪定も、、、

 

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ちょっとタイミングを逸して既に沢山の実がついていたのだがかなりの強剪定。

 

この石榴は奇跡的に昭和20年5月25日の空襲でも焼失せずに残った。

多分、樹齢は100年超。

古木になると幹が左巻きに捻れる。若木の時の幹はつるつる、、、

 

根元の大きな石に寄りかかっているので庫裏の新築工事の時も移植出来ず玄関等の設計変更もした。

 

老木になって少し傾いてきたので添え木(丸太)の依頼もしてある。

 


霊窟 お社(御堂) 再建工事

ここ数日雨模様だったので大工さんの作業は中断だった。

 

本日は日曜日にもかかわらずお天気だったので木工作業が、、、

 

住宅の新築工事等では近隣のお宅には日曜日は作業はなしとの説明があるが境内の中でどなたにもご迷惑をかけないので天候で遅れていた作業が再開された。

 

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唐破風も趣がある姿に。

 

杉板の天井の上に更に垂木が設置され屋根を葺く野地板の設置作業。

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大工さんにお聞きすると檜(ひのき)材との事。

板の厚さは15ミリ程ありカンナで削れば廊下の縁甲張りになるような部材。

この上に屋根を葺いたら見えなくなるのに、、、

監督や大工さんの意気込みが伝わってきた。

 

大工さんの向こうの崖には植木屋さんが昨日伐採してくれた古木の断面が、、、

本当に三日月形の僅かな部分で支えられていた。

確かにいつ転がり落ちてもおかしくな状態だった。

 

参道階段の途中から

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中央の棟木も乗り二重の垂木の上に野地板張られているのがおわかりか、、、

野地板が終了するといよいよ屋根葺きが、、

天井部分の杉板の細かい細工はこの写真ではお判り憎いが、、

これまでの天井裏や屋根のご苦労は全く見えなくなるのでご報告。

 

銅板は意外と耐久性が無いのでステンレス製の古代仕上げの板で仕上がるようだ。

鎮守の杜(文京区保護樹林)に囲まれているので落ち葉が凄い。

 

だんだん完成時の姿が見えてきた。

 


月例大護摩 & 鎮守の杜の古木の伐採

7月が始まりいよいよ本年も後半に、 月日が経つのが本当に早い。

 

本日は午前6時から例月の大護摩を厳修。

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月例大護摩の時だけはお詣りの御信者様でも内陣で護摩壇のそばまでお越し頂いている。2

 

毎月の事だが午前中は近隣の御信者様宅のお社や会社の神棚へのお詣り。

 

 

霊窟が有る鎮守の杜の崖に過去二本伐採して古株だけが朽ちて残っており落下の危険があるとお社の工事と境内整備をお願いしている地元 二番組高柳組頭から指摘を頂いていた。

 

今朝から植木屋さんによる撤去作業が、、

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チェーンソーの音は聞こえていたが多忙で出られず暫くして写真を撮りに行くと一本目は既に作業が終わり二本目の伐採中。

 

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この倍ほどある高さで朽ちたまま崖からせり出していた。

 

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お陰様で二本ともスッキリ。

崖を痛めるので抜根まではしなかった。

 

崖上部から、
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以前はこんな状態

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直下の大きな木は根も朽ちて跡形も無く、、、

左側の木は手前の樹木の葉で見にくいが上の写真のようにわずかに三日月形に伐採の跡が残っているだけだった。

どちらにしても落下の危険がある状況だった。

 

お詣りから帰寺して引き上げられ朽ちた根の部分を見ると燃えた跡が、、、8

 

昭和20年5月25日の山手空襲では傳通院方面から延焼してきた火が鎮守の杜で止まった。

 

先代住職はその時はなすすべも無く大事な本堂が燃えるのを般若心経を唱えながら、、

境内では貴重な手水舎や観音堂、町会の神輿等の倉庫、江戸時代から残る灯籠や石碑等は焼けずに残った。

隣接するお寺の本堂・書院等や北側のお宅も焼けずに、、、

 

先代からは新緑の鎮守の杜の樹木に守られ延焼はくい止めたと聞いていたが焼けた本堂に一番近いこの大木は火を被った事が判明した。

まさに火伏せの大木だった。

戦後、焼けただれた二本は根元を残し伐採されたのでは、、、 私の記憶にはその作業光景は無い。

 

72年前に焼け炭化した様子が初めて分かった。

貴重なので無言の証言として暫くご覧頂こうと保存をした。

 

昨年、境内の整備中に偶然発見された670年程前の戦国時代に奉納された「板碑」もこの近くだった。

火を被らずにひっそりと残っていた。

 

 

 

 

 

 


お社(お堂)工事

本日は梅雨らしい小雨模様。 今朝から湿度も高そうで蒸し蒸しと、、、

 

境内での作業は中止。

昨日までのご報告

1

一昨日には足場がかかり屋根の細かい作業。

前面の唐破風の板と湾曲した二つ目の木材の上に庇となる部分を、、

呼び方をお聞きしたが失念してしまった。

湾曲が有るので細かい寸法の板を組み合わせる作業。

 

2

その板に合わせるように屋根を形成する垂木が二重に、、、

写真ではお分かりにくいが天井部分は杉の一枚板。

大工さんにお聞きすると厚さ1センチほどの板なので屋根に隠れる部分(上の部分)には

1寸程の間隔でのこぎりの目を入れ湾曲させて設置したと。

のこぎりの目を入れないと小さいお堂でこの湾曲に幅1尺以上の一枚板を無理に曲げると割れてしまうようだ。

完成すると当然見えない屋根裏部分。

 

昨日は多忙であまり見に行けなかった、、

3

唐破風も三段重ねになり更に風格が、、

向かって右側はこれからだが重みが違う。

普段なにげにお詣りしている部分だが木工工事には古来からの様々な工夫と技術が、、、

 

4

 

夕方だったので左側の部分は既に野地板(屋根の形の部分)を支える二段目の垂木も設置が終わりシートが架けられていた。

 

明日のお天気次第だが完成した二段目の垂木を見る事が出来るのでは、、、

楽しみ、、、

 

鈑金屋さんが屋根を葺いてしまうとこの作業は全部隠れてしまう、、

 

PS

明日は午前6時から例月大護摩を厳修。

早いもので本日で本年の半分が過ぎる。   


境内の松尾芭蕉翁 句碑

昨日、所用から帰寺すると境内の句碑の前で熱心にメモをおとりになる白髪のご婦人が、、

 

車を降りると素敵な笑顔で「これは芭蕉さんの句碑ですよね?」とご質問を受けてしまった。

お答えしながら自坊のHPをお伝えするとやっていないんですと、、

蚊に刺されながらも楽しくご説明とお話しが出来た。

 

以前にも何回かご紹介をした境内の芭蕉翁の句碑

1

 

「一時雨 礫や降って 小石川」

句の右側には「戸田権太夫邸にて」と刻されている。

 

松尾芭蕉翁(1644年〜1694年10月12日没)は伊賀上野出身で俳諧を志し江戸に、、

当初は神田上水の江戸川堰の工事にもたずさわった事もお有りだったようだ。

三十四歳の時に立机されたとも。

 

この句は同郷の戸田権太夫公のお屋敷(本郷壱岐坂 現在の本郷ハウスの場所)から詠まれた。

本郷台から西側の小石川台の模様を、、

詠まれた年代は延宝5年(1677年)とお聞きしている。

(私は詳しくは無く先代住職から聞いた話ですのでご了承を)

 

確かに私の若い頃は高い建物も無く本郷台の東京大学安田講堂や本郷の旅館街等大きな建物は丸見えで両国の川開きの花火もよく見えた。

 

その後、江戸末期頃?から自坊で芭蕉翁を慕う「芭蕉堂」の句会が開かれていたようだ。

その門人が大正7年10月12日の芭蕉翁の220回忌を記念して境内に建立された。

 

石材は川石でご覧になりにくいが昭和20年5月の山手大空襲でも火を被らなかった。

 

左奥の根府川石の「芭蕉堂」門人が明治45年に建立した句碑のご説明はまた後日。

 

ご参考

以下の写真は1994年に朝日新聞社発行「復元 江戸情報地図」

江戸が江戸らしく整えられた文政年間(1850年代)の地勢と平成3年の現代の地図と重ね合わせたもの。

当時の御府内書上や様々な資料など膨大なものを参考にしている。

御府内の朱引き内をA3見開き(片側A4で1ページ)で36に区切り1/6500で示されている。

江戸城本丸の詳しい間取り等も、、

見ていて飽きない。

2

写真サイズはかなり大きく鮮明なのだが残念ながらこのブログでは横500ピクセルが最大許容範囲で大きいままアップすると自動的に400ピクセルに縮小されてしまう。

 

毎回その為、毎回アプリで横幅500ピクセルに縮小してから載せている。

そのうち改善されると思うのだが、、、

フェースブックは表示は縮小されているがクリックすると原寸で見ることが出来る。

 

江戸の地図にうっすらとドーム球場や現在の道路が描かれているが御覧になりにくい。

江戸の地図には上屋敷は家紋、中屋敷は■、下屋敷は●で示されている。

他にも〇、□等の区別も。。。

 

戸田家と付箋紙が貼ってある場所が戸田邸。

現在は壱岐坂の本郷ハウスがその跡地にある。

 

明治期にいかに多くの道路が現在のように整備されたかもわかる。

 

 

 

 

 

 

 


江戸名所図絵と新撰東京名所図絵

数年前から気になっていた事があった。

 

 澤蔵司稲荷  本堂の向き、、、

 

江戸名所図絵の 澤蔵司稲荷部分の拡大

1

明治十年代に石垣の南側に生活道路として現在の善光寺坂が完成。

その為に若干傾斜の緩かったこの石垣をその時に急傾斜に組み替えて道路を造った。

左隅には「むくの木」も描かれ参拝の方の為にお茶屋も、、、、

 

江戸名所図絵は寛政年間(1789年〜1817年)に御府内の名所の作図が始まり天保年間(1830年〜1844年)頃に発刊された。

境内のこの風景は1800年頃と思われる。

 

本堂は南向き。正面階段から上ると鳥居があるので正面の本堂は 澤蔵司稲荷  の本堂と思慮される。

 

明治中期頃に発刊された「新撰東京名所図絵」の 澤蔵司稲荷  境内。

2

境内には鎮守の杜らしく鳥居の横には砂山が有り子供達が遊び、屋台も、、、

屋台では寿し・甘酒・くず餅・汁粉等が売られており生き生きと、、

萬盛さんが有ったので蕎麦は遠慮したか??

 

残念ながら階段まで描写されていない。

 

実は 澤蔵司稲荷  本堂は江戸時代には西向きに建てられていたようで現在の手水舎の裏側がは月山になっており「旧 社殿跡」の石碑もある。

この図のご本堂からはまっすぐ階段に出られず言い伝え通り参道を右側に行くと階段のような、、、

 

そうなると本堂は西向きで正しいと思うのだが時代の古い江戸名所図絵の 澤蔵司稲荷  本堂は南向き、、

 

新撰東京名所図絵の鳥居の横の春日灯籠は似たものが現存する。

3

現在の参道脇、、建立は文化14年(1816年)と刻されている。

 

明治初頭は既に南向きになっていたと思うのだが、、

灯籠はそっくりなのでいい加減に描いたとは思えないのだが、、、

 

開創の頃から慈眼院の本堂は南向きで 澤蔵司稲荷  本堂は傳通院鎮守として鬼門を守るために西向きも理解できるのだが、、

 

江戸時代の古地図も 澤蔵司稲荷 と慈眼院と混同している表記があるので、、、

 

検証する楽しみは続く、、、、


本日も境内 お社の工事

本日も朝から大工さんが、、

1

 

これからは屋根を葺く前の野地板を作る作業に、、

2

切り妻の屋根ならば直線的なので材料費も手間も時間も違うが、、

朽ちて解体する前のお堂もこの唐破風と全く同じだった。

やはりお堂の風格としては断然、、

古の人はこのような小さなお堂にでも拘りが。。。

 

唐破風の曲線に沿って組まれた垂木には天井の板が既に完成していた。

3

お堂の中に入らせて頂くと湿度の影響か檜(ひのき)の良い香りが、、、

 

腰板はまさに下半分なのでお詣りの時には周りの墨石の雰囲気も味わう事が出来る。

4

本堂の改修修復工事の時に宮大工さんの作業は充分に拝見したが木工事は素晴らしい。

 

5

本堂前の境内からお穴様に降りる階段の途中から、、

お堂の基礎部分は自然石ばかりなので屋根の工事、板金工事の為に足場用のパイプも、、

 

これからが楽しみ、、、


両国 穂乃香

昨晩は午後7時集合で両国(墨田区緑)の蕎肆「穂乃香」へ

1

前から気になっていた蕎麦屋さん

 

メンバーは普段様々なシーンで会っている仲間だが一人が4月に浄土宗総本山知恩院で大役を立派に務められその慰労も兼ねていた。

5月はお施餓鬼会の行事で儘ならず6月にと決めていたが時間調整が難しく昨晩になってしまった。

 

勿論、お寺の行事、結婚披露宴、祝賀会等々で顔を合わす機会は多いのだが個人的にゆっくり時間を作ったのは初めて、、

本当に長いお付き合いなのだが、、、

 

まずは蕎麦前の一献


2

沢山注文

私の三点盛りの小皿はホタルイカの沖漬け、わさびの醤油漬け、鯛わた、

他にもししゃも、江戸千住葱のぬた、焼き味噌、等々

まだ有った、、湯葉、蕎麦のサラダ、

3

蕎麦前の肴にはどれも美味しく冷酒もついつい、、、

 

皆、蕎麦好き。

かつ若い頃からの趣味も共通するものが沢山。

 

ただ少人数で食事をする機会は何故か皆無だった、、

 

若い頃の危なっかしい出来事や現在までの話で盛り上がり蕎麦前のお酒も進み三時間があっという間、、

蕎麦屋さんでこんな長時間、蕎麦前や〆の蕎麦の手繰りまで味わい楽しく話し込んだのは初めて、、、

 

〆のせいろ

4

よく呑みよく食べた、、

 

本当に楽しい時間だった。  お陰様でした、、、、


地元 「三盛会」の「三盛まつり」開催

自坊も会員に一応なっている地元・傳通院前商店街の三盛会の「三盛まつり」が傳通院境内で開催された。

協賛もさせて頂いているが開催は日曜日なのでお手伝いも儘ならず。

 

朝から梅雨空で心配していたが予報通り開催時間の正午頃には雨が上がった。

 

ご本堂等の法務も有り一段落した午後2時半過ぎにちょっとお邪魔。

1

しかし写真を撮る時にいつも感じるが電線が邪魔。

折角の山門が、、、

まあ国道や都道が優先されるので地中に収まるのは相当先か、、

 

2

 

3

終了間近だったのでフラダンスや太鼓のアトラクションも既に終わりお買い物だけの時間になっていた。

一部では後片付けも、、、

 

4

 

アップ中の現在(午後3時45分)も曇天だが雨が落ちていない。

多分、後片付けの今頃も大丈夫でよかった、、


知恩院 御影堂の平成大修理

浄土宗総本山知恩院の国宝御影堂の8年懸かりの大修復工事。

 

やっと9万枚とも言われる瓦も葺き替えられ屋根に関しては最終工程に入ったようだ。

 

先日届いた「華頂 7・8月号」から

1

棟瓦にも謂れがある。 敢えて葺き残した瓦、、

 

私も棟瓦のご寄進もしたがどこに、、、

 

 

寄進にお邪魔をした時の写真(2015年5月15日)

 

工事中の御影堂はスライド式の素屋根に覆われていた。
素屋根

宗祖800年大遠忌に向け修復された北側の「集会堂」には修復中の御影堂の法然様の御尊像が遷座されている。
その為に工事中は集会堂は「法然上人御堂 みどう」と呼ばれている。

瓦寄進
ここで御影堂の「棟瓦」や「瓦」の御寄進。

申込み後は副住職がいつもお世話になっているY師の御配慮で平日は工事中で入れない素屋根の中に、、、、
素屋根2
若い職人さんが多く驚いた。

国宝なので元通り修復しなければならない。
解体しなければ分からない修復使用不可能な柱は同様の丸太(部材)を調達するのも大変だったのでは、、、、

工事現場なのでヘルメット着用、、
素屋根3

間近にみると本当に大規模、、、、、
素屋根5
大殿(御影堂)西側。

 

以上は2年前の写真。

 

巨大な素屋根はもうすぐ取り払われるよう。

まだ堂内の様々な修復が行われている。
 

 

 

 

 


日記  愚息の京都みやげ

副住職は三泊四日で旧都へ。

 

浄土宗総本山知恩院山内寺院での二泊三日の研修会。

その後の一泊は別の研修会に参加。

 

昨晩の懇親会は滋賀県大津だったようだ。

 

本日午後にJR在来線で京都駅へ。

いづうの小鯛雀鮨をリクエストしてあったが祇園の本店には寄れず新幹線口の売店では小鯛の雀鮨は品切れで鯖寿しをゲット。

 

それも一人前の棒寿しが一本だけだったとの事。

 

夕方、帰寺。

早速

1

包装のラベルも夏バージョンに、、、

いづうは江戸時代 天明元年(1781年)創業。 236年前、

 

京都は内陸で当時は若狭湾から鯖街道で京都へ。

 

先日も大阪みやげで「すし萬 小鯛雀鮨」を買ってきてくれたが大阪は瀬戸内海に近いので小鯛の鮨の原点。

 

「すし萬」の創業は承応二年(1653年)現在の当主は第15代目。

 

京都や大阪では明治創業は「老舗」とは名乗れないと聞くがまさに創業360余年、、

「小鯛雀鮨」専門になってからも既に240年ほどの老舗。

 

大阪や京都の棒寿司は約240年ほど前に本格的に始まったかも、、?

 

先日のブログ    http://blog.takuzousuinari.com/?day=20170610 

 

 

2

やはり棒寿しの定番で北海道の真昆布で包んで有る。

この昆布は当時、日本海経由の北前船で運ばれたか、、、

 

3

 

美味しかった、、 いづうの小鯛雀鮨は良く口にするが鯖寿しは初めて。

ご馳走様でした!

 

備忘の為の日記でした。

 

 


霊窟(お穴)の工事

本日も梅雨の晴れ間で良いお天気に、、

しかし気温は正午頃には30度近くに。

 

午前中、出かける前に作業を見に行くといよいよ唐破風の前面の板を設置する所だった。1

 

帰寺後、再び見に行くと破風のその姿が、、

2

 

飾りの釘も、、

3

大工さんに聞くとちょうどシートの下のカーブした垂木の上に天井部分の板が張られ更にその上に二重に同様の垂木が載り屋根を形成する野地板が張られる凝った造りになるとの事。

お詣りの時はちょうど現在のように垂木が見える天井になる。

 

新規に鳥居が建つ基礎部分の最終工事も、、

4

お社(お堂)に近い場所と階段上部には若干大きな鳥居、参道の部分にはサイズ揃った鳥居が15基設置可能との事。

大きい鳥居が建ったら写真に収め早めだが秋季例大祭のご案内と共に新規鳥居御奉納のお願いも、、

もう少し整備が進まないとご想像がつきにくいと思われるので、、、

 

5

上部の本堂側から。

手前は崖上のかなり昔に立ち枯れの為に伐採した二本の古木。

職方が落ち葉等を片づけてくれたら根が朽ちて浮いた状態。

危険な状況なので近日中に植木屋さんに取り除いて貰う予定。

 

崖地が多いので石垣等々管理が大変、、、、

境内は武蔵野台(小石川台)の先端なので傾斜地で隣地や公道とは全て段差が有る。

境内内部でもこの段差。

 

昨年、境内整備の折りにおよそ670年ほど前の南北朝と室町時代初期に奉納された二枚(二基)の「板碑」(石板塔婆)もこの撮影場所付近から。

この樹木に囲まれた窪地は人工的なものでは無く自然に存在して礼拝場所に選ばれたものと想像に難くない。

 

 


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